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内に潜むもの

 コウが山の主と戦っている最中、リゼは少し離れた岩場から、コウと、山の主の戦いをじっと見つめていた。


 耳をつんざくような咆哮が響き渡る。

 岩を砕き、木々をなぎ倒し、山の主が暴れ狂う。そこそこの冒険者でも、この状況であれば焦りや興奮など、様々な感情に飲まれるだろう。ただ、コウは違った。


 (冷静だな、コウ……)


 コウは怯まず、そして驕らず、相手を観察し、必要以上に攻めず、確実に勝機を探っている。


 (ここまで鍛えた甲斐があった。あの子は、ちゃんと成長している……)


 リゼの頬が少し緩む。苛つく山の主と、冷静に対処するコウ。明らかに大ぶりな山の主の攻撃に対して余裕を持って躱し、そしてコウの気が張り詰めるのをリゼは感じる。


 (そろそろ決めに行くか……)


 予想通り、振り下ろされた爪は空を切り、そしてコウは気の入った一閃をその太い腕にたたき込み、黒い塊になった腕が中を舞う。


 (ここまでくれば、もう安心か……)


 リゼはホッと胸をなで下ろし、コウを褒める準備を心の中でしていた。

 

――だが、それは次の瞬間、淡い期待は音を立てて崩れた。

 コウが山の主の片腕を斬って、山の主が怒りの咆哮を上げた瞬間。

 

(……なに!?)


 山の主の体から、じわりと黒い気がにじみ出しはじめた。

 もやのように、どす黒く、嫌な気配が周囲を覆い始める。次の瞬間、リゼは叫んでいた。


 「コウ、引けッ!!」


 コウがあの黒の気と接触しないよう全力で駆ける。

 だが、間に合わない。


 (くそっ……遅い! 今のコウでは、まだ邪気に飲まれてしまう……)


 リゼの脳裏に、過去の光景がフラッシュバックする。

 あの時も、そうだった。


 ――過去。

 弟子だった青年が、とある出来事をきっかけに、気が反転し、全身から黒い気を溢れさせた。

 本当なら、あの時討たなければならなかった。

 だが、リゼは甘さを、そして情を捨てきれなかった。


 「きっと、まだ戻れる」

 「きっと、あいつは止まってくれる」


 そう信じてしまった。もしかすると、自分がいながらその出来事を起こしてしまったことに対する引け目もあったのかもしれない。


 結果、そのときの彼は完全に飲み込まれ、邪鬼となり、そのまま逃げられ、そして今の邪鬼の国を作るまでに成長してしまった。


 (二度と、同じ失敗はしない)


 リゼは腰の剣を抜き、気を込める。


 (もしコウが、これ以上引き込まれたら――討つしかない……)


 全身が緊張し、喉が渇く。

 4年という時間ではあるが、ここまで鍛えた弟子を、自分の手で斬る覚悟。


親の愛を知らずに、崩れかかっていた自我が少しずつ戻ることを手伝うことで、リゼ自身も自分の過去の罪滅ぼしができているように感じている部分もあった。


 それを今、過去の因縁とともに断ち切ることを強いられようとしていた。


 黒い気に包まれた山の主の前で、コウは立ち尽くし、剣を握りしめていた。

 リゼは歯を食いしばった。


 「コウ……っ!」


 黒い影がコウの周囲を包む。

 コウの白い剣の中に、一瞬、黒い光の粒子が揺らぎはじめる。気が反転し始めている徴候だった。


 (やっぱり駄目なのか)


リゼは過去の繰り返しを悔やみ、覚悟する。


(……飲まれる……!)

 

リゼが飛び出しかけた、その瞬間――。


 「ボクは……お前とは違う!!」


 コウの叫び声が、空気を裂いた。

 赤い光が生まれ、炎の剣が唸りを上げる。


 「行けえええええっ!!」


 リゼは声を張り上げ、最後のエールをコウに送った。


 (お前なら、できる! 越えられる!)


 炎の剣が黒い影を断ち割り、山の主の巨体を両断した。


 黒い気が裂け、消えていく。

 リゼは膝をつき、息をついた。


 (……よかった……)


 胸の奥が熱くなり、目元がかすむ。


 (お前なら、あいつを……越えられる……)


