人生相談
フローラから突然の告白を受けてから、数日が過ぎた。あのときは頭の中が真っ白で、何を考えたらよいかがわからなかったが、日常の手触りが少しずつ戻ってくるにつれ、ぼんやりとではあるけれど、考えることの輪郭が見えはじめた。
一方でフローラは、すぐに戴冠式の準備と平行してザイレムへ事の顛末を知らせていたらしい。ザイレムから返ってきた文には「近々ご挨拶に参る」とあり、帝王のカイエンが直々にヴェルナードへやってくるらしく、到着は準備などとあわせて十五日後を目処としている、とのことだった。
また、この件はボクも同席してほしいとフローラから言われていた。今後のザイレムとの邪鬼に対する戦略を考えるという意味合いもあるのだろう。
しかしそれ以外に、ボクとイリスがヴェルナードに留まる理由はもう薄くなっていた。邪鬼の影も判明したし、王都も新たな体制に移ろうとしている。イリスは――もしかするとアグナルのところに戻りたいと思っているかもしれない。
(となると、ザイレムの面々が来るまでに、答えを出さなきゃ)
頭の中で予定を並べ替える。十五日。長いようで、短い。ついつい上の空になってしまい落ち着かず、深呼吸をしても肺いっぱいに空気が入らない。
フローラの言った「決着」という言葉の輪郭も、あのときはわからなかったけれど、少しずつ意味がわかってきた。けれど、目を閉じれば、純白のカーテンが揺れて、頬に触れた感触が今もありありと蘇る。その感触は、ボクの鼓動を早め、そしてそわそわさせた。
(でもフローラを守る、と選ぶことは――イリスを守れない瞬間を受け入れる、ってことかもしれない)
もちろん、二人とも守れないなんて言っているわけじゃない。ボクはそう信じたい。でも、もし国が揺れるとき、敵が複数の場所で牙を剥くとき、誰かの手を先に取らなければならない場面は必ず来る。それに、どっちつかずというのは、フローラにも、イリスにも失礼だろう。“好き”という感情と“守る”という意思は似ているのに、まったく同じではない。けれど、ボクの中では重なる場所が多すぎて、結局のところ優先順位を選ぶ話になってしまう。
(イリスがボクをどう思ってるか、正直わからない。けど、ボクはやっぱりイリスを守りたい。フローラも、守りたい。――なら、どちらかをちゃんと選ばないといけない。ただ、どうやって?)
思考は堂々巡りになる。戦場なら、見えない敵の位置を推してでも一歩踏み込める。もし推測が間違っていたとしても、自分の力で切り抜ければ良い。けど、これは違う。剣の軌道も、足場の傾きも、風向きすら読めない。正解の形がわからないから、踏み込みどころが見つからない。
(さすがにイリスに相談できる話じゃないし……リゼさんは……いやいや、あの人はこういうのは「ふぅーん」とニヤニヤされて終わりだ)
脳内でリゼが嫌らしい笑みを浮かべているのを思い描いて勝手に撃沈していると、ふと一人の顔が浮かんだ。
(……セリナさん)
エルダスのギルドの受付嬢。柔らかな笑顔と、軽口の奥にある芯の強さ。人を観る目があって、必要なら棘も見せる。からかい半分に見えて、ちゃんと背中を押してくれる人。しばらく会っていなかったけど、もし彼女になら――。
ただ、思いついたはいいものの、ヴェルナードから離れたエルダスにいって、セリナに会うなんて、イリスになんて言い訳したらよいのか見当がつかない。ため息をひとつ吐いて、考えるのをひとまず横に置いた。フローラの件も大切だが、日々の生活をする上で、ボクらは路銀を稼がなくちゃいけない。
それから数日、ボクとイリスはヴェルナードのギルドで軽めの討伐や収集系の依頼をこなした。いつものように掲示板前で依頼票を剥がし、道具屋で不足分を補い、日が傾くころに城下の外へ出る。外に出て、身体を動かしていると少しだけボクの頭からフローラのことが頭から離れて、良い気分転換になった。
そして、都合のいい偶然は、ときどき物語みたいにやって来る。
依頼達成の報告のため、夕方、扉を押してギルドに入るとカウンターの向こう側に、見覚えのある亜麻色のポニーテールがふと揺れた。
「セリナさん!」
思わず声が先に飛び出す。隣でイリスも目を丸くした。
「コウ君に、イリスさんも! なに、どうしてヴェルナードに?」
「それはこっちの台詞よ、セリナ」
「ほんとですよ。セリナさん、どうしてこちらに?」
身を乗り出して尋ねると、彼女は肩を竦めて笑った。ヴェルナード支部の職員が怪我で離脱して、しばらく応援に来ているのだという。だから当面はこの街に滞在するらしい。
少し忙しそうな彼女は、手元の書類を捌きながら口を開く。
「久しぶりだし、一緒に飲みに行こうか。ヴェルナードのおすすめ、教えて?」
彼女の軽い誘いに、ボクとイリスは顔を見合わせて頷いた。待ち合わせの場所と時間を手早く決め、依頼の手続きと精算を済ませる。思いがけず、相談の糸口は手の届くところにぶら下がった。
ギルドを出ると、街の空は茜色で、石畳の継ぎ目に落ちる影が長かった。カイエンがやってくる日を指折り数えるほどだった。
