阿吽の誓い④
どれくらい経っただろう。
濃い陰影は未だ落ちない陽光の強さを思わせる。
蝉の声すら届かない熱気の中、錆びて朽ち果てた高所作業通路の上で身構えたまま、そっと耳を澄ました。隣で聞こえる息遣いと腕時計の音。
そして。
「梓!今だ!!」
揺れ動いた影に夏の光が眩しく照りつけた。
その光に一瞬目が眩むが、圭の大声に梓は迷いなく飛び降りる。
そのまま上から自身の霊力を展開した。
「お、っらぁ!!」
掛け声と共に、梓は二体の巨大な芋虫を鉄で包み込む。結構な大きさに少しばかり負担が大きいが、泣き言なんて言っていられない。
かといってハグレモノたちも黙ってやられる訳でもない。
中のハグレモノが暴れ回るのに少しだけバランスを崩して、ハグレモノごと支柱にぶつかった。
「わ、わ、すごーい!」
「凪、危ないからこっち来て。梓、そのまま。残夏!準備!」
「は、はい!」
圭の言葉に、残夏が手のひらの炎を落とした。スローモーションのようにゆっくりと落ちてくる赤い色。
それが梓の開けた穴に吸い込まれていくと同時に、梓は隙間なくハグレモノを閉じ込めた。
霊力で出来た炎に空気は必要ない。中で勢いよく燃え上がるのに、絶叫が霊力を通して聞こえる。
しかし、それは梓だけで残夏達には届いていないようだ。それがせめてもの救いだろう。
歯を食いしばりながら耐えていれば、その背を圭が支えてくれた。
数分後、すっかり動かなくなったハグレモノに梓が霊力を解放すると中で燻っていた塵が舞い上がった。それもすぐに溶けて消えていく。
「終わったな……。」
結構な霊力の消費に息を吐いて座り込む。残夏の力はなかなかに強い。
漏れないように気をつけるのが大変だった。
「お疲れ。」
「ん。」
圭が拳を突き出してくるのに、自分の拳を合わせる。何時もの労いの合図だ。
残夏も高所作業用通路から降りてきて、興奮気味の凪と何事かを話し合っている。
全員無事だ。良かった。
「残夏くんも梓くんもカッコよかったね!!」
「緊張した……。でも結構呆気ないんだね。」
「そりゃそうだよ。少年漫画のバトルじゃあるまいし、お互いの真価を見せ合う戦いじゃないから。なるべく一方的に倒すのが一番だよ。」
「な、なるほど?」
生真面目そうに頷く残夏に凪が笑い声をあげる。圭の言う通り、劇的なバトルなんて存在しない。
どんなにセコくても勝てばいいのだ。なんせ命が掛かっているのだから。
なんて心の中で独り言ちながら起きあがろうとした、その時。
梓の耳にはピキッという少し甲高い音が届いた。それは梓だけでなく圭たちの耳にも届いたらしい。
視線が梓の背後に向く。そのまま視線を逸らさずに青ざめた顔をして圭が梓に声を掛けた。
「あ、梓。さっきの支柱……。」
「ああ……こりゃまずい……。」
圭の視線の先を梓も振り返る。そこには先程ぶつかった支柱にヒビが刻まれているのが見えた。
ヒビが広がっていく音が耳に届いているのだ。心なしか天井から埃や細かいゴミが落ちてきた。
これはもう、本格的にヤバい。
梓は立ち上がると、そのまま残夏たちに向けてめいっぱい叫んだ。
「崩れる!!逃げるぞ!!」
一斉に踵を返し、全員が廃工場を駆け抜ける。案外広い敷地内を休むことなく走り続ければ、外が見えてきた。
そのまま入口を突っ切って外に出たところで、梓たちの背後で廃工場は音を立てて綺麗に崩れ落ちる。土煙が立ち込めるのに安堵の息を吐き出せばいいのか、青ざめればいいのか分からない。
取り敢えずは無事ならいいかと息を吐こうとしたところで、崩れた瓦礫の下から這い出てくる無数の白い芋虫に梓は顔から血の気が引くのが分かった。
ーーあのハグレモノ……!
