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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
第10章 揺れる思い

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回答

 「コウ君ね、人を食べ物に例えるのは、本当はあんまりよくないかもしれないんだけど――」


 そう前置きして、セリナはエールの泡を指でつついた。指先にくっついた泡がぱちりと弾ける。


「例えば、私の場合は“お肉”も“お魚”も、どっちも好きなの」

「……はぁ」


 ボクは頭の上に「?」を三つくらい浮かべながら相づちを打つ。


「それでね、どっちがより好きか決めろって言われても、正直どっちも好き。今日はお肉の気分――って日もあれば、今日はお魚――って日もある。気温や体調、昼に食べたものの影響だって受ける。人の“食べたい”って、けっこう揺れるの。これはわかるでしょ?」

「はい、それはなんとなく」

「ここでね、急に『じゃあ、どっちが“より”好き? 一生どっちかだけ選んで』って言われるから、おかしな話になるの。どっちも好き、でいいのよ。本当に好きなんだもの。そこに嘘をつくと、すぐ心がひび割れる」


 セリナは、グラスの水滴を指で拭いながら、少しだけ真剣な顔で言った。


「えっと……じゃあ、その人のことも、イリスのことも、好きでいい――ってことですか?」

「そう。それ“自体”はね、ぜんぜん構わないの。ただ、食べ物と人で決定的に違う点もあるの。それは、人間関係には、あなたの中の“ルール”を先に決めておいた方がいいってこと」

「自分の中のルール……」


 セリナはこくんと頷く。


「『好き』の順位は揺れる。たとえば、喧嘩した直後に『今この瞬間、その人を世界一好きでい続けろ』って言われたら、流石にそれは無理難題でしょ? だからね、好きは揺れて良いの。その代わり、好きとは別にぜったい外さない“約束”を、自分自身と結ぶの。――どんな日でも、この人と心をともにする、っていう自分自身との約束を。覚悟って言ってもいいかもしれないわね」

「覚悟……」

「そう。まずは相手に対して“覚悟を持ちたいと思えるかどうか”。そして、その覚悟を言葉にして、行動にする勇気が自分にあるか。もちろん、相手が自分自身に対して同じ思いでいてくれるかは別問題だけどね」


 ボクはエールをひと口含む。喉を通る苦みの先で、これまでのことを順に撫でるみたいにたどった。


 フローラとは正直付き合いが短い。けれど、濃かった。真っすぐで、強くて、優しくて、ときどき無邪気で、でも国という大きなものを背負って歩く覚悟を、フローラはもう持っていた。彼女のことを尊敬していたし、好きだった。そして、彼女の隣に立つ自分が、はっきりと目に浮かぶ瞬間がある。

 そして、イリスはどうだろう。出会いは最悪だった。本当に最悪。棘のある言葉、上から目線。でも、その全部の底に、隠れた優しさとまっすぐさがあった。イリス自身の危険を顧みず、ボクのことを何度も救ってくれた。いつの間にか、背中を預けるのが当たり前になって、横にいないと不安になる。


 どれぐらい考えていたんだろう。ボクは顔を上げる。気がつけばエールはぬるくなり、食事は冷めていた。客の数も気がついたら減っていた。


 そして、セリナが、からかうでもなく、ただ待っていた。


「お姉さん、放置されすぎて泣いちゃうところだったわ」

「す、すみません」

「ううん。でも、その表情ならもう答えは見えたんだろうなって」


 頷く。


「はい。まずは、その子に……ちゃんと自分の思いを伝えに行きます」

「そうね。それがいちばん大事ね」


 セリナはグラスのエールを飲み干すと空のグラスを振って、にかっと笑った。


「というわけで今日はコウ君のおごり。ぱーっと――人生の門出祝い!」

「えええっ」

「決まり!」


 店の灯りが、これまでよりどこか明るく見えた。セリナは、まるで弟の旅立ちを祝う姉みたいにはしゃいで、笑って、杯を重ねた。話して、笑って、また飲んで。気づけば、胸の中で気になっていたわだかまりも解けて無くなっていた。


 席を立つ頃、夜風が頬に気持ちよかった。覚悟は、怖い。でも、歩き出す足は、もう決まっている。ボクは胸の奥で、小さく拳を握った。


 ***


 翌日。腹の底で固めた覚悟を携えて、王宮を訪ねた。もちろん、一国の王になったばかりのフローラがすぐ時間を割けるとは思っていない。断られたら明日また来るつもりで、受付に用件を伝える。予想に反して、夕刻に短い面会が取れた。通された部屋は人払いされ、窓辺のカーテンが静かに揺れていた。


