突然の来訪者
リゼ、フローラ、そしてボクの三人は、客間の低いテーブルを囲んで身を乗り出すようにしていた。
議題はひとつ――どのタイミングでボクを陛下と“接触”させるか、である。
「正直、空気を確かめるだけなら十分に“すれ違い”で足りる」
リゼが指を一本立てる。
「顔を覗き込む必要もない。むしろ、ない方が自然だ」
「父は、王宮の中でも出入りする場所が限られています」
フローラの言葉は静かだが、そこに張り詰めたものがある。
「執務室、評議の間、私室……。側近以外が近づけない導線が幾つも敷かれていて、私ですら普段はなかなか顔を合わす機会がありません」
つまり、以前まで怪しいと思う人物やその一人である陛下と接触が叶わなかった理由は単純で、王の動線が“狭い”からだ。自然に偶然を装える場所が少ない。無理に作れば、逆に目立つ。
「さぁ、どうしたもんかね」
リゼが後頭部をがしがし掻いた、その刹那――
ざわり、と胸の奥が波立った。誰かが石を投げ込んだ池のように、ボクの中の気の水面が細かく震える。
(……何だ、この感じ――)
――コン、コン。
扉を叩く軽い音。従者が目配せひとつで戸口へ向かい、細く開けて外を覗いた次の瞬間、息を飲む気配が室内へ逆流した。
「ど、殿下……いえ――」
「何やら楽しげな声が聞こえると思ったら。フローラ、知人の皆様かね」
「お父様!」
まさか、会う段取りをこねくり回していた当の本人が自ら扉を開けるなんて――。
短く切りそろえた金の髪。その上に載るのは、装飾を抑えた重みのある王冠。翡翠色の瞳は、フローラと同じ色合いでありながら、どこか鈍く濁った光を湛えている。恰幅はどっしりとして、年の頃は五十ほどか。目の下に薄い隈。疲労の色か、それとも――。
陛下が数歩進むごとに、胸の警鐘が強まっていく。息が少し早くなる。けれど――相手はこの国の頂点だ。取り乱すわけにはいかない。
リゼが最初に膝をつき、深く頭を垂れた。
「これはこれは陛下、ご無沙汰しております。リゼでございます」
ボクも慌ててその所作をなぞる。
「お初にお目にかかります。コウと申します」
「リゼ、久しいな」
陛下の声は意外にも低く柔らかい。だが、その柔らかさの底に沈む微かなざらつきが、耳の奥に残る。
「それに――コウ、と言ったか。良い“気”の持ち主だな」
翡翠の視線が、リゼへと滑る。
「こやつは、そちが育てたのか?」
「はい。頼る先がないところを匿って以来、手前勝手ながら弟子に」
「そうか。良い弟子を取った」
陛下はわずかに頷き、短く言葉を継いだ。
「一度王宮から離れたときは残念だった。再びこうして王宮で会えて嬉しいぞ。引き続き、この国を頼む」
掴みどころのない笑みを一筋だけ浮かべ、「邪魔したな」と呟いて踵を返す。衣擦れの音とともに、陛下は来たときと同じ軽さで部屋を後にした。
扉が閉じ、足音が遠のいてゆく。ふっと、張っていた空気が緩む。けれど胸のざわめきは、なお尾を引いていた。
「……コウのことを、探りに来たな」
リゼがぽつりと漏らす。彼女の横顔は、冴え冴えと冷えていた。
フローラは動かない。王女である彼女は、父の残り香まで嗅ぎ分けるかのように、静かに目を閉じていた。ボクは手のひらで胸の鼓動を押さえながら、さっきまで部屋に満ちていた匂いを反芻する。香油、羊皮紙、金属、そして――薄い、薄いが、確かな“濁り”。
息を整え、ボクは紅茶の熱を喉に落とした。苦みが舌に戻ってきたところで、ようやく言葉が動き出す。
偶然を装うには、あまりに出来すぎた“偶然”。けれど、この邂逅で十分だった。顔を見る必要はない。触れずとも、すれ違うだけで、気は“語る”。
今回の邂逅はまるで「探っているのはわかっている」と言わんばかりだった。そして、コウが黒の器であることもおそらくばれているのだろう。だからこそわざわざ部屋にやってきた。
ボクは、今の出会いの意味を、噛み締めていた。
***
陛下の気配が完全に消え、胸の鼓動が落ち着いた頃合いを見計らう。フローラ、リゼは静かにボクを見つめていた。視線を感じたボクは口を開く。
「フローラ様。多分、陛下は――いえ、お父様は……」
喉の奥で、言葉が止まる。最後の一語が、どうしても出てこない。同世代の彼女にとって唯一の“父”を、口から否定するその重さに、舌が硬直する。
フローラが引き取った。短い息を吐いてから、静かに告げる。
