終わりと始まり
玉座での戦いが終わったあと、その場の空気は重かった。
「今日は、休みましょう」
一番辛いはずのフローラがそう口にすると、各々は頷きそしてそれぞれの居場所へ、静かに戻っていく。
ボクは一番怪我がきつそうなリゼを宿まで送った。歩くたびに、彼女の長い影が石畳に揺れる。肩に回したボクの腕に、彼女は苦笑を落とした。
「コウに肩を借りるなんて。私もいよいよ引退か」
「何言ってるんですか、まだまだ現役ですよ」
軽く肘で脇腹をつつくと、リゼは本当に痛そうに悶絶して、息を吸うのも辛いって顔をした。
「いってぇ……やめろ、冗談抜きで今はやばい」
でも、ボクの肩を借りて歩くリゼは嬉しそうだった。
宿に送り届け、椅子に座らせるとリゼは背もたれに身体を預け、一息つく。そして、ふいにリゼは口を開いた。
「強くなったな、コウ。よくやった」
その言葉にボクは照れ隠しで笑いながら、とっておきの一言を返す。
「師匠がよかったんですよ」
彼女は珍しく言葉を探すみたいにはにかんだ。赤い髪が揺れて、いつも勝ち気なその眼が、今だけは優しく見えた。リゼのそんな顔を見たのは初めてだった。だからあの顔を見られただけで、がんばった甲斐があった、って胸の奥で小さな火が灯る。
***
ボクはリゼに別れを告げ、そして自分の宿に戻って荷物を床に置く。時間的にこの部屋を出てそこまで長い時間が経っていたわけではない。でも、しばらく部屋を開けたみたいに、この半日は重く、長く感じた。
(イリスにも声を掛けなきゃな)
そう思った矢先だった。扉が乱暴に開く。ノック? そんなもの、イリスには似合わない。
「ちょっと、コウ! 無事だったのね」
胸元を掴まれて、前後にがっくんがっくん揺さぶられる。
「帰ったのなら、ちゃんと報告に来なさいよね! さすがに心配してたんだから」
「あ、ご、ごめん。荷物を置いたらすぐ行こうと思ってたんだけど……」
イリスはハッと我に返って手を離し、くるりと背を向けて、消え入りそうな声が落ちる。
「……無事でよかったわ、本当に。終わった……のよね?」
「うん、終わったよ。ちゃんと。ただいま、イリス」
“終わった”の一言でイリスは全てを理解したようだった。そして、ただいま、と口にして初めて――本当に終わったんだ、と実感が波みたいに押してきた。
「終わったんだ、本当に……」
「えぇ、そうね……フローラに出会い、ザイレムに行き、セレフィアの国を邪鬼から守り……長かったわね」
そういったイリスは再びこちらを向くとまっすぐにこちらを見つめて言った。
「あんたにしては、よくがんばったじゃない! さ、今日は私の奢りでぱぁーっと飲むわよ」
その不器用な優しさに、ボクの胸はまたぽかぽかした。
***
その後、事後処理のために何度も城へ呼ばれ、リゼ、フローラ、ガレド、そしてボクの四人で話し合いが続いた。玉座の間で起きたことは、王の邪鬼化による混乱を最小限に抑えるため、口外無用――この四人だけの秘密にする、と決まった。王は心不全による突然死として弔う。
もちろん、至る所にできてしまった玉座の間の破損はボクらが修理できるわけがない。だから王の死と、玉座の間の大規模な修理が同じタイミングで起きたことで尾びれ背びれがついて噂を呼ぶかもしれない。それでも、事実をおおっぴらにするよりかはよっぽどマシだろう、という判断だった。
先王の葬儀は国を挙げて厳粛に行われた。国民の心情は、王を失った不安と、戦争を先導していた王の交代に対する戦争終結への期待が入り交じっていた。だからこそ、フローラは並行して王位継承の手続きは信じられない速さで進めていた。――いや、正確には、その速さの裏では数多の思惑が絡み合い、擦れ合い、火花を散らしていたのだろう。フローラ自身、目の下に薄く影を落としながら笑ってみせた。
「正当な継承権者は私ひとり。けれど“正当”と“納得”は別物なのね」
