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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
第10章 揺れる思い

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修行の成果

 カイエンたちと同じ馬車に揺られて十日あまり。長い移動の末、ボクたちはついにザイレムへと到着した。


 到着したその夜には盛大な歓迎の宴が催され、王族や重鎮たちに混じって少しの時間だったがカレンやセルギスも顔を見せてくれた。体調が芳しくなさそうなセルギスだったが、無理を押してまで顔を見せてくれたのがうれしかった。


(……ボクは、国家にとっても重要な存在として見られているんだ)


 かつて忌み子として畏怖されていた自分が、今や帝国の希望として遇される――その事実を改めて実感した夜だった。


 翌朝、ボクはこれまでも何度か訪れたユエンの研究棟を訪れていた。扉をくぐると、薬草の匂いに混じって研究棟独特の冷ややかな空気が漂っていた。


「これまでも伝えたけれど、あなたにこれからやってもらうことは大きく二つ」

 

 ユエンは机に積まれた資料を整えながら言う。


「一つは、調和気の扱いをさらに高めること。もう一つは、邪鬼幹部の討伐よ」


 澄ました口調の中に、鋭い棘が潜んでいた。


「あなた、自分でも気づいているんじゃない? 調和気は万能じゃないって」


 その言葉に胸の奥がチクリと痛んだ。


「……そう……ですね。邪気を吸収して調和気を使っていると、少しずつ体の中に何かが溜まっていく感じがします。セレフィア王と戦ったときも、体の奥に毒が広がるみたいに重くなって……」


 思い出しただけで嫌な汗がにじむ。ユエンは小さく頷いた。


「その感覚は正しいわ。黒の器は命気が大きいから、周囲から気を取り込む力が圧倒的に強い。しかも、五行すべての気を均等に扱える。それはあなたの特異性であり、脅威でもある」


 彼女はすっと視線を上げた。


「調和気は、取り込んだ邪気や穢気を五行すべての気と合わせて変換することで発現する。だからね、どれだけ吸収できるかだけじゃなく、どれだけ変換できるかが肝心なの。変換が追いつかなければ、残った穢気や邪気はあなたの体を蝕むわ」


「……つまり、変換効率を上げなければ、ボクはいつか邪気に呑まれてしまう」


 自分で言葉にしてみると、その怖さがよりはっきりと迫ってきた。ユエンはきっぱりと頷く。


「そのための修行よ。幸か不幸か、この国には戦後の名残で穢気が蔓延している。その穢気を集めた吸穢の結晶を使うの。あなたが調和気を鍛えるのに最適だし、私たちも結晶の処理に手を焼いている。お互いにとって良い話だと思わない?」

「そうですね。この修行はセレフィアでは間違いなくできそうにありません。助かります。」

「だから、邪鬼幹部の討伐は修行の成果が見えてからでいいわ。目安は……十日ほどかしら。一日二本、合計二十本の結晶を用意しておく。それを全部調和できたら、討伐に向かってもらうことにしようかしら」


(一本に半日……。できるかどうかはやってみないと分からない)


 胸中でため息をついたとき、ユエンが思い出したように小さな紙包みを差し出した。


「それと、ね。これは体内に滞留する邪気や穢気を抑える薬。味は保証できないけれど、効果は確かよ。一日一回、十日分あるわ」


 指先よりひとまわり小さな黒い丸薬。紙越しにも苦味が染み出してくるようだった。


「ちなみに、私が丹精込めて作ったの。まずいからって捨てたりしたら……分かってるわよね?」


 ユエンの微笑みは氷のように冷たく、妙に怖かった。


 ***

 一通りの説明を受けて部屋を後にすると、ボクは一人で研究棟の別室に準備された場所へと向かった。まずはユエンから渡された薬を掌に取り、じっと見つめる。黒光りする小さな丸薬は、どう見ても体によさそうには見えない。


(……飲むしかないか)


 覚悟を決めて口に放り込んだ瞬間、舌に走る強烈な苦みとえぐみ。思わず吐き出しそうになりながら、丸ごと飲み下す。喉の奥を通ると同時に、頭の中を鋭い痛みが駆け抜け、膝と心が同時に折れそうになった。


(これ……本当に毎日飲むのか……?)


 吐き気とめまいに耐えながら、ボクは改めて自分の十日間の課題へと目を向ける。


 そこは人の背丈ほどの透明な水晶が四隅に置かれ、結界のように囲われた一角。中には護符で封じられた吸穢の結晶が山のように積まれていた。すぐ脇には結晶を置くための台と、長椅子。きっとここが、これからの日々の戦場なのだろう。


 護符を一枚はがし、水晶を台に置いた瞬間、黒い気がふつふつとあふれ出す。ボクは深呼吸し、両手を結晶に当てる。途端に怒りや嫉妬、恐怖、孤独……人の負の感情が波のように押し寄せた。


 それをただ押し返すのではなく、受け入れて調和へと変える。これまで学んできた中庸の気の在り方を心に刻みながら、ひたすら反復する。


(ボクは何のために力を求めている? 怒りをどう扱う? 仲間を守るとはどういうことか?)


