旅立
「――出発は…… そうだな、昨日の疲れも抜ける三日後にしようか」
リゼは焚き火の前に座り、湯を沸かしながらそう告げた。
(そっか、あと3日か……)
ボクは、リゼと離れる寂しさの中にほんの少しだけ入り交じった旅立ちの喜びを胸の奥に感じながら頷いた。
「はい、わかりました……」
全身の疲労は、まだ抜けきっていない。
邪鬼化した山の主との戦いは、心も体も限界まで使い果たした感覚が残っている。
「今は体を休めろ。無理に気を練ったり、剣を振ったりするな。鍛錬は、お前が歩き始めた先でも続けられる」
リゼはそう言うと、湯呑みにお湯を注いで渡してくれた。
手に持つ湯呑みの感触が、妙に温かかった。
翌朝、ボクは身支度を整えた。
と言っても、旅の荷物らしいものはほとんどない。元いた村からは、ほぼ身一つで出てきたし、これまで山で修行してきたため、手持ちの物は限られている。
剣、気を練るための道具、少しの着替え、保存食。
(意外と、旅ってシンプルなものなのかもな……)
すると、山小屋で準備をしていたボクにリゼから声が掛かる。
「ちょっと山を降りてくる。戻るまで一人だが、無茶はするなよ」
「はい、お気を付けて」
ボクは頷く他なかった。
(――できることなら最後の3日間くらい一緒にいたかったな……)
これまでも、リゼは修行期間中に何度か山を下って何やらしているようだったが、このタイミングでいかないといけないなんて間が悪いな、と悪態をうつ。そんなボクの気を知ってか知らずか、リゼはボクの肩を叩く。
「まぁそう悲しそうな顔するなって。 今生の別れってわけじゃないんだから」
そう告げたリゼの声には、わずかに笑みが混じっていた。
(これは…… フラグ…… じゃないよな……?)
そんな心配をよそに、リゼは「んじゃ、行ってくる」とだけいって、いつもと変わらぬ様子で山を降りていった。
***
リゼがいなくなった後、ボクは山を歩き、修行の日々を思い返した。
あの岩場では、初めて気を剣に込めて振った。
あの川辺では、五行の気を学び、水の流れを手に取る練習をした。
小さな広場では、何度もリゼに打ち倒され、立ち上がることを覚えた。
歩けば歩くほど、ほんの少しの辛い思い出と、それ以上の熱いものがこみ上げてくる。
「あぁ、充実した4年だったな」
森の奥、古い木の根元に腰を下ろした。
ボクは静かに目を閉じ、深呼吸をする。
(ボクは……ここで、何を学んだんだろう)
思い浮かぶのは、最初に気を暴走させたときのこと。
自分でも制御できない力があふれ、リゼを傷つけかけた。
あのときの恐怖。自分が自分でなくなる感覚。
それは、今も胸の奥に残っているし、昨日の一件でより強く自覚できるようになっていた。
目を閉じ、森全体を全身で感じる。すると、そこには少し明るくなった暗闇の中に幼いボクがいた。
(幼いボク……)
心の中に、小さな自分の姿が浮かんだ。
「やぁ」
ボクが声を掛けると、膝を抱えた幼いボクはこちらを振り返り、ぺこりと頭を下げる。
改めて見てみると、最初に会ったときに比べると、今のボクに年齢が近づいていた。でも、今日の幼いボクの顔には少し陰りが見える気がする。
「どうしたの? ちょっと元気がないみたいだね」
幼いボクは首を横に振るがそのまま口を開かなかった。
ボクは彼の横に座り、しばらく、無言の時が流れる。
どれくらい時間が経っただろうか。幼いボクはぽつりと口を開く。
「――リゼ、このままいなくなったりしないよね……」
「うん、大丈夫だよ、いつも山を降りていたこともあったしね」
まるで自分に言い聞かせるように、いや、たしかに自分に言い聞かせているのか。幼いボク自身に伝える。
「でも、あと3日しかいないのに、こんなタイミングでいかなくてもいいじゃん……」
「きっと、リゼにも何か事情があったんだよ」
(違う……きっとそういうことじゃないんだ……ボクが、ボク自身に伝えないといけないのは……)
「リゼは、邪気に飲み込まれそうになったボクを危ないと思って、それで、他の人を呼びに行ったんだよ」
