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忌み子のボクが、“気”と自分を受け入れたら、いつの間にか世界の命運を握ってました  作者: 水波 悠
第7章 狙われたフェン村

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晩餐

 ボクはセルギスたちと出会った森から戻り前線から下がったイリスを探し出すと、見慣れない顔がふたつ、彼女の横に立っていた。

 「お疲れ様」


 ボクはイリスに声を掛けると、イリスはどこか物足りなそうな雰囲気だった。


 「なんか、拍子抜けしちゃったわね。……あ、コウ。この方々、ザイレムであんたが倒れてたときに助けてくれたジークさんとエルネアさん!」


「あのときの彼ね」


 エルネアは軽く微笑みながら一礼するが、ジークは「おう」とだけ返事をする。


「無事でよかったわ。顔色もすっかりよくなってるわね」

 

 ボクは慌てて背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。

 

「その節は、本当に助かりました。ありがとうございました」

 

 エルネアさんは目を細め、ジークさんは口角だけわずかに上げる。


「将来の雇い主の娘の窮地を救ってたなんて、俺たちの運も捨てたもんじゃないな」

 「え?」


 イリスは一瞬状況を飲み込めずぽかんとする。


「アグナルさんから、開戦前に前線に娘を出すから援護をよろしく頼むって言われたのよ」

「じゃあ、お父様が雇った傭兵って……」

「そう、俺たちのことだ」

「そういうことだったんだ……」


 イリスは状況を理解できた様子だったが、どうやら次の質問が思い浮かんだらしい。


 「ところで、なんでジークさんとエルネアさんはセレフィアへ?」


 イリスが訊くと、二人は一瞬だけ視線を交わす。


 「そうね……そのあたりはちゃんとゆっくり話すわ。グレナティスに戻ってからでも、いい?」


 エルネアがそう言うと、ジークは少し嫌そうな顔をしている。ジークにとって、口外したくない理由が何かあるのかもしれない。


 「わかりました。では、戻りましょうか。コウも片付け、手伝って」


 ボクは頷くと二人は「それじゃまた後日」と言い残してお互い帰路の支度に向かった。


 ***


 帰り道、ボクはアグナルさんとイリスと同じ馬車に乗り込んだ。車輪が轍を噛む音と、吊り革の軋み。身体は疲れているはずなのに、頭の奥で、ユエンの声だけがいつまでも反響していた。


 (この力を、もっと安定して使えるようになる――)


 あの言葉を思い出すたび、胸のどこかがざわつく。そもそも、戦争をしている敵国から声をかけられたのだ。それ自体がかなり異常な状況だろう。このことを言うべきか、黙っておくべきか。誰に、どこまで。考えても答えは出なかった。


 「なぜ、あのタイミングでザイレムは兵を引き上げたのか……」


 馬車に揺られる中、アグナルがぽつりと漏らす。


 「そうなんですよね。前線で見ていてもザイレムは確かに劣勢でした。でも、最初から撤退するつもりなら、もっと早く決めてもよかった気がします。中途半端なタイミングでした」


 前線にいたイリスにとっても同じ考えのようだ。

 答えの出ない問いに、一同は沈黙する。

 ボクは俯いたまま、考える。


(やっぱり、違和感のあるタイミングだったんだ)


 しかし、少し考えているうちに別の感情が芽生える。

(世話になってきたアグナルさんに嘘はつきたくない)


 そう思った瞬間、口が勝手に動いた。


 「実は……戦場の外れで、ザイレム帝国の要人から接触がありました」


 車内の空気が変わる。普段は表情を崩さないアグナルが、目を見開いた。


 「要人?」


 アグナルからの問いにボクは頷く。


「イリスさ、ザイレムにいったときにボクを助けてくれたカレンさんがいたでしょ? あの人が戦場にいたんだよ。あと、カレンさんのお母さんのユエンさん。それから……セルギスさん、って人も」

