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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
第9章 新たな仲間

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締結

 大机の中央、フローラが切り札として持っていた両陣営の間に広げられた紙面には、事前に整えた条項案が並んでいた。停戦の起点と期間、軍事同盟の範囲、そして条約締結後の通商や技術連携まで。両国にとって対等で、旨みがある内容としていた。


「ふぅーん、なるほどね」


 ユエンが顎に手を当て、視線を泳がせる。斜め向かいのカイエンは、短いあごひげを指先で撫でながら黙って目を通した。


「万が一、国王が“黒”だった場合は停戦合意。それから相互の対等貿易、物資支援、技術交流の再開……か」

「ここまで準備してきた意気は、確かに認める。十分、検討に値するわ。でもね……」


 ユエンが紙から顔を上げ、隣のカイエンへ視線を送る。


「ねぇ、カイエン。どうやらセレフィアは、本当の危機にまだ気づいていないようね。――ここまでの条件を出してくれた“礼”に、教えてあげてもいいかしら?」

「お前がそうした方が良いと思うなら、そうしろ」

「あ、そ。相変わらず釣れない返事ね」


 軽口に見せかけたやり取り。けれど内容の輪郭が見えず、ボクとイリスとフローラは無意識に目を合わせる。ユエンはわざとらしく小さく息を吐くと、あっさり口を開いた。


「あのね。あなたたち、この様子だと全く気がついていないようだから言うけど、本当は私たち、争ってる場合じゃないの。――もっと“巨大な敵”がいる。その存在を、セレフィアは本当に把握してないの?」


 ボクらは、言葉なく首を横に振った。フローラの緑の瞳が、かすかに揺れる。


「お前たちの国境の“北”だよ」


 先に口を開いたのはカグロウだった。そのまま、カイエンが続ける。


「北の山脈を越えた先に、邪鬼の“国”がある。できたのは、うちが国家を名乗って間もない頃だ。これまでは大きな動きは見せてこなかったが、ここ最近、周辺諸国で邪鬼の行軍と化身の発現が目に見えて増えている」

「邪鬼の……国」


 思わず繰り返した言葉が、自分の口から落ちるのを聞いた。


「セレフィアは、北の山脈が“盾”になる。そう考えて、意図的に警戒を緩めたのかもしれないわね。――あるいは、上層で情報が隠蔽されていたのか」


 ユエンの淡い声。フローラはそこまで聞いて、はっと口元を押さえた。


「まさか……お父様が……」

「どうやら、やはり意図的に“隠されて”いたようね」


 フローラは視線を落とし、指先がわずかに震えた。ユエンは言葉を継ぐ。


「私たちも、当然あなたたちの国境線すべてを把握できてるわけじゃない。でも一つだけ確かなのは――邪鬼の勢力が、海を隔てたザイレムにまで届き始めている、という事実」


 帝都の石壁の冷えた空気が、室内にも薄く流れ込んだような気がした。


(邪鬼の国……リゼが救えなかった、ボクの“兄弟子”が――)


「だから、この条項に一つ追加してほしいの」


 ユエンの指が紙面を軽く叩く。


「人類共通の敵――邪鬼との対峙に向けて。セレフィア王国は“黒の器”を提供し、ザイレム帝国は技術を提供する。そういう文言を、ここに」


 顔を上げると、ユエンと目が合った。彼女は笑っていなかった。その瞳は、こちらの腹の底をそのまま覗き込むように、まっすぐだった。


「そうか。――だから、あのとき」

「そう。あなたの力は、人間同士の“綱引き”に使ってる場合じゃない。おそらく、邪鬼王に正面からぶつかれるのは、今の世界であなただけ」


 両国から五つの視線が、同時にボクへ集まった。フローラがそっと一歩分だけ近づき、小さく息を吸う。


「コウ。国の事情に、あなたを巻き込むわけにはいかない。嫌なら、はっきりと断ってよね」


 イリスは何も言わず、けれどはっきりと心配の色を瞳に浮かべてボクを見た。彼女の無言の視線の重さが、背骨を支えてくれる。


 目を閉じる。フローラのこと。セレフィアのこと。ザイレムとの約束のこと。そして、リゼと“兄弟子”の残したもの。


(もし、ボクの力で、ボクの大切な人と場所を守れるのなら――)


 その眼を開いたときには、決意はもう固まっていた。


「わかりました。ボクで良ければ、最大限、使ってください」


 静寂。まず、ユエンがゆっくりと目を細め、口角を上げた。次に、カイエンが立ち上がり、手を差し出す。


「よし。――交渉、成立だ」


 フローラも立ち、カイエンの手を両手でしっかりと握り返す。握手は短く、力強かった。紙面の文字が、ただの線ではなく、現実の手応えに変わる音がした。


 ***


 その場で条項は清書された。王の“邪鬼化”が確定するまでは非公式扱いとすること、儀式に必要な魔導具の作成に数日を要すること、その間、ボクたち三人はザイレムの来賓として滞在を許されること――細部を詰め、印を押す。墨の香りが、部屋の空気を入れ替えた。


