再会、そして
突如現れたリゼは、青筋を立てながらボクの横を通り過ぎ、まっすぐレオンハルトの前へ詰め寄った。
「おい、レオン。これはどういうことだ……? あぁ? なんでここにコウがいるんだよ。お前、こいつに直接関与しないって約束したよなぁ?」
(約束……? 約束ってどういうことだ?)
「いや、アグナル郷たちが黒の器を連れてきて――」
レオンハルトが言い終える前に、リゼの左手が胸ぐらを掴んだ。衣の襟がきしみ、空気が一段低くなる。
「お前、そんな都合の良い言い訳で私が納得すると思ってんのか? それに、何度コウに対して“黒の器”って呼び方をするなって言ったら気が済むんだよ。マジで死にてぇのか!?」
掴んでいない方の手に、赤い光が灯る。熱を孕んだ気が皮膚を刺した、その時――
「すみません、流石にリゼ様でもそれ以上は見過ごせません……」
ガレドが二人の間に割って入り、静かながら断ち切るような声で告げた。
リゼは「ちっ」と短く舌打ちし、手を離す。レオンハルトは解放されると、胸元をパンパンとはたいて襟を正し、何事もなかった顔に戻った。
「アグナルさんも久しぶりですね」
「あぁ、すまないね、こんなことになって」
「いや、アグナルさんたちは悪くないですよ。グレナティスって守るものがありますからね」
リゼの目線がイリスに移る。
「この子は……イレーネさんとの……?」
「あぁ、イリスだ」
アグナルの紹介に、イリスは少し上目遣いでリゼを見て、丁寧に頭を下げた。
「初めまして。イリス=ヴァルティアです」
「はじめまして、リゼだ。……イレーネさんの目に、よく似てるな」
そこで一度息を切り替え、リゼはレオンハルトへ顔を戻す。
「とにかく、コウ達をお前ら国の好きなようにはさせない」
レオンハルトは肩をすくめ、薄く笑った。
「えぇ、彼の実力もよくわかったので、もういいでしょう。アグナル郷、此度はありがとうございました。それでは僕は仕事に戻ることにします」
レオンハルトはそれだけ言い残し、彼はそそくさと場を後にした。しかし口角だけが上がり、目の奥は一点も揺れていなかった。
「んじゃ、私らもこんなところで立ち話って柄でもない。行きつけで飯が旨い店がある。そこで一杯やりながら、これまでの話、聞かせてくれよ」
ニカっと豪快に笑うリゼは相変わらずで、胸の奥に懐かしさがこみ上げた。
* * *
リゼに案内された酒場に、アグナル、イリス、そしてボクの三人で腰を落ち着ける。セバスチャンは「わたくしは遠慮いたします」と宿で休むことになった。
焼いた肉の香ばしさと、香草の匂いが鼻をくすぐる。木製の大皿が次々と置かれ、ジョッキに泡が立った。
ここ数ヶ月の出来事を、互いに埋めるように語った。
ボクたちがシルバーランクまで上がったこと。吸穢の祠で見たもの。ザイレム帝国の邪鬼との遭遇。イリスの判断と、アグナルの決断がどれだけボクを救ったか――。
逆に、リゼは王宮に入り込んで国の内情を探っていたこと、そして「今は内側から動くのが一番マシだった」と淡々と告げた。
「ところで、さっきレオンハルトさんに言ってた『約束』って、なんですか?」
気になっていたことを、思い切って口にする。
「あぁ、そのことか」
リゼは苦笑い混じりにジョッキを傾けた。
「“コウを王都へ連れてくるか、私が騎士団の仕事を手伝うか、どっちか選べ”って話があってな。中に入って調べ物をするには都合が良かったから、私が手を貸すってことで手打ちにした。……それなのに、ふたを開けたらあんた本人がここにいる。そりゃ、文句の一つも言いたくなる」
言い方は乱暴なのに、そこに嘘は一つもなかった。
ボクのために自分を差し出すような真似を、当然のようにやって見せる。そういうところが――救いであり、リゼらしさを感じた。
「で、イリス。こいつ、どうよ。なかなか良い男だろ?」
「え、えっと……が、がんばってると思います」
「だろ? ほらアグナル、コウを跡取りに。どうだ?」
「それはイリスが決めることだ。私が決めることではない」
「ちょ、ちょっと待ってくださいお父様!? 勝手に振らないでください!」
リゼのくだ巻きにイリスが右往左往し、アグナルが肩を竦める。ふいに、当たり前みたいな笑い声がテーブルの上に戻ってきた。
ジョッキが空になる頃には、辺りも少し暗くなっていた。店を出ると、石畳の夜風が、昼の熱気をからりと洗い流す。