「セルギスさんも……!? セルギスさんっていったら、帝王のご子息じゃない」

「そう、だったんだ……」


 ボクは剣の打ち合いで残った指先に痺れを確かめるように、膝の上で拳を握った。


「不思議な人だった。見た目は、邪気を纏っているように見えるのに、欲の濁りが薄い。むしろ、苦しそうで……」


 イリスが息を呑む。ボクは続けた。


「それでユエンさんから、『その力を使いこなしたいなら、落ち着いたらザイレムに来なさい』って。そして、それをボクに告げることができたからこれ以上戦闘を続ける必要がなかった、ということかなと。」


 アグナルさんは顎に手を当てて沈思する。


「……やはりか。フェン村への侵攻は黒の器であるコウ君をおびき出すためで、君との接触が目的ということだな。そして、目的は達成したから無駄な血を流さないためにも即座に撤退を決めた、と。それと、ザイレムは、気の扱いにおいて我々の一歩も二歩も先を行く。セルギス殿は、その技術を使って何かしら邪気を“制御”することで力にしているのかもしれない」


 ボクは頷いた。


「ボクも身体強化を全開にして、ようやく捌けるくらいでした。それでも、セルギスさんもまだ底力を隠しているようにも見えた。……多分、ボクの実力を、いや、黒の器の実力を試されていたなと思います」


 言葉にすると、背筋を冷たい汗が伝う。


 アグナルが視線を落とし、短く息を吐いた。


 「コウ君。君がザイレムと接触したことは、絶対に口外しないでくれ。王国の兵や貴族の耳に入れば、色々とややこしくなる可能性が高い」


 (そりゃそうだよね)


 ボクはアグナルの言葉に頷くと、喉の奥がきゅっと締まった。


 「……はい」


 それ以降、馬車はしばらく無言だった。イリスの銀髪と横顔が、車窓の向こうの夕焼けに淡く縁取られている。ボクは目を閉じ、ユエンの言葉を頭の隅へと押し込めた。今は、ただ帰る。皆で無事に。


 やがてグレナティスの輪郭が暮色の中に浮かび上がる。城壁の上で交代の兵が領主の帰還を旗で歓迎し、門が開く。街の匂い――焼いた肉、古パン、油、そして人の声。戦地のざらついた空気とは違う温度に、張り詰めていた体が少しだけ緩んだ。


 それでも、胸の奥では黒と白が静かにせめぎ合っていた。セルギスの苦悶。ユエンの誘い。ボクの未熟さ。様々な感情がボクの中で渦巻いていた。


 ***


 翌日の夜。ボクたちは約束どおり、グレナティスの酒場でジークとエルネアと卓を囲んだ。灯りはオイルランプ、壁には古びた盾。焼き立ての肉の匂いと、酵母の甘い香りが鼻をくすぐる。


 「それでは、セレフィア王国の完勝と、再会を祝して――」

 「「「乾杯!」」」


 イリスとボクとエルネアが勢いよくグラスをぶつける。ジークは、いつもの調子で、少しだけグラスを持ち上げただけだった。


 「もう、ジークったら」


エルネアが肩をすくめる。


「まったく、いつもぶっきらぼうなんだから」

 「酒は黙って飲むものだろう」


 その言葉を聞いたエルネアはボクとイリスを見ながら弁解する。


「ジークはちょっと人見知りでぶっきらぼうで感情表現が下手なだけだから、大目に見てもらえたら嬉しいわ」


 その言葉にジークはふんっ、鼻であしらうと、泡立つエールを一口だけ含む。


 ボクは立ち上がり、二人の正面に向き直った。

 

「改めて――あの時は、本当にありがとうございました!」


 周りの客の視線が一斉に集まり、ジークさんは露骨に顔をしかめる。


「座れ。飯が冷める」

 「いいから、座って座って」


 エルネアも笑い、ボクは耳を赤くして席に戻った。


(やりすぎたかな)