 負の波に呑まれそうになるたび、問いを胸に叩きつけ、自分を繋ぎ止めた。


 初日は一本の結晶を浄化するだけで限界だった。汗で衣服が肌に張りつき、膝を突いて息を荒げる。だが二日、三日と繰り返すうちに、少しずつ要領を得ていった。三日目には一日二本をこなし、六日目には予定していた二十本を全て浄化し終えていた。


 吸穢の結晶の浄化の合間に、ボクはリゼから受け取った手記もあわせて読み進める。そこには、これまでリゼとの修行の中、身振り手振りで教わった内容が書かれていた。当時の様子を懐かしく思い返しながら読んでいると、調和気に関する気になる記載があった。


 ――調和気を極めし者は、己と他者、善と悪、すべてを一つに抱くことができる。もし自らを受け入れながらも、立場の異なる他者を認められるなら――その時、調和は真に完成する。


 (自分を認めつつ、立場が異なる相手も認める……? そんなこと、できるのか……?)


 そんなことを思いながら吸穢の結晶浄化の最終日。

 目の前に置かれた結晶は、もはや恐怖の対象ではなかった。手を当てると、流れ込んでくる穢気が滑らかに体を通り、調和気へと姿を変えていく。一本を終えるのに、わずか一時間足らず。


「……ここまで来た、のか」


 自分の成長に驚きと達成感が胸を満たす。


 こうして十日間を四日も前倒して修行を終えたボクは、いよいよ邪鬼幹部の討伐へと向かう準備を整えるのだった。


 ***


 修行の成果を試すべく、ボクは邪鬼の幹部が潜むといわれる帝都北東の山岳地帯へと一人で足を踏み入れた。あたりには邪気に染まった魔物が群れを成していたが、調和気を纏った剣で次々と斬り払い、二体の邪鬼をも討ち倒す。やがて岩陰から、ひときわ強い気配を放つ影が姿を現した。


 赤い短髪に隻眼、武士のような出で立ち。その風貌は、ユエンから聞かされていた幹部の特徴と一致していた。


「俺が育てた部下どもを、よくもまぁ簡単に……」


 鋭い眼光をこちらに向けると、ふんっと鼻を鳴らす。


「セレフィアで暴れた黒の器か。お前ことはこっち側でもいろいろと話に出て噂になってるんよ。……部下が減っちまったんだ。お前を代わりに手駒にしてやる」


 言葉と同時に、幹部の体からどす黒い霧が吹き出した。


 それは煙ではなく、怨嗟や憎悪が凝り固まった塊だった。地を這うように広がり、やがて壁のように立ち上がってボクを取り囲む。


 胸の奥を掴まれるような重苦しさ。息を吸うたびに肺の中まで濁った泥水を流し込まれる感覚が走る。


 視界が歪み、耳元で誰かの怒号や嘆きが響いた。これまでの邪気とは何かが違った。


「どうした黒の器、顔色が変わったな」


 幹部は愉快そうに嗤う。


「これはただの邪気じゃねぇ。俺の血と怨念を混ぜた毒だ。受け止められるものなら、やってみろ」


 しかし、ボクは一歩も退かず、体内に取り込んだ邪気を調和気へと変換していった。


「セレフィアの奴と同じにするなよ。あんなのはまだまだ青い」


 黒い奔流がさらに濃く収束し、槍のように鋭く尖ってボクへと襲いかかる――。


 体の奥に流れ込む邪気は、たしかに重い。だが、今のボクの前ではその重さすら意味をなさなった。


 黒が白へと澄んでいく感覚。怒りや恐怖のさざ波を受け入れ、調和へと変えていく。その繰り返しに身を委ねていくうちに、次第に圧迫は和らぎ、立っているだけのはずのボクの気配がむしろ膨れ上がっていく。


 そして、やがて――。


 数分も経つと、明らかな差が浮かび上がっていた。


 こちらは顔色ひとつ変わらず、纏う調和気はむしろ膨れ上がっていく。一方の幹部は額に汗を浮かべ、呼吸も荒くなっていた。


「もう、いいかな」


 ボクは静かに剣を抜き、斜めに一閃。


 調和気をまとった斬撃が奔り、幹部の肩口を深々と裂いた。驚愕の表情を浮かべたその体は、黒い塵となって風に散っていく。


 山岳を覆っていた邪気が一気に薄まり、夜明け前の空気のように澄んでいく。残された静寂の中、ボクは深く息を吐いた。


 ――これが、修行の成果だ。


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