お茶会
浄化の祠を後にした私たちは、日が落ちた頃に帝都に戻ることができた。
帝都に戻る道中で見た、ザイレム帝国での夕暮れは、どこか胸の奥に懐かしさを感じさせる温もりがあった。故郷であるグレナティスの夕暮れも良いが、ザイレム帝国の夕暮れはまた違った良さを感じた。
そして、流石に今日は疲れたのでカレン様への報告は明日にすることにして、私たちは宿に戻った。
ベッドに入り、私は横になると疲れていたはずなのに、すぐには眠れなかった。
それは、あの祠での出来事がまるで染み付いた穢気のように私の意識にまとわりついていたから。
瞼の裏には、小さい頃の自分がいた。
街で歩く私を避けるように道を空け、そして遠くから小さな私を見てヒソヒソと「裏切り者の娘だ」と囁いていた。街行く人々のあの冷たい視線が私の脳裏に強く残っていた。
場面がぐるぐると入れ替わり、次に見えたのはエルダスのギルドだった。
なぜか、セリナにコウがぶつかり、押し倒されている。慌てるコウと、まんざらでもなさそうなセリナ。そして二人は立ち上がるとセリナはコウの腕を掴んで私の方を向いて笑ってる。コウは鼻の下を伸ばして、デレデレしていた。
なのに、私は遠くから見ているだけ。まるで、柵の外から指をくわえて覗き込むだけの存在。何も言えず、何もできず、ただ悔しくて――なぜか涙がにじむ。
再び場面が変わる。今度は牙鼠との戦い。
何度も倒してきた相手のはずなのに、剣がまるで通らない。気が焦る。体が重い。
手元の剣を見ると、なぜか刃はボロボロで、牙鼠を斬っても斬っても斬れない。私はとうとう牙鼠の群れに押し潰され、視界が真っ暗になって――
……そのときだった。
暗闇の中に、白い光が差し込む。
その中心に立っていたのは、他でもない、コウだった。
光を纏い、白い剣を携えた姿は、以前の彼とはまるで違っていた。
「もう、大丈夫だよ、イリス。 グレナティスを守るんでしょ?」
その言葉とともに振るわれた一閃は、世界を真っ白に塗り替えた。
そして、私は夢をみていたことに気がつく。あたりはまだ暗く、帝都の街並みもしんと静まりかえっていた。
私はそっと額に手の甲を当て、小さくつぶやいた。
「いつのまに……そんなに強く、かっこよくなっちゃったのよ……」
それは、誰にも聞こえない、ひとりごと。
そして私は、そのまま今度は深く眠りに落ちた。
***
翌朝、私は朝食をとる前に荷物をまとめながら、コウに言った。
「それじゃあ、私はカレン様のところに報告に行ってくるわね」
するとコウは、寝ぼけたような声で、「ボクも直接、お礼を言いたいな」と言い出した。
(な、なんかこいつとは一緒にいきたくないっ)
そう思った私は思わず語気を強めて言ってしまった。
「……あ、あんたは来なくていいのよ。私が行ってくるから!」
理由は、自分でもよくわからない。ただ――カレン様に、コウと並んで立つ自分の姿を見られるのが、なんだか恥ずかしかったのだ。
そして何度目かになる帝都の屋敷に向かうと、前と同じ兵士が笑顔で出迎えてくれた。
「カレン様ですね。お待ちしておりました」
私は、兵士が自分のことを覚えてくれていることに驚きながらもこの国の人柄の良さを改めて感じた。
その兵士に中を案内されると、今日は前回とは違う部屋へ通された。
窓の外には白い砂利が敷かれ、一本の大きな木が朝日を浴びて淡く光っている。青々と茂った葉と、その下に射し込む光のコントラストが、まるで絵画のように綺麗だった。
「こちらにお掛けになってお待ちください」
そう言って兵士がその場を離れると、私は椅子に腰掛けて、深呼吸を一つついた。
まだ少し胸がどきどきしているのは、決してここまで歩いてきたからではないだろう。何を話せばいいのか、頭の中で言葉を並べようとすればするほど、思考が絡まっていく。