「やはり、父はすでに“邪鬼”だと」
その確かさに満ちた声色に、ボクは静かに頷くしかなかった。リゼも続ける。
「匂いが違う。隠しているから薄いが、意識して嗅げば濁りが鼻につく。残念だが、な」
「では――やはり討つしかない、ということですね」
迷いのない言い切り。王女の瞳は凛として、震えない。
(やっぱりこの人、強いな)
胸の奥に小さな尊敬が灯る。
だがリゼは、ひとつ手のひらを立てて制した。
「ただな、今『陛下は邪鬼だ』って言っても誰も信じちゃくれない。陛下自身だって、否定するだろう。決定的な証拠がなけりゃ、こっちが反逆罪で縛られる」
「……なるほど。では、どうすれば」
フローラの問いに、リゼは「待ってました」と言わんばかりに腰袋から小さな水晶を取り出した。掌ほどの透明な塊。内部に灰色の靄が糸くずのように封じられている。
「こいつをネタに、ちょっと揺すってやりたい奴がいてね」
「これは……水晶?」
フローラが身を乗り出す。
「レオンハルトが身につけていた“らしい”品だ。周りには黙ってたが、こいつが穢気を溜めて、レオンハルトの邪鬼化を手助けした可能性が高い。で、こんなものを造れちまう技術力を持ち、且つセレフィア王国内部で混乱があったときに得をする相手……そういった現状を踏まえると、ザイレム帝国しか考えられない」
ボクははっとした。
「吸穢の祠にあった水晶と、似ている……?」
「厳密には別物だが、原理は近い。祠の方は大地を巡る穢気を“受ける器”――吸うだけ吸って溜める器だ。話に聞けば、あれも昔ザイレムに頼んで作らせた代物だとか。邪気や穢気についてこれだけ扱いに長けた国なら邪鬼を “見極める”道具だって、用意できるはずだ」
リゼは水晶を摘み上げ、灯りに翳す。
「ザイレムに行って、邪気を顕在化させる魔導具を作らせる。こっちはこの水晶――レオンハルトの邪鬼化の“工作”って線をちらつかせりゃいい。条件次第で、奴らは動くさ。向こうも大規模な戦争は望んでいないだろう」
「つまり、まずはザイレムに赴き、魔導具を調達。そのうえで父が“邪鬼”か否かを白黒つける、と」
「そういうこった」
リゼが頷いて、視線をボクへ向ける。
「コウ。お前、前回イリスと一緒にザイレムまで行ってるな。今回も行ってきてくれるか?」
(ユエンさんから“連絡してこい”と声をかけられている件もある……ちょうど、いい)
ボクは二つ返事で頷いた。
「わかりました」
そのやり取りを聞いていたフローラが、ためらいがちに口を開く。
「……ザイレムに行くとき、私も連れて行ってはいただけませんか?」
「え……?」
「交渉となれば、セレフィア王国としての判断が必要になるはずです。その場で決裁を下せる者がいたほうが、話は早いでしょう。少しでも、お力になれるはず」
リゼが眉を上げる。
「言っとくが、第一王女様が戦時中に堂々と敵国に行くってわけにはいかん。お忍びになるが、それでいいのか?」
「もちろんです。それに……こういうの、前から一度、憧れていましたの」
緑の瞳が、悪戯を企む子どものようにきらりと笑った。どこか危ういけれど、嘘ではない覚悟の光。
「って言ってるが――どうする、コウ?」
「え、ボクが決めるんですか?」
「おお。行くのはお前とイリスだ」
(第一王女の頼みを断れるわけ、ないじゃん……)
心の中で小さく嘆息しつつ、表情はできるだけ真面目に整える。
「わかりました。もう一人の同行者――イリスにも確認が必要ですが、ちゃんとザイレムまでご同行いただけるよう調整します」
「イリスにフローラ様、両手に花じゃねぇか。よかったな、コウ!」
どこか他人事のような軽口に、ボクの心は逆にずしりと重くなる。華やかさの陰で、刃のきらめきが増していくのを、肌が知っている。
フローラは静かに立ち上がった。
「準備が整い次第、連絡をください。私の方でも出立の段取りを進めます」
ボクは深く頷く。リゼが指先で机をとん、と叩いた。
「決まりだ。――お忍びの旅だ。軽い気持ちじゃ、足を踏み外す」
「はい」
こうして、ボクとイリス、そして第一王女フローラの“お忍びの旅”は、音もなく動き出した。王宮の窓辺には、何事もないふりをした光。けれど、その光の下を、目に見えない策と気配が、静かに交差していた。
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