 そんなことを思いながらボクは頭を掻きつつ、グラスに口をつける。泡が舌に弾けて、少しだけ心も軽くなる。


 「でも、本当に。今ここにいられるのは、お二人がイリスに力を貸してくれたからで……」

 「それなら、私たちが到着するまで一人であなたを守っていたイリスさんには、もっと頭が上がらないわね」


 視線を向けると、イリスはツンと横を向いた。


「強者が弱者を救うのは当たり前なんですよっ! それに、目の前でこいつが死んだら夢見が悪いじゃないですか!」


 そう言いながらも、彼女の耳朶はほんの少しだけ赤い。グラスの中身を飲み干すと、店員に合図して次を頼む。胸の奥がじんわり温かくなるのを感じる。


 「それで――どうしてお二人はセレフィアに?」


 イリスは、これ以上その話題が続かないようにさりげなく話題を切り替える。

 ジークとエルネアは、また視線を交わした。今度は、エルネアが少しだけ身を乗り出す。


「ここだけの話よ?」

「うん」


 イリスとボクは自然と身体を寄せる。


「私たち、駆け落ちしてきたの」

 「えーっ!」


 イリスは思わず口に手を当て、大興奮している。

 周囲の客が「何事だ」と笑うが、彼女は気にしない。



 「私、実は他の男と無理やり婚姻させられそうだったの。……で、ジークがさらってくれた」


 嬉しそうに話すエルネアにジークは黙って聞いていなかった。


 「話を盛るな」


 ジークが低く突っ込む。


「盛ってないわ。“俺がそれじゃ許せないんだ”って言ったのは、どこのどなた?」


 ジークさんは言葉に詰まり、エールをもう一口。エルネアさんは勝ち誇ったように微笑む。


(きっと、この二人は名前を言えば知る人ぞ知るくらい、ザイレムで名の知れた人たちなんだろう)


「まぁ、そんな訳ありだから、ザイレムの人間に私たちの存在、あまり知られたくなかったし、ザイレムから早く出たかったのよ」

 「それで、セレフィアでも有数の実力を有するグレナティスであれば戦時の準備で雇ってもらえるんじゃないかと思い、傭兵として入り込んだってわけだ。今は戦が落ち着くまでは、アグナル殿の下で働く契約になっている」


 ジークが補足する。


「そう、だったんですね」


 イリスはどこか嬉しそうに頷いた。信頼と敬意が言葉の端に滲む。


 気づけば、ボクはジークとエルネアを交互に眺めていた。戦場で背中を預けられる人たち。国を離れてまでも一緒にいたいと思う二人。言葉少なでも意思が通じる相棒。


 (……ボクとイリスも、いつか)


 胸のどこかが温かくなって、慌てて頭を振る。


 (何を言ってるんだ、ボクは。今は――)


 ユエンの声がふっと蘇る。(その力、もっと安定して使いたければ)


 思わず、グラスの底を見つめた。琥珀の泡が静かに弾ける。ここは守られた灯りの下。けれど、森で交わした言葉は、確かに現実だ。


 「コウ?」


 イリスが覗き込む。


「ううん、なんでもない」


 取り繕うように笑うと、イリスは訝しげに目を細め、それ以上は追及しなかった。彼女のそういうところに、何度も救われてきた。

 夜は更け、店の喧騒も柔らかくなる。ジークさんは相変わらず寡黙だが、時折、エルネアの言葉に小さく頷く。その頷きに、長い時間を共有してきた人だけが知る温度がある。


 (助けてもらった二人と、イリスと、こうやって他愛ない話をして笑っていられる夜が――)


 続けばいい。心から、そう思った。


 でも、灯りの縁にはいつだって影がある。戦が一段落ついた今だからこそ、次の波はきっと大きい。ザイレム、ユエン、セルギス。そして、ボク自身。


 それでも今夜だけは、剣を壁に立てかけ、灯りの下で笑っていたかった。束の間の平穏を、掌の上でそっと温めるみたいに。

第7章、ここに完結です!いよいよ、ザイレムが仕掛けた罠が8章で動き出します。


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