故郷への思い
ザイレム帝国での視察の日々を終え、ボクたちは再びグレナティスにあるアグナルの屋敷へと戻っていた。
広い屋敷の廊下を歩くたび、響く足音がやけに重く感じられる。外から差し込む光は穏やかなのに、屋敷全体が押しつぶされるような静寂に包まれていた。まるで嵐の前の静けさのように。
「……セレフィア王国がした属国提案を断って、ノイエルと軍事協定を結んだから即戦争。ですか」
報告を終えたイリスが、アグナルから状況の共有としてザイレム帝国と自国の状況を聞いて沈痛な表情を浮かべて言葉をつむぐ。その声音には、怒りとも、諦めともつかぬ色が混じっていた。
アグナルは大きな体を沈め、椅子の背もたれに重く凭れながら、深く息を吐いた。
「国の判断だ……流石にここまでくると私にはどうすることもできん」
「……」
その瞳には、長年戦場を見てきた者だけが持つ苦渋が浮かんでいた。
やがてアグナルは言葉を続ける。
「そして何より、どうやら向こうはこちらへ侵攻してくるつもりらしい。そうなれば、グレナティス領としても出兵に応じぬわけにはいかない」
イリスはぎゅっと唇を噛みしめた。やがて小さく頷き、言葉を絞り出す。
「……そう、ですね」
彼女の目には迷いがあった。それもそのはずだ。つい先日までその国にいって、国柄やそこに住む人柄を体感し、この国とは戦争をしたくないと思った矢先だったから当然である。ただ、それでもヴァルティア家の娘としての責任が、頷きを強いたのだろう。
アグナルはイリスの了承を確認すると、さらに重苦しい声を落とす。
「それとな……まだ情報の確度は不確かだが、どうやら侵攻先はユグ山の西側にあるフェン村という村を攻めることにしたらしい」
その名を聞いた瞬間、俺の肩がわずかに震えた。久しく耳にしていなかった、自分の生まれ故郷の名。頭の奥底に押し込めていたはずの記憶が、不意に引きずり出された。
アグナルはボクの反応を見逃さなかった。
「コウ君。この村に……何か思い当たることでも?」
一瞬、答えを迷った。――出生した村。だが、守る価値があるのか? 忌み嫌われ、追放されたあの場所に。
それでも、俺は正直に口を開いた。
「……実は、フェン村はボクが生まれた村なんです」
イリスが横で口を開く。
「やっぱり……。聞いたことがあったと思ったけど、あんたの故郷だったのね」
その表情は一層険しく、複雑な色を帯びていた。
アグナルは目を細める。
「それならば……是が非でも、コウ君としては村を守るために参戦したい、ということか?」
俺はすぐに首を横に振った。
「いいえ。……俺は、あの村で忌み嫌われ、追放されました。守りたいと思えるような場所では、ありません」
そう言ってから、俺は村での日常的な扱いや、村を出ることになった理由などをかいつまんで語るとアグナルは黙って聞いていた。
「だから……正直、どうするべきかまだ自分の中で決めきれていません」
視線を落としながら、ようやく言葉を絞る。
「……少し、考える時間をもらってもいいですか」
その答えに、アグナルはしばらく目を閉じ、深く頷いた。
***
アグナルへの報告を終えたあと、イリスと廊下を歩きながら互いに視線を交わした。屋敷を包む重い空気は、二人の間にも流れ込んでくるようだった。
「イリスはさ」
俺は少し探るように声をかける。
「さすがにアグナルさんが参戦するのに、行かないって選択肢はないんだよね?」
イリスは迷いなく頷いた。
「えぇ。……流石にそれは、ヴァルティア家としても私個人としても、行くことになるわ。むしろ『行くな』と言われても、ヴァルティア家長女として戦場に立ちたいと思う」
そこまで言うと、イリスは少し視線を落とし、顎に手を当てて考え込む。
「ただね……自分たちの国を守るためとはいえ、あれだけ世話になった国に剣を向けるのは……どうしても割り切れないのよ」