 打合せの後、ボク達は今後の段取りも協議した。


「前に話したとおり、ザイレムの技術を使えばコウ君はもっと自由に力を使えるようになるはずよ。黒の器は、穢気や邪気を取り入れて上手く活用できてこそ、その力を十二分に発揮できると言われているわ。そして、邪鬼や穢気の取り込みの要になるのが調和気なの。だからセレフィア王国が落ち着いたら穢気が多いこちらに滞在して穢気を管理する技術を学ぶと良いわ」

「わかった」

「それと、北部で勢力を拡大してる邪鬼の群れがある。そこには、邪鬼の幹部と思わしき存在も確認しているわ。邪鬼王との実力差を見る上でも、その討伐をお願いしたい。……もちろん、礼はするわ」


 ザイレム側とやるべきことを整理したあと、宿に戻った三人で短い会合を開いた。フローラが真っ先にボクへ向き直る。


「コウ。今回は本当にありがとう。……でも、本当によかったの?」

「うん、いいんだ。一番つらいのはフローラでしょ? ちょっとでも、手助けになるなら、ボクの力はそのために使いたい」

「まったく、あんたは相変わらずね」


 イリスがわざと顔を背け、ため息混じりに言う。


「この国の葡萄酒にもそろそろ飽きてきたわね。セレフィアの料理が恋しいわ」


 フローラがくすりと笑った。


「この三人でいるの、私は楽しい。――でもイリスは、そんなことない?」

「そ、そんなこと、ないわよ。ただ……そうね。最近グレナティスに帰ってないから、ふと、帰りたいなって思っただけ」


(イリスは最初、フローラに遠慮があったけど……ちゃんと距離が縮まってる)


 ボクは二人の何気ないやり取りを見ながら、自然と口元が緩むのを感じた。


 ***


 数日後、使いの兵が宿の戸を叩いた。ユエンからの知らせ――魔導具の完成だ。ボクたちは実験室へ向かう。扉を開けると、金属と薬草の混じる匂い。ユエンは既に机の前で待っていた。


「待たせてる間、ザイレムはしっかり楽しめた?」

「ええ。おかげさまで」

「ならよかった。――こっちへ」


 案内された机の上には、蓋付きの箱が置かれていた。透明な面越しに覗くと、四つ角に並んだ無色の水晶。その中央に、別の水晶が据えられている。芯の内で、黒い何かがゆっくりとうごめいた。


「これは……」


 思わず漏れた声に、ユエンが頷く。


「あなたなら、分かるわよね。中央は“穢気”を集めた水晶。周りの四つは“枷”。穢気を外へ漏らさないように抑え込むための、簡易の結界に近い」


 イリスが身を乗り出す。


「これで、邪鬼かどうか分かるの?」

「分かる。邪鬼はね、本能的に穢気を前にすると“取り込まず”にはいられないの。しかも、そのときは“本来の姿”である必要がある。擬態のままでは、取り込みの経路が噛み合わないのよ」


 フローラが理解を確かめるように言葉を継ぐ。


「つまり、この箱を父に近づけ、もし父が邪鬼であれば――自然と擬態が解ける、ということですわね」

「そう。ただし使うときは、四隅の水晶――枷を外すこと。枷を外せば、中央の穢気が“薄く”滲み出す。そこから少しずつ穢気は空気に散っていくから、効果は一日ほどってところかしら」

「一日……」


 フローラが顎に指を当て、短く考え込む。父親の行動パターンと王宮内の動線、警備の目。彼女の視線が、素早くいくつかの可能性を素描していくのがわかる。


「わかりました。道中で具体的な手順は詰めます。――此度は、本当にありがとうございます」

「礼なんていいのよ。これは“契約”。上手く運べば、こちらにも利がある」


 ユエンはそう言いながらも、フローラが深々と頭を下げると、ほんの少しだけ目尻を和らげた。


「確かめた結果が出たら、すぐに知らせますわ」

「ええ。朗報を、待ってるわ」


(朗報、か)


 胸に、少し重たい言葉が引っかかる。ザイレムにとっての朗報は、つまりフローラの父が“黒”であること――国の収まりは良くても、彼女の心は容易に折り合いをつけられないだろう。


(ちゃんと、守らなきゃ。フローラのことを)


 ボクは改めてフローラが背負っている重たい運命を認識し、そう心に誓った。


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