しかし、それでもなんとか一つにまとめあげる彼女の力量はやはりすごいのだろう。
戴冠の日取りが決まり着々と式典に向けた準備が進む。玉座の間の改修を機に、これまで軍費に回していた予算を城の改修にあてた。城の廊下は新しい絨毯の毛羽立ちの匂いと、匠たちが運ぶ金具の乾いた音で満ちていった。古い紋章は磨かれ、破れた垂れ幕は交換され、壁のひびには白い漆喰が走る。外見の修繕は目に見えて進み、先王の葬儀から日が立つと、次第に新たな王の誕生へとヴェルナード内はにわかに活気づいていた。
その騒動の重要人物であるはずのボクは、そんな様子を人ごとのように考えながら石段を降りている。ふと目を上げると、外庭の空気がやけに澄んでいるのに気がついた。雨はとうに止み、雲間からこぼれた光が、植え替えられたばかりの白い花の縁を細く縁取っている。新しい王国のはじまりと、亡き王の影が、同じ風で揺れていた。
(フローラ、がんばって)
ボクは心の中で励ますとボク達の日常である雑踏の中へと今日も歩き出した。
***
壮大に行われた戴冠式に、ボクは国民の一人としてお披露目のパレードをするフローラをひと目みるだけだった。大衆の前に向かって手を振るフローラの姿は、ザイレムまで一緒にいった彼女とは全く別人のようで、遠い世界の人のように見えた。
ただ、パレードで手を振る彼女と一瞬だけ目が合った気がするのは、勘違いかもしれないが大衆の中でもボクだけ特別視をしてくれているように感じて嬉しかった。
そして戴冠式終了の翌日、フローラから呼び出しがあった。いつもの打ち合わせ室に向かうと、入口で彼女が首を振った。
「今日は、ここじゃないんだ」
案内されたのは、城の最奥。廊下の突き当たりに、他の部屋の壁とは違う厚い扉がひとつ、静かにそこに在った。
「元々、お父様の部屋だったんだ」
重たい扉を開け、中に入ると、天蓋付きの大きなベッドが目を引いた。けれど、部屋全体は驚くほど余白が多い。豪奢というより、静謐。必要なものだけが、必要な場所に。人が人で在るために選び抜かれた最低限――そんな印象だった。
「私がこの部屋にきたときにはね、もうほぼこの状態だったんだ」
言われてあらためて見渡すと、確かに生活の気配は薄い。誰かがそこにいた、という温度が、あまり残っていない。
「きっと、いつ自分がいなくなってもいいようにって、少しずつ整理してたんだと思う。でもね……」
フローラはベッドに近づくと、その上にある小箱をそっと抱き上げた。
「これ、見て? お父様、これだけはずっと取ってくれてたみたい。枕元の壁際に、箱にしまって飾られてたの」
箱の中には、小さな花の冠。色はとうに褪せ、花は乾いている。それでも、編み目の一つひとつに、幼い手の不器用と、精一杯の娘の気持ちがそこには漂っていた。
「流石に中の花は枯れちゃってるけどこれだけは大切に残してくれてたみたい……お父様の目には、あの頃のまま、花が咲き乱れてたのかな」
フローラは箱の中の冠に視線を落とす。
「そうだね。きっと、お父様は、向こうの世界に行ったら、お母様と一緒に花の国の王になってるかもね。フローラが作ってくれた、この冠のおかげで」
「そう、だね……そう、だといいな」
フローラは少し目を伏せ、かろうじて微笑んだ。
「私はまだ向こうにはいけないけど、向こうでは幸せになってほしいな」
その言葉に、ボクはゆっくりと首を横に振った。
「フローラ、“向こうでは”じゃない。“向こうでも”だよ」
彼女の翡翠の瞳に、驚きが灯る。
「だって、この世界にも、こんなに大切なものを作ってくれたフローラがいたんだよ。そんな世界が、幸せじゃないわけないよ」
ボクの言葉に、フローラは小箱を胸の前で抱えたまま、指先にそっと力を込める。
窓のカーテンが風にふくらみ、ほどけて、また元へ戻る。フローラの喉が一度だけ上下すると視線が箱から離れ、ゆっくりとボクに戻ってくる。