2体どころじゃない。無数に分裂してやがった。
しかもあの量は梓の霊力では到底足りない。
こんなの、どうしたらいいか。
「け、圭……どうしたら……。」
「……。」
頼みの圭も固まっていて返事は返ってこなかった。凪と残夏も当然固まっている。
そして梓も、もう何も思いつかない。せめて後輩たちだけでも。
梓は震える声を抑えながら、力の限り声を張り上げた。
「凪!残夏!逃げーー、」
しかし、その言葉は最後まで言えなかった。それもそのはず、無数のハグレモノたちが目の前で一瞬にして消滅していったのだから。
一瞬遅れて、乾いた音が耳に響く。
それが銃声で、ハグレモノたちの核を殆ど同時に全て撃ち抜いたのだと認識するのと梓たちの背後から涼しげな声が響くのは同時だった。
「ふふ、危機一髪ってとこかな?」
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振り返った先にいる、楽しげに口元を弛めている華奢な人。
梓はその姿を認めて、目を瞬かせた。
その隣には、追いかけてきたのだろう清治と柳瀬も控えている。
「清治。取り残しは?」
「……いません、隊長。さっきので全部です。」
珍しく敬語を使っている清治に笑って、玲がこちらに近づいてきた。
それに凪が嬉しそうな顔をして、残夏が戸惑ったように首を傾げる。
しかし梓は自身の顔から先程よりも血の気が失せていくのを感じていた。
ハグレモノの大群よりもずっとこの状況はまずい。梓はチラリと崩れ落ちた廃工場に目を向ける。
ああ、本当にやばい。
「玲ちゃん!」
「どうして……。」
凪が玲に駆け寄り、残夏が玲を見上げた。そんな2人の頭を撫でてから、玲は歌うように言葉を紡ぐ。
「心配だったからね。この辺、植物も多いし霊力通して確認してたんだよ。まあちょっと忙しくて駆けつけるのにギリギリになっちゃったけど。ごめんね。」
まるで当然のように言うが、そんな芸当が出来るのは隊長格くらいのものだろう。
しかも最初から確認していたということは、言い逃れも出来ない。
いっそここから逃げようか。取り敢えず走って逃げればーー、
「それより、梓。」
はい、無理です。ゲームオーバー。
名指しされた事で、梓は震える足を玲に向けた。目の前にいるのは梓よりもずっと背が低くて、体格も細い。それなのにどうしてこうも怖いのか。
梓は震えながら、喉の奥から声を絞り出した。
「は、はい、隊長……!」
何を言われるだろう。玲は罵倒よりも、冷静に静かに詰めてくるから恐ろしい。
あの笑顔だって逆にどんな感情なのか分からな過ぎて辛い。
どうしてあの時ハグレモノを抑えておけなかったのか。こんなに早く、またしても器物破損を起こすなんて梓だって初めてなのに。
しかしそんな梓の恐怖と裏腹に玲の声はどこまでも優しかった。
「よく頑張ったね。ちゃんと見つけたハグレモノを倒せてたし、腕をあげたんじゃない?」
「え……。」
「残夏と凪もいたのに、皆んな無事だったし圭と協力出来て良かったよ。」
「た、隊長……。」
一体どうなっているのか分からないが、にこにこと機嫌が良さそうな玲と、優しい言葉に胸の奥がジンと熱くなる。
恐怖で泣きそうだったが、今度は安堵で泣きそうだ。でも取り敢えず助かったのかもしれない。梓は身体の力を抜くとにっこりと笑う玲に向き直る。
そのまま玲が手で少し屈むように示すのに、梓は身を屈めーー、
「ぇ、」
鳩尾に入った鈍い痛みと、次いで左顔面に走った衝撃に梓は地面に倒れ伏した。
ーーえ?
何が起こったのだろうか。疑問符が頭に浮かんで、回る視界の先では玲が笑顔を浮かべている。
そこで梓はようやく気がついた。玲の笑顔は優しいままだが、その雰囲気はあまりにも冷たい事に。
そしてそのまま状況を理解する。玲は梓の鳩尾に膝を入れ、しかもそのまま回し蹴りを側頭部に叩き込んだのだ。
しかしそんな思考を止めるように、頭に靴底の固い感触を感じた。
その冷たさに梓は本能的に死を悟る。
恐る恐る見上げた先では冷たい笑みの玲が梓を見下ろしていた。
「それはそれとして、次に器物破損させたらお前の頭を潰すって言ったよな……?」
「ひっ、す、すみません!!すみません隊長!!!」
「謝って済むならこの世に武器も暴力も要らないって思わない?」
「ひぃ、!!!」
やっぱり思った通りだ。玲が優しいなんてあり得ない。
こんな事ならさっさと逃げれば良かった。
梓は泣きながら少しずつ力が入ってくる靴底に身体を震わせる。
そして玲の制裁は黙って事の成り行きを見守っていた圭にも飛び火した。
「圭。」
「は、はい!」
「作戦は良かったよ。よく考えられてたし、ハグレモノの攻略法を見つけるのも早かった。」
