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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
第9章 新たな仲間

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玉座の間での戦い

 セレフィア王から迸る邪気が、肌を薄く刺した。


 リゼの呼び声を聞きつけ、フローラが扉を押し開ける。重厚な扉は空気を押しのけ、フローラの視線がまっすぐ奥へ走る。そしてその眼は、全身を覆う黒の気が父の形をした何かに纏わり付いているのを捉えた。ほんの一拍、彼女の動きが凍りつく。けれど次の瞬間には、玉座の間の入り口で受け取った二振りの武器を抜き、迷いなくこちらへ放っていた。


「フローラ、ありがと!」


 ボクは片手剣の柄を確かに握り、リゼは背丈ほどもある大剣を片手で受け取って肩に担ぐ。二人同時に一歩前へ。黒の気を纏った王――邪鬼と化したセレフィア王を正面に捉えた。


「元・最年少の騎士団長と、黒の器か。……相手に不足はない!」


 王の足が一度、床を踏み込む、そして次の瞬間にはリゼの眼前に迫っていた。抜剣の一閃が風を裂き、真正面からリゼの首筋を狙った。


 ガキィィィィン――!


 火花が散る。間一髪、リゼは大剣の腹で受け流したが、ギリギリだった。そして王の刃は横薙ぎへ転じ、さらに深く、速く、二の太刀が放たれた。


「させない!」


 ボクは白の身体強化の気で一気に距離を詰め、二人の間へ割って入る。真横から迫る刃を、剣先で上へ払う。硬い衝撃がボクの腕を襲ったが、同時にセレフィア王の刃筋も天に逸れて胴に隙ができた――そして、そこにリゼの大剣による渾身の一閃が唸る。


 ――しかし……


「――ちっ、小賢しい!」


 セレフィア王の纏う黒い気が蠢く。王の胸あたりから、黒い気が絞り出されるように伸び、瞬く間に二本の「腕」が形を取った。そして片方の黒の腕はリゼから繰り出された大剣を横から叩き落とし、もう片方で彼女の腹部を力任せに殴り抜く。


「ぐふっ――!」


 腹の底をえぐる鈍音。リゼは完全に予想外からの一撃により受け身も取れず、床を転がって柱に叩きつけられた。


「リゼさん!?」


 ボクがリゼに声を掛ける。が、それとほぼ同時にフローラから警告が飛んだ。


「コウ、危ない!」


 フローラからの声で目の前に意識を戻すとセレフィア王の黒い足が視界の端から迫る。反射で左足を上げ、土踏まずで蹴りを受けた。骨に響く重さ。しかし、その蹴りの衝撃を利用してボクはセレフィア王の足を踏み台にくるりと背中越しに一回転しながら後退し、距離を作る。


「人の心配をするとは――まだ余裕があるらしいな。さすが、黒の器」


 王の声はボクの腹の奥までよく響いた。


(……長年、邪気を使いこなしているだけある。人とは攻撃の起点が違いすぎる。対人戦の経験がまるで通用しない)


 視線の端でリゼを確認する。息はある。だが身をくの字に折り、立ち上がれる様子ではない。先ほど吹き飛ばされたガレドも、壁際で膝をつき、歯を食いしばっている。


(やるしかない。ボクが――フローラを守る)


 息を短く吐く。剣を構え直し、かすかに震える刃先を制した。


「フローラを、悲しませるお前を――ボクは許さない」


 フローラを悲しませている怒りと、守りたいという思いをあわせると白の気に、黒が差す。


「何度でも言おう。ならば、抗ってみよ」


 セレフィア王の言葉を合図に、ボク達は同時に地を蹴り互いの影が中央で重なった。気と気がぶつかりその場で空気が爆ぜる。交わる剣を片手間に、王は黒い腕を使って、ボクの死角から殴りつける。


「残念ながら、ボクにはそれは効かないよ」


 黒い拳が、ボクの頬に届く寸前で――溶けた。白と黒が混ざったボクの気に触れた瞬間、形が崩れ、湯気のようにほどけて、ボクの気に飲まれる。そしてその代わりに、ボクの身を纏う気が一枚、また一枚と厚くなる。


「な、何……!」

「ボクは怒りを恐れない。悲しみを恐れない。受け入れた。――だから、あなたの怒りも、悲しみも、ボクが受け入れる」


 交えた剣から、じわりとボクの気が伝わる。刃と刃が触れ合うその接点に、ボクの気が流れ込み、王の黒い気を内側から削っていく。セレフィア王の黒い覆いがわずかに薄くなり、剣にかかる圧は確かに軽くなった。


 王は舌打ちし、刃を離して後ろへ跳ぶと、足元に影を撒いた。影が蛇のように伸び、床面から背丈ほどの黒い棘がいくつも生え、そしてボクに向かって襲いかかる。迫る突起を、ボクはものともせず、真正面からぶつかり、その気を吸収しながら間合いを詰める。


「だから、邪気はボクには効かないっていってるだろう!」

「押し切るつもりか? 黒の器!」


 王が吼えた。その声には先程までの余裕はない。明確な焦りが見えた。しかし、それと同時にボク自身の体も少しだけ気怠さを感じる。


(調和気で、吸収しきれてないってことか……)


