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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
最終章 邪気の国

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兄弟子

 二階への階段を上りきると、そこには彫刻が刻まれた重厚な木製の扉が立ちはだかっていた。


「……この奥だな」


 リゼの言葉に、誰もが無言で頷く。扉の向こうに、二つの大きな気――そしてそのさらに奥、別格の気配がひとつ。


 誰も何も言わずとも、ここが「勝負の間」であると理解していた。

 ジークは静かにダガーを逆手に構え、エルネアは矢をつがえて風の気を溜める。

 リゼは大剣を肩に担ぎ、いつでも振り抜ける体勢を取った。

 ボクも深く息を吸い、身体強化の気を練る。

 その白い気が掌で揺らめくのを見届けて、リゼが頷く。


「――行くぞ」


 ギィ、と扉が開く音が響いた。


 中は広大で天井が高い広間。

 その空気には濃厚な穢気が含まれていて、呼吸をするたびに肺が重くなるようだった。

 そしてその中央に――二人の邪鬼が立っていた。


 一人は、先ほど門前で現れたフィルナ。透き通るような黒髪に、紅い唇。

 もう一人は、身の丈二メートルを超える赤髪の巨漢。

 全身を覆う筋肉の鎧と、刃渡りの長い斧を肩に担ぎ、ニヤリと笑う。


「改めまして、ようこそ邪鬼の城へ」


 フィルナはヴェールを翻しながら優雅に一礼した。


 その隣で赤髪の男が鼻を鳴らす。


「こいつらが黒の器ご一行様か?」

「えぇ、そうよ。なかなか面白い顔ぶれでしょ?」


 フィルナが艶やかに笑うと、男はボクたちを上から下まで舐めるように見た。


「ふん……黒の器には手を出すなって言われてるが、他は好きにしていいんだろ? だったら、遠慮なく遊ばせてもらうぜ」


 そう言って、彼は無造作に斧の刃を指でなぞる。

 刃の表面には黒い気がまとわりつき、ギリギリと不気味な音を立てた。


「あぁ、名乗りがまだだったな。俺はグラオル。ヴァル様の側近の一人だ。ま、挨拶なんざどうでもいい。さっさと始めようぜ!」


 その瞬間、地を蹴る音が響いた。

 グラオルの巨体が雷のような速さでこちらへ突っ込んでくる。

 その動きは、巨躯からは想像できない速さだった。


「お前の相手は私がしようか。似た者同士、な」


 リゼが前に出た。


 振り下ろされた斧を、大剣の腹で受け止める。金属と金属がぶつかり合う鈍い衝撃音。

 火花が散り、風圧で床の塵が舞い上がる。


「ほう、やるじゃねぇか!」

「こっちもお前みたいなのには慣れてる!」


 リゼは一歩踏み込み、剣を斜めに振り抜く。

 火の気をまとった刃が、空気を焦がしてグラオルの肩をかすめた。

 しかしグラオルも即座に反撃し、床を叩くように斧を振り下ろす。

 轟音とともに、石床が砕け散った。


 その横では、ジークとエルネアがすでに動いていた。


「んじゃ、こっちは俺たちが相手しよう」


 ジークが姿を消すように地を滑る。エルネアがジークへ風の気を送り込み、ジークの速度が一段と跳ね上がる。


 フィルナの前に現れた瞬間、逆手のダガーが閃いた。

 しかし、その一撃は袖から伸びた鉄扇に弾かれた。


「あら、レディに挨拶もなく斬りかかるなんて、失礼ね?」

「おあいにく様。うちの国じゃ“か弱い女”なんて言葉は死語でね!」


 ジークが笑いながら、立て続けに刃を繰り出す。

 エルネアの風がジークの動きを支え、刃の軌跡が残光のように流れる。

 フィルナは扇を舞うように振るい、そのすべてを紙一重でかわした。

 まるで踊るような戦いだった。


 金属音、風切り音、そして床を揺らす轟音が重なり合い、広間全体が戦場と化す。


 その光景を目の当たりにしながら、ボクはただ呆然と立ち尽くしていた。


(どちらに加勢すべきだ……?)