翡翠の瞳が、泣き顔とも笑い顔ともつかない光を帯びた。
「……もう、コウ。ずるいよ、本当に」
言うなり、彼女はボクの腕を掴み、胸元に顔を埋めた。肩口に、小さな嗚咽が触れる。
(こういうとき、どうしたらいいんだろう)
わからない。けれど、ボクは彼女の頭に手を添え、自分の胸にそっと押し当てた。シャツが、涙で静かに濡れる。
フローラの嗚咽だけが、部屋に静かに響く。先王も近くから見守ってくれている気がした。
どれくらい時間が経っただろう。フローラが「ありがとう」と言って顔を上げた。濡れたまつげの向こうで、潤んだ翡翠色の瞳が、まっすぐボクを映している。いつもより、ずっと綺麗だった。
「ねぇ、コウ。ヴェルナードに戻って、二人でご飯を食べに行った時に言ってくれたこと、覚えてる?」
突然切り出された話題に、ボクは少し驚きながらも答える。
「うん。もちろん。ボクの力を、フローラと、お父様のために使ってほしいって言ったことだよね?」
「そう。そのことなんだけど……」
少し何かを考えるように言葉を探しているようだった。
「それって、お父様のことが済んだら、もうおしまい?」
フローラはくるりと後ろを向き、窓辺へ歩いた。薄いカーテンが、秋の風で波打っている。
「えっと……もちろん、ボクが何かフローラの力になれるんだったら、力を貸すよ」
背中に向けて答えると、彼女が小さく呟いた。
「もう、そんなんだからイリスもあんなのなのよ……」
聞き取れなかった言葉の尻尾が、風に紛れる。フローラは振り返り、両手を後ろで組んで少し前屈みになった。
「じゃあ、さ。私の隣に、ずっといて。私の、心の支えになって」
「え……?」
時が止まった。胸の内で歯車が空回りして、言葉がぜんぶ白紙になる。
(心の支えになるって……単純に力を貸すって意味じゃないよな)
フローラは、やっぱりか、という顔をして小さく笑った。
「もう、本当に鈍いんだね。コウ、私は、コウのことが好きなんだよ。ザイレムでの道中から、好きなの。角猪から助けてくれたあのときから、ずっと」
「ほ、ほぇ!?」
情けない声が、変なところから飛び出した。数歩、後ずさる。頭の中で文字がばらばらに砕けて、言葉にならない。
「もう、戦ってるときのコウはあんなにかっこいいのに、こういう話になるとからっきしダメだね」
「だ、だって。こんなこと言われるの、はじめてだから……」
フローラはボクに一歩近づき胸を指でトン、と押した。それだけでボクはよろける。戦場の一撃より、効く。
「いいよ、コウ。今ここで答えが欲しいとは言わない。それに、ちゃんと決着をつけた方がいいこともあるだろうし」
(決着……?)
ボクはフローラの意図していることがわからないまま時だけが流れる。
「でも、いつまでも待ってるとは思わないでね」
「うん……ありがと。ちょっとだけ、時間もらえると嬉しいかな。ちゃんと、考えたい」
今は、何を考えたらいいのかすらわからない。けれど、急いで答えを出すべきじゃないことだけは、はっきりわかる。
「わかった。待ってるね」
フローラはなにかが吹っ切れたように笑う。
「でも、これだけは受け取って。ありがとうのお礼の気持ち」
背伸びを一つ。彼女の唇が、そっとボクの頬に触れた。
窓から吹き込む風が、純白のカーテンを揺らす。先王の在任中、ここに恋の香りが漂ったことはきっと一度もなかっただろう。
箱の中の花の冠が、風でかすかに揺れる。枯れてもなお、編み目の奥でほどけないもの――絆とか、祈りとか、名前をつけるには照れくさい何かと共鳴するように。
ボクは頬に残る温度に指を添え、ゆっくり息を吐く。
王は去り、王が立つ。戦いは終わり、また始まる。
そして、ボクの物語も。
これにて第9章完結です!
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