 ボクの体の中で調和しきれない邪気が蓄積していくのをたまっていくのを確認しながらも、セレフィア王の気にほんの僅かな揺らぎが見えた。その一瞬の“空白”。ボクは一歩を目がけて深く踏み込む――


 壁を背にし後がなくなったセレフィア王はボクの剣を否応なく剣で受ける。しかし、明らかにそこに最初の勢いは無くなっていた。


 決着は、一瞬だった。


 ボクの刃とセレフィア王の刃により発生した圧は、ボクが身をかがめた瞬間、セレフィア王の意図しない形で不意に抜け、そして次の瞬間には再び剣に圧を込め、今度は真上に圧を流した。完全にセレフィア王の制御を失った剣はボクの剣により打ち上げられ、胸元へ“隙”を作る。


(ためらうな)


 ボクは自分自身に言い聞かせ、両手で柄を握り直し、足を一歩強く踏み込む。そしてセレフィア王のみぞおちに剣の腹を叩き込んだ。


「……っ、は――!」


 肺の空気が口から吐き出され、血しぶきが舞う。王の体はくの字に折れ、片膝を床についた。セレフィア王を覆った黒い気は薄氷のように薄く溶けていく。


 すぐさま背へ回り込む。片腕で首を極め、もう片手で胸骨の上に掌を置く。白と黒の気を、掌から深く流し込み王の中に残る邪気を、最後の一滴まで吸い尽くした。


(くっ……流石に、これ以上はまずい……でも、人としての“王”だけ、残せないか……)


 自分の体の状態やセレフィア王への淡い願いは、いったん胸の奥底へ隠した。邪気が抜けるたび、髪が、少しずつ色を失っていく。元々黄色がかったセレフィア王の髪は、気がつくと色素が抜けて真っ白になっていた。皮膚も張りを失い、みるみるうちに皺が刻まれていく。


 それと同時に、腕の下で抗う力が、急速に弱まり、最後には全く力を感じなくなったため押さえを解く。王は静かに横へ身を転がし、仰向けになる。白目はもう黒くない。翡翠色の瞳が、天井の光を映した。


「お父様……!」


 終わったのだと悟ったフローラの靴音が駆ける。フローラは膝をつき、身を屈め、父親のその手を握る。


「あぁ……フローラか。これで、やっと、あいつのところへ行ける……」


 王は定まらぬ視線で天井を見つめ、力の抜けた笑みを口元に浮かべた。


「お前の母親を失ったあの日から、私は“人”ではなかった。最初は、力に任せて……思いのままにできることに、酔った。やっと、この国を守る力を手に入れたと、思った」


 昔話をするかのように、ゆっくりと、過去を振り返りながら話す。そして、セレフィア王は自分の手を、ゆっくり開く。邪気の黒が、もうどこにもないことを確かめるように。


「だが、次第に“守る”以上のものを欲した。国益を、他所から奪おうとした。……欲は、止まらなかった」


 セレフィア王の翡翠の瞳が遠くを見つめる。


「邪鬼になると、欲望が体を支配する。だが、それにも“波”がある。正気に戻った時ほど、辛いものはなかった。何度も、邪鬼に殺してくれと願った。だが、『お前が死を選んだ瞬間、俺たちがセレフィアを統治する』と告げられ……この国を守る術を見つけるまでは、死ぬことすら許されなかった。――そこへ、お前が現れた」


 視線がゆっくりとボクへ向く。やわらかく、短く笑う。


「フローラが君を招いたとき、すぐに“黒の器”だとわかった。ようやく……肩の荷が下りたと思った。これで……役目が、終わると」


 言葉はささやきへ変わっていく。王の輪郭から、黒い塵がふわり、ふわりと浮き始めた。風もないのに、空気の流れに従って広がっていく。


「止めてくれて……ありがとう……礼を言う……」

「はい……」


 ボクには、返事をすることしかできなかった。そして王の命の灯火が、今ここで消えかかろうとしていた。


「フローラ……この国は、任せた。お前なら、上手く……やれる」


 伸ばされた手が、フローラの髪に届く。かすかに撫でる。――その手から、力が抜けた。


「お父様。お父様……!」


 フローラは自分の髪に触れた父の手へ、自分の手を重ねる。だが、触れた指先はもう温度を持たない。邪鬼に侵された身体は、黒い塵となって静かに崩れていく。


「愛してるよ、フローラ。……そして、セレフィアの、すべての民も。私は、この国の王に――なれて、よかった……」


 その最期の言葉は、石壁の間で柔らかく反響し、やがて黒い塵とともに消えた。

 これが、セレフィア王の最期だった。


「お父……様……」


 フローラの指先が、いつまでも自分の髪を撫でた父の“手のあった場所”を探す。存在の痕跡だけが、温度も重量もないまま、その場に残る。ボクは剣を収め、そっと一歩だけ近づいて、彼女の肩へ触れようとして――やめた。いまは、彼女の時間だ。彼女が、王である前に娘でいられる、ほんの短い時間だ。


 広間に、静寂が降りた。


 黒い塵は光を帯び、きらきらと舞って、見えない窓の外へ吸いこまれていった。


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