「はい。」
「でも伝えたよね?何かあったらすぐ連絡する事って。お前の持ってる通信機は何の為にあるの?新人2人もいたのに不測の事態が起きたらどうする?」
「あ……。」
「お前もこっち。正座しな。」
「はい……。」
倒れ伏した梓の隣に圭が大人しく正座する。
梓もまた、頭に感じていた圧力がなくなり圭の隣ですごすごと膝を折った。
その前には、相変わらず麗しい笑みを浮かべる鬼の隊長がひとり。
「基礎の基礎すら理解していないんだ。先ずは其処からみっちりと叩き込もうか。」
氷のような冷たい言葉に、梓と圭は力なく項垂れたのだった。
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「隊長。そろそろ……。」
「あ、そうですね。ありがとうございます、柳瀬さん。」
玲からの説教が始まっておよそ30分後。柳瀬の言葉に、玲が雰囲気を和らげた。
そのまま、うんと伸びをするのに梓は心の中でほっと息を漏らす。
老朽化は言い訳にならない。お前はいつになったら学ぶんだ。もういっそこのまま学ばずに人生を終えるかと問われた時はどうなるかと思ったが、取り敢えずこの場での説教はもう終わりだろう。
気がつけば夕陽が赤を遠くに伸ばしていた。もうすっかり夕暮れだ。
玲は柳瀬を振り返ると、軽く手を振ってから清治と談笑している凪と残夏に近づいていった。
因みに梓たちにはまだ正座解除の許しは出ていない。そして足の感覚はもうずっと前から無くなっている。
「凪と残夏もお疲れ様。初任務どうだった?」
「楽しかった!」
「えっと、緊張しました……。」
「そう。」
それぞれの感想に笑って、玲が腕時計に視線を落とした。柳瀬も促していたようだし、相変わらず忙しいのだろう。
またすぐに次の任務に向かうつもりかもしれない。
しかしそんな予想を裏切るように玲は笑うと、少しだけ首を傾げてみせた。
「ごめんね、遅くなっちゃって。お腹空いてない?」
「え?えっと……はい。」
「ふふ、そっか。じゃあご飯でも行こうか?残夏の歓迎会もまだだしね。」
「え?」
「梓、圭。お前たちも行くよ。ただし帰ったら始末書と反省文を書くこと。それで今回は終わりだけど、次は無いからね。」
玲の言葉に慌てて立ち上がる。しかし痺れた足はそう簡単には動かせない。
圭と絡れて倒れ込み悶絶するのに清治が苦笑を漏らして手を貸してくれた。
その間にも、玲たちの話は進んでいく。
「何食べたい?残夏が好きなもので。」
「え……食べたいもの……。」
「思いつかない?じゃあ、こういう時ってどこに行くイメージがある?」
「うーん……焼肉、とかですか?」
「ふふ、じゃあ焼肉にしようか。」
玲のそのひと言に凪から歓声が上がった。梓もまた足の痺れと戦いながらも心で拳を振り上げる。
焼肉。なんて魅惑的な響き。
ひと足先に復活した圭の手も借りて、梓はようやく立ち上がることが出来た。
始末書や反省文は最悪だが、今は置いておけばいい。
「柳瀬さんもご一緒いかがですか?この間、会食に使ったお店が良かったんですよ。」
「ええ、是非。」
「玲、それ高級店じゃない?というか焼肉、大丈夫?」
「たまにはいいでしょ。」
玲と柳瀬や清治たちが話すのを聞き流しながら、近づいてきた凪たちの頭を撫でる。
結局最後はかっこ悪いところを見せてしまったけれど、この2人が無事だったのが何よりだ。
それに。
「玲ちゃん怒ってたけど、梓くんと圭くんかっこ良かったよ!」
「今日はありがとうございました。」
そんな後輩たちの言葉に、梓と圭は顔を見合わせて笑った。
その言葉だけでまた頑張ろうと思えるのだから、後輩は良いものだ。
そして、こんな風に笑い合える14番隊もまた。
「ほら、早くおいで。置いてくよ。」
「はい!」
意地悪で、でも優しい隊長の声に梓は足を踏み出した。
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深夜に差し掛かりそうな宵闇の頃、司令部の執務室で語られる情報に東條は耳を傾けていた。
「今回のハグレモノや、最近の動向からやはり裏で糸を引いてる連中がいるようですね。残夏の件といい、かなり不穏ですよ。」
涼しげな声は耳に心地よく、共すれば聞き流してしまいそうになるのを自身で制しながら、東條はひと通りの報告に頷く。
残夏の一件と、低級なハグレモノの能力向上。
それは今回14番隊に任せた任務だけでなく、他の部隊からも最近よく聞く話だ。
指示書に記載のない力。そのせいで近頃怪我人が多い。
幸いまだ致命傷になるものが無いだけで、真綿で締められるような閉塞感が息苦しい。