そしての夜にまさかあんなことが起こるなんて、思いもしなかった。
***
時は少しだけ遡る。
レオンハルトは自室へ戻ると、椅子の背に外套を乱暴に引っ掛け、額を押さえた。
「この、胸ぐらを掴んで『死にてぇのか』……だと?」
指先が小刻みに震えている。脳裏に焼きついた女の眼――明確な殺意。あれは昔の“騎士団長”の眼だ。時代錯誤の化石。なのに、何だ、このざらつく恐怖は。
「僕が今さら、古い時代の騎士団長を恐れる……? あるわけがない」
笑ってみせるが、喉は渇いていた。気を紛らわそうと、試しに仕事に向かってみる。机に積まれた書類を掴み、判を押す。二、三枚。……手が止まる。字が踊る。浮かんでくるのは胸ぐらを掴み、殺意を込めたリゼの目だった。
気を逸らすには足りなかった。
「こんな日は――癒やされるのが一番だな」
夜の帳が落ちる頃、レオンハルトは外套を翻して廊下を出た。
* * *
扉の鈴が鳴る。海浜亭。
潮の匂いが薄く漂う、食事の旨さで評判の店だ。彼にとっては、それだけでない。邪魔が入らず、気に入っている娘がいる。
レオンハルトの姿が見えると、店の空気が一瞬で固くなった。視線が逃げる。
ほどなくして、ブロンズ色の髪を腰まで垂らした娘が、震えを隠すように笑顔を作って現れる。
「い、いらっしゃいませ。お席へ――」
「いつもの。あと、今日は――」
注文の最後、レオンハルトは娘の耳元に顔を寄せた。
「食事が終わったら、この後、僕と店を出てもいいか、店長に確認してきてくれないかな」
娘の顔がこわばる。
「良いお返事、期待してるって言っといて」
レオンハルトはにこりともせずに告げ、テーブルへと戻る。娘は何度も頷き、足早に厨房へ消えた。
酒はよく回った。香草焼きは香り高く、皮はぱりりと鳴った。喉も腹も満たされれば、次に満たすべきものは決まっている。
頃合いを見計らい、娘を呼び止める。
「そろそろ店を出ようと思うけど、どうだった?」
「……は、はい。今日はそこまで忙しくないから、上がって良いって言われました」
今にも泣き出しそうな声。レオンハルトは会計を済ませ、店の外で待つ。
「お待たせしました」
制服から私服に着替えた娘が、肩を縮めるように立っていた。彼女の視線は地面深くに落ちていた。
レオンハルトは彼女の腰に手を回し、人通りの少ない方角へ歩き出した。
しばらく沈黙。石畳の靴音だけが続く。
「え、えっと……ど、どちらへ向かわれているのでしょうか」
怯えを震え声が縫う。レオンハルトは振り返らず言った。
「んじゃ、この辺でいっか」
そのまま娘の膝裏へ腕を回し、軽々と持ち上げる。娘が短く悲鳴を上げる間に、影の落ちた路地へ足を踏み入れ、壁へ押しつけた。
「ちょうど、僕も我慢できなくてね」
レオンハルトの手が、彼女の襟元を粗雑に掴む。布が裂ける乾いた音。
「いつも僕のところに来てくれるだろ。こうされるの、待ってたんじゃないの」
「ちが……いや、やっぱり、こんなの――」
娘は首を振り、必死に手で押し返す。
「……!」
意図せぬ角度で伸びた手の甲が、レオンハルトの頬を打った。
「あ、違うんです、そんなつもりじゃ――」
言い訳は耳に入らない。レオンハルトは頬に触れ、固まった。
「女に……ぶたれた……? この僕が……?」
次の瞬間、胸元の内側で、黒がぼうと灯った。墨が水に落ちたように、暗い光が広がる。
腹の底から、何かがせり上がってくる。
「……ぁ、あ……ぁあぁ――」
レオンハルトの声が、獣の叫び声に変わっていく。歯が軋む。皮膚の下で何かが蠢く。
そして、黒い光が、全身を包み込んだ。
「ぐ、ぐぐぁぁぁあぁああぁ――!」
路地の奥で、最早人のものではない叫び声が弾けた。娘はこの場にいてはだめだと瞬時に判断する。目を見開き、踵を返して走り出す。はだけた胸元をかばいながら、石畳を蹴る音だけが夜気を裂いた。
背後で、闇が柱になった。黒い光が天へ向かって伸び、夜を縫い留める。
石壁が震える。街灯の炎がしなる。遠くの犬が吠え、戸が閉まる音が連鎖した。
ヴェルナードの夜空に、裂け目のような黒が立ち上がる。
そして――町中に響き渡る咆哮が、すべてを告げた。
それは、騎士団長レオンハルトの終わりであり、同時に、新たな邪鬼の誕生を告げる声だった。
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