***
その日の夜、約束の店に向かう。表通りから一本外れた細い路地、吊り下げられた鉄のランプが揺れ、扉の上の看板に小さな葡萄の彫り物がある。中は外から見るより明るく、使い込まれた木のテーブルがいくつも並び、香草と焼いた肉の匂いが鼻先をくすぐった。
「へぇ、この店は知らなかったな。二人はヴェルナードに来て長いの? シルバーに上がったと思ったら、ぱったり来なくなるんだもん。私、寂しかったわ」
セリナは袖で目元をこする真似をしてみせる。イリスが吹き出し、ボクは肩をすくめた。
「いや、それが色々とありまして……」
待ち合わせ前、イリスと「どこまで話すか」を軽く擦り合わせていた。セレフィア王の件は伏せながら、それ以外のことをかいつまんで話をした。話をしているとエールが運ばれてきて、三人で杯を合わせ、卓を料理が賑わす。
「ザイレムに行って、コウ君の生まれ故郷を守って、ねぇ……」
セリナが感嘆混じりに言うと、イリスが肩を竦めた。
「あなたたち、もうただの冒険者の域を超えてるわね。領主様の娘ともなると、大変だわね、イリスさん」
「ほんとそうなのよ。しかも、コウってばザイレムに行ったら調子が悪くなっちゃって。影狼の群れに囲まれたとき、私、本当にもうダメかと思ったもの」
「そのときはほんっとうにごめん!」
ボクは両手を合わせて頭を下げる。イリスはわざとらしくそっぽを向いて、でも口元はゆるんでいた。
「ふふっ。でも、あなたたちが楽しそうでよかったわ」
セリナの声はからかい半分、安堵半分。会話は滑らかに流れ、エールは何度かおかわりされ、皿はきれいに空になった。
やがて、イリスが席を外すタイミングが来た。
「セリナさん、何か飲む? 追加で飲み物、頼んでくる」
「私はあるからまだ大丈夫よ」
「ん、わかった」
そう言って席を離れるイリスの背中を目で追い、ボクは姿勢を正す。
「セリナさん。折り入って――セリナさんだけに相談したいことがあるんです」
声のトーンを落として口に出すとほんの少し頬を赤らめたセリナが、唇の端を上げる。
「あら、私に愛の告白? 久しぶりに会って、私の優しさと包容力に気づいちゃったとか?」
「いや、そうじゃないです。ちょっとここでは……」
言い切る前に、視界の端でイリスがこちらを振り返るのが見えた。ボクは早口で畳みかける。
「とにかく、お願いします! 明日、改めて。ご飯、ご馳走するので!」
「わかったわ。じゃあ、明日の夜ね」
飲み物を片手に戻ってきたイリスが、じろりとボクを見る。
「なに話してたのよ」
「いや、なんでもないよ」
「ふぅーん?」
納得していない声色。それでも、何か思い当たるのか、彼女はそれ以上踏み込まなかった。胸の奥に小さな棘が刺さる。隠し事をしている感覚が、心地よくない。だけど、今は。今だけは。
こうして、その日の夜は三人で思い出話と苦労話に華が咲き楽しい夜を過ごすことができた。
***
そして翌日の夜。イリスには「リゼから呼び出されて」と言い訳をして宿を出ると、同じ店の隅の席にセリナと向かい合った。人の出入りは多いが、ここなら人の耳は届きにくい。
注文を済ませ、杯を交わすとセリナはまっすぐボクを見た。
「で、イリスさんのいるところで話せない話って、なに?」
「えっと……どこから話せばいいのか……」
言葉を探す舌が、やけに重い。セリナは急かさない。静かに視線を受け止めて、待ってくれる。その沈黙に背中を押されるみたいにして、ボクはやっと一言を選んだ。
「“好き”って、なんなんでしょう?」
セリナの眉が一瞬だけ跳ね、それから「ぷっ」と小さく噴き出した。堪えきれず、肩を震わせて笑う。
「ちょ、ちょっと、セリナさん!?」
「あぁ、ごめんね。だって、あなた、その若さでシルバーまで駆け上がってるのに、悩むのは男の子らしいことなんだなって思って」
目尻ににじんだ涙を指で拭い、彼女は息を整える。
「それで、なんで急にそんなことを知りたくなったの?」
両手を組み、顎をのせる。そして瞳はまっすぐで、逃げ道を作ってくれない。
「えっと……イリスには言ってないんですが、とある女の子に“好きだ”って言われてて。でも、ボク、なんて答えたらいいのかわからなくて」
「ふぅーん。それで?」
「たしかに、その子のことは嫌いじゃないし、この手で守りたいと思ったんです。でも、それと“好き”って同じなのか、違うのか……よくわからなくて」
セリナはグラスを傾け、喉を湿らせる。
「ねぇ、コウ君。その話、なんでわざわざ、たまたま会った私に聞くの?」
ボクが言葉に詰まっていると、更にボクの心の奥底へと言葉をねじ込んでくる。
「もう少しストレートに聞くわね。どうしてイリスさんに相談できなかったのかな?」
言葉は優しいのに、真ん中を射抜いてくる。ボクは視線を落とし、テーブルの木目が波打っているのを眺めた。
「そ、それは……」
「迷ってるんでしょ。“その子”か、イリスさんか」
核心に触れられて、胸の奥のなにかがきしむ。逃げずに、頷くしかなかった。
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