東條は溜息を吐き出すと、目の前の部下に視線を向けた。
「お前はどう思う?奴の狙いは……そろそろ仕掛けてくる頃だと思うか?」
「そうですね……まあ、狙いは当然残夏でしょう。ただ、この件に関してはそれとはまた別だと思います。残夏は完全なイレギュラー。あの化物を取り込む人間がいるなんて奴らも想定外でしょう。ならば何がしたいのか……。……少しずつ撹乱させて内部から腐食させるとかどうですか?不満を持つ奴らを甘言で誘惑して、自分たちの正義だけを正しいと信じ込ませる。俺ならそうしますね。」
「……嫌な思考だな。」
「ふふ、早めに対策を考えないとですね。」
しんと静まり返る司令室に、時計の音だけが大きく響く。
それにもう一度息を吐き出して、東條は軽く自身の髪をかき混ぜた。
相変わらず玲の言葉遊びのような言い方は気に入らないが尤もな指摘だ。
まさか組織内にハグレモノと内通する人間がいるとは思わないが、残夏の一件以降それ以外の不平不満が目に見えて溜まってきているのも理解している。
こういう時に自身の人望のなさには辟易するが仕方がない。うまく綱渡りをさせてくれている部下に東條は頷いてみせた。
「取り敢えずの不満は取り除こう。お前は引き続き小鳥遊の手綱を握っておけ。」
「はい。」
結論を出して、東條は息を吐き出す。ここ最近は調査ばかりで睡眠時間すら碌に取れていない。
そして目の前の部下もまた、東條より身体に負担を掛けているはずだ。
相変わらず笑みの形で口元を固定している玲を眺めながら、その顔色の悪さにもう一度息を吐き出す。
無理をさせているのは重々承知。そろそろ通常業務に戻してやらなければ。
「あまり調子の良い顔色じゃないな。今日はもう休め。」
しかしそんな東條の慈悲に、玲は斜め上の回答を返してきた。
「え?そんな筈ないでしょう?折角酒入れたのに……あ、やべ。」
「は?」
つい低い声が出たのは仕方がないと思いたい。勤務中に飲酒など、許されるはずもないからだ。
勿論会食なんかはあるが、今日は任務で忙しくしていたはず。一体何を考えているのやら。
しかし東條の威圧など物ともしない玲はヘラヘラと笑うと事の顛末を説明し始めた。
「いや、残夏の歓迎会だったんですよ。この間、東條さんが会食に選んだところあったでしょ?あそこ使わせてもらいました。」
「は?お前、肉は食えないだろう。」
「残夏の歓迎会って言ってるじゃないですか。皆んな焼肉嬉しそうで可愛かったんですよ。それで食べれるものあんまりなかったから、ちょっとだけお酒飲んじゃって。清治が顔色悪いから何か食べろって言うんですけど、お腹空いてなくて。お酒なら顔色良くなるかなぁって。あ、でもちょっとだけなんですよ。酔ってないですし。」
余りにもあっけらかんとした説明に、東條の頭からは怒りがすり抜けていく。
自分が食べれもしない焼肉屋に連れて行って、しかも酒で顔色を隠そうとするとか。
それなのに可愛かった、嬉しそうだったと嬉々として話す目の前の男に呆れで頭が痛い。
「馬鹿かお前は。疲労状態で酒を摂取するな。死ぬぞ。」
「えーまだ死にませんよ。……まだ、貴方の理想を見届けてないので。」
ふわりと浮かんだ笑みは、珍しく張り付けたものではなかった。
それに眉を寄せる。こいつのこういう所が嫌いだ。
常にふざけているくせに、たまにこうして本音を混ぜてくるところが。
東條は今度こそ何も言う気になれなくて、軽く頭を振った。
「……もういい。お前は取り敢えず明日明後日休みだ。しっかり休養しろ。」
「え?ほんとですか?良かったぁ。凪と残夏をどっか連れて行ってあげようと思ってたんですよね。」
「話を聞いていたか?休養しろと言ってるんだ。」
「え?でも約束してて……。」
「分かった。3日休みをやるから2日間は休め。命令だ。いいか?命令だからな。」
「えー……。」
いまだ不服そうな玲を無視して、東條は窓に目を向ける。
闇は濃く、何かを隠したまま。まるでこの馬鹿な男の心の底のように。
更けていく静かな夜に東條はまたひとつ溜息を吐き出した。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
エピソード3完結です。
残夏たちの初任務はいかがでしたでしょうか?
次回からはエピソード4、新しい登場人物も出ますので楽しみにしてもらえたら嬉しいです。
次回更新は水曜日です!(19:30目安ですが前後する時はXでお知らせします!)
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よろしくお願いします!