困惑の影を落とすイリスの横顔を見ながら、俺は胸の奥に重たいものを抱えた。
(救う価値がないと思ってる村のために、借りのある国に刃を向けなければならない。……難しい話だな、本当に)
だが、答えを引き延ばしていられる時間は少ないだろう。フェン村を巡る戦の決断は、きっと数日のうちに迫る。
その夜、俺たちはそれぞれの部屋に戻った。
俺は寝台に腰を下ろし、瞑想に入る。魂気を巡らせ、意識を深く沈めていくと、そこにはいつもの幼い自分の姿があった。
「……難しいね。戦争ってさ」
開口一番、幼い俺はそう言った。まるで心の内を映す鏡のように。
「……ああ。どちらにも正義がある。どちらか一方が絶対に悪い、なんてことはない。なあ、お前はどう思う? 自分の生まれた村を守るべきだと思うか?」
問いかけに、幼い俺はきっぱりと答えた。
「正直、あんな村どうでもいいんだ。村全体でボクを忌み嫌い、追い出したあの場所のことなんて。だって、それ以上に大切な居場所がもうあるから」
その確信に満ちた言葉に、ボクは思わず「……そうだな」と頷いていた。
だが、幼い俺は続ける。
「でもね、フェン村がどうなってもいいとは思うけど……イリスが戦いに行くなら話は別だよ。ザイレム帝国でボクのことを必死に守ってくれたイリスを、今度はボクがちゃんと守りたいんだ。だから、イリスを守るついでに必要であれば村を守ればいい」
その言葉に胸が熱くなる。
(……そうか。ボクの大切な場所は、生まれた村なんかじゃない。イリスの隣だ。あの居場所を守るために、戦えばいいんだ)
「ありがとう」
幼い自分にそう告げると、満足そうに微笑んで頷き返してくれた。
奪うために戦うんじゃない。
自分の大切な居場所を守るために――ボクは戦えばいいんだ。
***
イリスからの報告を受けたアグナルはセバスチャンと執務室で話をしていた。
「なぜ、フェン村なんだと思う?」
セバスチャンは眼鏡をカチャリとかけ直し、そして答える。
「地理的に見るとフェン村はユグ山から一面を守る形ですし、面している街道は南側のみなので、一度陥落してしまえば守りやすいのと、軍事的に活用しているわけではないので落とすのもそこまで難しくはないと思います。あそこを拠点にできれば、ヴェルナードは東西から攻められるため戦局的にはたしかに楽になりましょう。ただ、内陸の、国の地図にも載っていないような場所を、ヴェルナードを通り過ぎてまで敢えて攻め込む、というのは些か不審です」
「となると、有り得るのは揺動か……」
「はい。戦争開始前でこちらも諜報活動を行っているとは言え、少しあからさま過ぎる気もします。フェン村への侵攻は注視しつつ、それ以外の場所への同行をこれまで同様、確認する必要があるかと思います」
アグナルはこめかみを押えながら大きくため息をはく。
「軍議が続きいよいよ国内拠点の防衛か……頭が痛むな」
「心中、お察しします。して、コウ様はこの戦いに参戦してくれますでしょうか」
「それなんだよな」
アグナルは身体を背もたれに預け腕を組む。
「まさか、彼の境遇にそんなことがあるとは思いもしなかった。ヴァルティア家の傭兵としてお願いしてみようとは思っているが、それをどう判断するかは彼個人の判断だ。ただ……」
そこまで言ってアグナルは言葉を句切るが改めて身を乗り出し、セバスチャンに目線を送る。
「彼は黒の器だ。国からの命令もあるから監視は必要だろう。セバスチャン、コウ君がヴァルティア家の傭兵になってくれるよう、上手くやってほしい」
「御意に」
セバスチャンは主の意向に深く頷いた。
こうして、各者の思惑が渦巻く中、ザイレム帝国のフェン村への侵攻が刻一刻と迫っていた。
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