 約束の時刻を少し過ぎた頃、扉が開く。


「お待たせ」


 肩で息をしながら、フローラが入ってきた。淡い水色のドレス、白金の髪は下ろしている。公務の合間なのだろう。


「忙しいところ、ありがとね」


 ボクが立ち上がって頭を下げると、彼女は首を振って小さく息を整えて微笑む。


「コウの話は、今の私の中で“最重要”だよ」


 椅子に腰かけ、向かい合う。


「どう? セレフィア王としての仕事は」

「んー、そうね。私のところに来るときには、だいたい答えは固まってる。私はそれを確かめて、必要なら責任を引き受けるだけ。大きな方針転換がなければ、淡々と、ね」


 肩をすくめる仕草の端々に、ここ数日で刻まれた疲労の影が見える。


「それで、話って――あの件だよね」


 上目遣いに、翡翠の瞳がこちらを射抜く。息を整えて、頷く。


「あのね、フローラ。あの夜、“好き”って言ってもらって、本当に嬉しかった。あれから、ボクもずっと考えたんだ」


 真正面から、彼女の瞳をのぞき込む。


「フローラのこと、ボクは好きだ。どんな苦難にも立ち向かって、人と向き合って、あるべき姿へ収めていく。尊敬してる。それに――ちょっとお転婆なところも」

「よく見てくれてるなぁ、コウは。……でも、最後のは、褒めてる?」


 肩を竦めて笑うその顔は、やっぱり可愛かった。


「でもね、フローラ――」


 喉の奥で言葉をほどく。覚悟の形に整えて、吐き出す。


「ごめん。ボクは、やっぱり――」

「イリス、だよね?」


 最後まで言わせまいとするみたいに、フローラが被せた。心臓が、ひとつ痛んだ。沈黙。窓の布が、風で小さく鳴る。やがて、ボクはゆっくり頷いた。


「そっか。やっぱり、そうだよね」


 天を仰いだフローラは、すぐに視線を戻した。


「イリスには、コウの気持ちを伝えたの?」


 首を横に振る。


「じゃあ――イリスがダメだったら、教えて。その時は私がコウを慰める。全力で、ね。……で、最終的にコウの心を、私のものにするから」


 わざと悪い顔をしてみせる。その悪戯っぽさが、胸にじんわり沁みた。


「本当に……ごめん、フローラ」

「いいんだよ。しょうがない」


 軽く言って、息を吐く。


「でもなぁ……あぁー、順番が逆だったら、どうなってたかな。私が先にコウに会ってたら、少しは違ったかもしれないのになぁ」


 冗談めかして肩をすくめる。けれど、顔を正面に戻したとき、翡翠の瞳には薄い涙の膜があった。


「本当はね、あの時点で答えがもらえないなら、こうなるってわかってた。だから賭けだったの」


 ボクは驚いて顔を上げる。


「だってさ、誰がどう見たって、コウとイリスの間に割って入るのは無謀だよ。牙鼠でもわかるくらいにはね。だから賭けた。一回目の勝負には負けた。でもね――私が結婚するまでは、何度でも賭けに出られるの」


 フローラは唇の端を上げた。


「だから、私、諦めないから」


(……凄いな、フローラは)


 胸の奥で、小さく感嘆が鳴る。


「そっか……」


 言葉が追いつかない。何を返すのが正解なのか、そもそも、正解なんてものはないのだろう。


「でもね、フローラ。ボクは――フローラのことを、ちゃんと守りたい。自分勝手かもしれないけど。だから、困ったことがあれば言ってほしい」

「そう……」


 彼女は目を伏せ、短く息を吸った。


「じゃあ、ひとつだけ。――ちゃんとイリスに、コウの気持ちを伝えて? そうしないと、私のこの気持ちも浮かばれないから。それが今の、私からコウへのお願い」


(優しい。本当に)


「うん、わかった。約束する」


(ごめん、フローラ。そして、ありがとう)


 席を立つ。扉へ向かう背に、フローラの声が追いかけてきた。


「コウ」


 振り向く。


「また、来てね」


 ボクは、笑って頷いた。


 廊下に出ると、夕日が石壁を朱に染めていた。

 次は、イリスだ。足が自然と、彼女のいる宿の方角へ向いていた。


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