ボクの胸の奥に小さないくつもの棘が刺さる。小さな頃、村の人、両親から投げかけられた無数の言葉の刃が再びボク自身を傷つけようとしている。
(何を…… 伝えたらよいんだろ……)
しばらく、静寂が二人の間に訪れる。
(――リゼは、いつもボクに何を伝えてくれていたんだろう。どんな風に声を掛けてくれていたんだろう)
ボクは出会ってからこの4年間でリゼがかけてくれた言葉を、そして気持ちを思い出す。胸の奥の方に突き刺さっていた棘が、少しずつ「優しさ」で溶けているのがわかる。
そして、ようやく言葉が出てきた。
「大丈夫。それでも、ボクはキミをちゃんと守るから。いつでも側にいるから」
幼いボクの真正面から伝える。
「あと、どんなときでも、キミの味方だから」
「――お兄……ちゃん」
涙がこぼれ落ちそうな瞳を浮かべる幼いボクの頭をそっと撫でる。すると、涙とともに幼いボクから言葉と気持ちがあふれ出す。
「リゼが、残り少ない時間なのに一緒にいてくれなくて、さみしかった、不安だった……急に心の中の黒い塊が大きくなって、ざわざわし出して、まだ暴れ出しちゃうんじゃないかって……」
「うん、そうだね……昨日も、そして今日もいろんなことがあったもんね。不安になるよね」
ぎゅっと幼いボクを抱き寄せると、幼いボクはボクの上着を力一杯握りしめ嗚咽する。
(そっか…… ボク、不安だったんだ……)
だから、リゼが山を降りると言ったときに胸がざわついたんだな。でも原因がわかると、少しだけ心が軽くなった気がする。
「ボクは、キミのおかげでここにたっていられるんだよ? 黒い気に飲み込まれそうなとき、キミがボクを支えてくれたんだ」
(そう、キミの心が強くあればあるほど、ボクの心も安定するんだ)
その言葉に、幼いボクは顔を話、ボクを見上げる。
「変な話だね、お兄ちゃんはボクなのにね」
そういった幼いボクは、少しすっきりした顔をして微笑んだ。
「これからね、ボク、リゼとしばらく離れてもっと色んな人と出会うことになるんだ。そこでね、これまでみたいに、またひどいことを言われるかもしれない、辛いこともあるかもしれない」
ボクは一呼吸、息を吐いて、力強く伝える。
「それでも、キミのことを絶対に守るよ」
そして、幼いボク自身に微笑み、伝える。
「だから、辛いことがあったら、我慢しないでボクに教えてね。 いつでも、話を聞くから」
その言葉に、幼いボクの顔はぱぁっと花が開いたように明るくなる。
「うん、絶対だよ! 約束!」
その言葉が遠くに聞こえながら、ボクは光の中に包まれそして意識を失った。
(ありがとう……)
ボクの胸の奥が、じんわりと温かくなる。
***
リゼが出発して翌日の夜、夜の帳が下りる頃、リゼが山小屋へ戻ってきた。
「ただいま。……思ったより荷物が多くなってな」
肩に大きな包みを担いだ、リゼは軽く笑っていた。
「いよいよ、今日で最後の夜だな」
「本当にこの4年間、ありがとうございました」
ボクは改めて、感謝の気持ちを素直に言葉にして頭をしっかりと下げる。
焚き火を囲み、準備しておいた干し肉をリゼとともに食べる。
(今日で、最後か……)
ボクがしんみりした気持ちで干し肉をかじっていると、リゼはおもむろにボクの前に持っていた大きな包みを差し出す。
「ほら、これ、餞別だ」
「えっ?」
ボクは驚き、リゼの顔を見返すと、その顔は意地悪く笑っていた。
包みを開くと、見慣れない布が入っていた。
「……これ、なんですか?」
「冒険者用のマントだ。耐久性が高くてな、多少の攻撃や悪天候にも耐えられる。街で用意してきた」
表面は黒く、裏側は革の色がそのまま使われていた。軽いのに、簡単には破れそうにない不思議な素材だった。
「付けてみろ」
ボクは立ち上がり、肩に当ててみるとリゼはマントをボクの肩にかけ、少し手直しをするように肩口を整えた。
「あとは、これだな」
小さな短剣が差し出される。
刃渡りは短いが、作りは頑丈そうで、装飾が控えめで美しい。