 涙が一粒、頬を伝った。

 それを拭うこともなく、リゼは崩れ落ちたコウのもとへ駆け寄った。


 ***


 微かな痛みと冷たさで、ボクは目を覚ました。

 天井の木目が揺れて見える。体が重い。時間感覚がわからないが窓の外がもう暗い。だいぶ気を失ってしまっていたようだ。


 ゆっくりと視線を動かすと、傍らに座っているリゼがいた。


 「……起きたか」

 「気を失ってしまっていたんですね……」


 リゼは手元の水をボクに手渡す。


 「あそこからここまでお前を担いで歩くの、大変だったんだぞ」


 言っていることとは裏腹に、その声はどこか安心しているように聞こえた。


 ボクは小さく笑った。

 体は鉛のように重いけれど、心は不思議と軽かった。


 体を起こして、水を口に含む。干からびた喉に、そして内蔵に水が染み渡っていくのを感じる。


 「リゼさん……」


 ボクはぽつりと問いかけた。


 「戦いの途中で、変な声が聞こえたんだ。……『お前はこっち側だ』って……」


 リゼが、ハッと驚いたような顔をするが、真剣な顔つきになる。


 「そうか……そうだな。そろそろ話すべきだな」


 リゼは窓の外を、遠くを見つめ、そして、静かに語り始めた。


 「どこから話をしようか……」


 そう言ったリゼは一呼吸をおく。少し戸惑いを覚えているようにも見えた。


 「そうだな。 まずは命気、穢気と邪気の関係から話をしようか」


 「お前は気を知ってるな。命気ってやつだ。生き物の中に流れる、外の気を取り込むための気だ」


 ボクは小さく頷いた。


 「けどな、この世界には生き物に内在する気だけじゃない様々な気がある。例えば、空気中、地面、木々、空、全部に『気』が満ちてる。それが外気だ」

 「命気と外気は、本質的には同じものだ。外気の中で、人の体の中にあり、馴染んでいるものを命気と呼ぶ、といった方が正しいかもしれない。」


 「外気の中で、自分のものが命気……」


 「そして、外気の中に生き物の憎しみ、恐怖、怒り、絶望……そういう負の力が混ざると、外気は一気に濁る。これが穢気えきだ」


 リゼの声は低く、重い。


 「欲望の塊となった穢気は様々な生き物を飲み込み、増幅させようと周囲に広がる。そして、穢気が命気と交ざるとやがて邪気になる。命を持ったものが邪気に振れれば、邪気の欲望に飲み込まれ支配され、もう自我を保てない。それが、完全な邪鬼化だ」

 「つまり、外気は生き物の感情で穢気にされ、再び命気と混ざり合って邪気になる、と……」


 リゼは頷く。そして続ける


 「あとな、五行の気は、世界のあちこちに偏りがある。たとえば火山地帯なら火の気が強く、川辺なら水の気が強い。人間は基本的に、自分が得意とする気が一致する場にいるとき、外気を取り込みやすくなるんだ」

 「でもな、コウ……お前は違う。お前は、どの属性も得意なんだ。だからこそ、命気の回復も早く、扱える気の量が桁違いなんだ」


 ボクは息を呑む。


 「けど、それは同時に、外の気と混ざりやすいってことでもある。だから負の感情が多い場所に行くとその場の穢気に呑まれる可能性が高い。危うさと才能が、紙一重で並んでいる……それが、黒の器だ」


 静寂が二人を包む。山小屋の外にある葉の擦れる音が聞こえてくる。ボクは喉を詰まらせるような感覚で聞いていた。


 「お前が最初、気を入れて暴走したとき、覚えてるか?」

 「……うん……」


 「実はあのときも、もう一歩で邪鬼に落ちかけてた。お前の命気は、普通の人間の何倍、何十倍もある。だから、黒の器は危険だと忌み嫌われるんだ」

 「そして、邪気は邪気を呼ぶ。 きっと邪鬼化した山の主は、お前の中にある前回邪鬼に落ちかけたわずかな欠片を見つけたんだろう。」

 「だから、ボクに『お前はこっち側だ』と伝えた……」


 ボクの中に眠る、邪鬼の種の存在――。

 さっきの戦いの最中、あの声に呼ばれそうになったときの感覚が、脳裏をよぎる。


(どう……したら……)


しかし、リゼは小さく笑った。


 「けどな、危険だからといって力を捨てろなんて言わない。その力を制御できるかどうかは、お前次第だ。だからこそ――心の器を広げる必要があるんだ」


 リゼはゆっくり立ち上がり、ボクの肩に手を置いた。


 「いいか、コウ。お前はな、もう“私の元だけ”じゃ学べることがない」

 「……え?」

 「これからは、もっと多くの人と出会い、話し、支えられ、支え、喜びや悲しみを知れ。そうして心の器を広げ、自分を強くするんだ」


 リゼの手は、少しだけ震えていた。


 「お前は、あの邪気に振れても留まることができた。お前には、黒の器を使いこなせる素質があるんだ」


 リゼは、過去の自分の弟子が邪鬼化し、それを止められなかった過去があることをボクに教えてくれる。


「……私の過去の弟子は、それができなかった。だから……」

 「リゼさん……?」


 リゼは笑った。


 「行け、コウ。お前なら、あいつを――越えられる」


 ボクは息を呑んだ。


 ボクの胸の奥に、再び熱が灯る。


 (ボクなら……できるの……かな?)


 目を閉じると、幼いボクの声が微かに聞こえた。


 「がんばって、お兄ちゃん」


 ボクはそっと頷いた。

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