 そんな迷いを読んだように、グラオルの一撃を捌きながらリゼが叫ぶ。


「コウ! お前はイリスのところへ行け!」

「で、でも!」


 戸惑うボクに、ジーク、エルネアからも声がかかる。


「早くいけ! 俺たちがやられると思ってるのか?」

「ここはまかせて! イリスを助けに行ってあげて!」


 ボクは一瞬だけ三人を見た。

 彼らの瞳には迷いがなかった。

 戦いの火花が交錯する中、ボクは決意を込めて頷く。


「わかった。――あっちで待ってる!」


 そう言い残して、奥の扉へと走り出した。

 背後で鳴り響く金属音が、まるで「行け」と背中を押しているように聞こえた。


 ***


 奥の廊下を抜ける。

 空気はさらに重く、息をするたび胸の奥に冷たい痛みが走る。

 扉の向こうから、圧倒的な邪気が漏れ出していた。


(この気……間違いない。ヴァルだ)


 ボクは覚悟を決め、両手で重たい扉をゆっくりと押し開けた。


 そこは、広く静まり返った玉座の間。

 空気が沈黙している。


 その中心、玉座に腰掛けた黒髪の男――そして、その前の石台に横たえられたみたこともない真っ黒いドレスに身を包んだ銀髪の少女。


「イリス!」


 ボクは叫び、駆け寄ろうとする。

 だが、イリスは微動だにしない。胸が上下しているのを確認して、かろうじて息をついた。ボクは目の前の玉座に座る男を睨みつける。


「おいおい、そんな怖い顔するなよ。同じ師を持つ兄弟の初めての顔合わせだろ?」


 玉座の男が、愉快そうに笑う。

 黒い外套がゆっくりと揺れ、双眸が深い闇を宿していた。


「改めまして、初めまして、だな。俺はヴァル――邪鬼王であり、お前と同じリゼの弟子。そして“兄弟子”だ」

「……イリスは無事なんだろうな」


 ボクは睨みつけながら言う。

 ヴァルは肩をすくめ、楽しそうに口角を上げた。


「もちろんだとも。今のところな。……ただし、彼女の命は俺の気分次第だ」

 そう言って、黒い気を右手に集める。

 それが剣の形を取り、イリスの胸の上で止める。


「やめろっ!」


 ボクの叫びが空間に響く。

 ヴァルはその声を楽しむように、目を細めた。


「いいな、その顔。怒り、恐れ、焦燥……黒の器が持つ最も純粋な感情だ。なぁ、コウ。お前はこの娘を救いたいんだろう?」

「当然だ! そのためにここまで来たんだ!」

「なら、交渉といこうじゃないか」

「……交渉?」

「あぁ、話は簡単だ。お前が邪鬼になれ。そうすれば、この娘も助けてやる。

 なんなら一緒に来た仲間も一緒にこいつら全員、邪鬼としてお前の配下にしてやるよ」

「ふざけるな! そんなもの受け入れられるわけがない!」


 ボクは怒りに声を震わせた。

 しかしヴァルは動じない。むしろ、楽しんでいるようだった。


「……まぁそう熱くなるな」

「なぜだ! なぜお前たちはボクを堕とそうとする!?」


 ヴァルは顎に手を添え、少し考えるような仕草を見せた。


「そうだな、そのあたりの話をしようじゃないか。俺たち邪鬼がお前を欲する理由。それは、俺たち邪鬼が生き残るためさ」

「……生き残る?」

「そうだ。俺たちは確かに強い。だが、人間の数には敵わない。このままじゃ滅ぶ側だ。だから、バランスを崩す存在――“黒の器”が必要なんだよ」


 ヴァルの言葉は淡々としていた。

 まるで理を説くように、揺るがぬ確信を帯びて。


「この世界は弱肉強食だ。生き延びるために、俺たちはお前の力を求めている。それだけの話だ」

「そんな……」


 言葉を失う。ヴァルは少し視線を逸らし、静かに言葉を続けた。


「生き物は皆、自分の種を守るために他を敵とみなす。同じ種の中でも異端を排除し、上に立とうとする。――お前も、それを経験しただろう?」


 フェン村での記憶が脳裏をよぎる。

 忌み子としての扱い、拒絶、孤独。


「……でも、リゼさんもイリスも違った。ボクを受け入れてくれた」

「ふっ。たしかにな。だが、リゼは実力者。イリスは領主の娘。力と権威があるからこそ、お前を受け入れられた。もし彼女たちが凡庸だったら? 周りと同じ立場だったら? 忌み子を受け入れることができたと思うか?」

「……それは……」

「周りの村人と同じようにお前を罵るか、よくて見て見ぬふりをするだけだった可能性はないか? 力を持つ者や集団の意志の前では、力なき者の己の正義感など無力に等しい。なぜなら、一人で正義感を振りかざしたところでそれが圧倒的上位者や集団の気に障れば次に排除の標的になるのは自分だからな」


 喉が詰まる。何も言い返せなかった。


「少し、昔話をしてやろうか」


 ヴァルは遠くを見るような目をした。

 その瞳には、わずかな哀しみが宿っていた。


「大切な友を――人間に奪われた、俺の過去をな」

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