「護身用だ。剣の気が練れない状況だって、これがあれば逃げ道は作れる」
「それに、白い気は目立つ。人目のあるところでは極力使わない方がいい。黒の器は何かと狙われやすいんだ、気をつけろ」
ボクは驚いた顔をした。
「……こんなに色々……」
リゼはニヤリと笑う。
「まだ終わりじゃないぞ? といっても、これで最後だがな」
そういって、リゼは手元から銅でできたプレートを差し出す。そこには「コウ」と言う名前が彫られていた。
「これ……アクセサリー?」
ボクは何かわからず聞くとリゼは大げさにずっこける。
「お、お前、それは流石にないだろ! 一番喜ぶと思ったのに」
「だ、だって、なにかわからないものはどうしようもないじゃないですか」
ボクは必死に弁明すると、リゼはやれやれといった顔をしている。
「これは冒険者ランクを示すプレートだ。 お前の冒険者ギルドの登録、済ませておいたんだ」
「こんなことまで……」
ここまで嬉しい出来事が1日にこんなにいくつもあってよいんだろうか。明日、起きたら死んでるとかないよな。
(そっか、だからこのタイミングで山を降りたんだ)
“最後くらい一緒にいたい”という自分勝手な言い分を恥ずかしく感じつつ、でも、リゼの思いをこれでもかと感じることができた。
「愛弟子の旅立ちだ、これくらいは用意しておかないとな」
リゼはまるで当然のことのような言い分だったが、少し得意げに、そしてどこか照れくさそうな顔をしていた。
その夜、リゼはボクの髪を切ってくれた。
旅立ちに向けての仕上げ、いわば儀式のようなものだ。
「動くなよ、耳切っちまうぞ」
「は、はい……!」
ボクは思わず笑ってしまう。
髪を切る音、外の風の音、焚き火のはぜる音――全てが心に焼き付いていった。
夜も更け、焚き火を囲んでリゼと向き合う。
「リゼさん……これからは、どうするの?」
ボクが恐る恐る尋ねると、リゼは少し遠くを見つめた。
「私は……昔の弟子と向き合わなきゃならない。あいつはもう、手遅れかもしれないがな」
「昔の……弟子?」
「お前が気の剣で斬った鉄の剣、覚えてるか?」
ボクはこくりと頷く。
「あれ、もともとはあいつの剣だったんだ」
ボクは驚き、言葉を失った。
「そんな大切な剣を……なんで……?」
リゼは遠い目をしながら、かぶりを振る。
「あれでよかったんだよ」
リゼは笑った。
その表情には、どこか寂しさと期待が入り混じっていた。
(あ、そうだ。忘れてた。今しかない)
ボクは口を開いた。
「リゼさん……また、修行をつけてくれる?」
リゼは目を見開き、驚いた顔をした。
「お前に私が教えられることなんて、もう何も残っちゃいないよ」
「リゼさん、忘れたとは言わせませんよ?」
リゼは何のことかと鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「あの剣を斬ったとき、なんでも要望を叶えてくれるって言ってましたよね!」
「お、お前、あんな昔のことを今引っ張り出してくるなんて、卑怯だぞ!」
リゼは少し慌てた様子だった。
「卑怯でもなんでも、結構です! 約束ですからね!」
ボクが意地でも引かない様子をみると、リゼはふっと笑う。
「しょうがないな、いいだろう。 ……ただし、そのときは私を超えてこい。それが条件だ」
ボクはこくりとうなずき拳を強く握った。
(絶対、強くなって、そしてリゼの元に戻ってくる……!)
***
旅立ちの朝、空は青く澄み渡っていた。
リゼが小屋の前で、腕を組んで立っている。
「行ってきます!」
ボクが笑顔でそう告げると、リゼは少しだけ目を細めた。
「覚えておけ、コウ。……次と剣を交えるときは、私は本気だ」
ボクは力強く頷いた。
背中に新しいマント、腰に短剣、胸の奥に熱い光。
こうしてボクは、初めての冒険へと歩き出した。
これにて1章終了です!第2章からようやくヒロインが登場しますので乞うご期待です!
ブクマ、評価、感想をいただけると作者の励みになります!
お気軽にいただけるととても嬉しいです。