けれど、その迷いはカレン様の登場とともに霧が晴れるように解けた。
「お待たせしました」
優雅に歩いてくるその姿は、前と変わらず落ち着いていて、そしてどこか儚さを纏っていた。
「さすが影狼の長を倒されたお二人ですね。まさかこんなに早く戻られるとは思ってもいませんでした」
そう微笑むと、カレン様は私の正面に腰を下ろした。程なくして従者が茶器を運んでくる。
薄緑色の湯のみには、透き通った緑のお茶が注がれていた。香りは爽やかで、まるで春の新芽をそのまま閉じ込めたよう。セレフィアでは馴染みのない種類だった。
口に含むと、驚くほど柔らかい。
「……とても、美味しいです」
そう言うと、カレン様はふふ、と笑った。
「この木をご覧になりましたか?」
彼女の視線の先、中庭の木を指差す。
「春には、薄朱色の花が咲くのですよ。控えめで儚げですが、毎年必ず、綺麗に咲いてくれます」
「……カレン様の髪のような、優しい色なんでしょうね」
私の言葉に、彼女は一瞬驚いたような表情を浮かべた後、少し照れくさそうに視線をそらした。
「たしかに、似ているかもしれませんね」
私は一口ずつお茶を飲み、そして最初に伝えたいと思っていた言葉を口に出す。
「……改めて、この度は浄化の祠をご紹介いただき、本当にありがとうございました」
「いえ、知っていることをお伝えしただけです。ですが……様子を見るに、何かあったのですね?」
私は頷き、話し始める。
「はい。お陰様でコウの穢気は無事浄化することができました」
問題はここからだ。でも、やはり伝えておいた方がよいだろうと、ある程度正直に話すことにした。
「……それが、実は――」
私は一呼吸おいて、ゆっくりと言葉を選びながら語り始めた。
「祠の奥で、ひとつの邪鬼と遭遇したんです。ただの魔物じゃなくて……穢気を、自分の中に取り込んで、まるでそれを糧にしているような存在で」
カレン様の表情がすっと強張るのがわかった。
「最初は二人で応戦していたのですが、私は途中で意識を失ってしまって……気がついたときには、コウが私を庇って、立っていてくれたんです」
そこまで言って、私は少しだけ視線を落とした。あのときの光景が、今でも鮮やかに脳裏に浮かぶ。
「そして、気がついた私は彼と……ふたりで力を合わせて、なんとかその邪鬼を倒しました」
私は肝心なこと――コウの中にある“器”の特異性や、邪鬼が黒の器に反応して現れた理由については、うまくごまかしながら話をまとめた。
「……そう、だったのですね……」
カレン様は静かに目を伏せたあと、ふいに頭を下げた。
「それは……ご迷惑をおかけしました。私の判断で祠をご紹介してしまったばかりに……」
「そ、そんな!」
私は慌てて立ち上がりかけ、思わず声を上げていた。
「迷惑だなんて……とんでもないです。カレン様が教えてくださったから、穢気も浄化できたんです。本当に、感謝しかありません!」
「結果的には、そうだったかもしれませんが……でも」
カレン様は顔を上げると、どこか自分を責めているような表情だった。
「でも、もしものことがあったらと思うと、やはり胸が痛みます」
その言葉に、私は少し迷った末、もう一歩踏み込んで話す決意をした。
「……でも、あの祠に行ったからこそ、気づけたこともあったんです」
「気づけたこと?」
私はお茶に視線を落としながら、胸に手を当てるような思いで言った。
「はい。コウの穢気がどうこうだけじゃなくて、自分自身の中にあった気持ちにも――」
カレン様は静かに私を見つめた。急かすことも、遮ることもなく、ただ見守るように。
「先程お伝えしたとおり、私、戦いの途中で気を失ってしまったんです。 穢気の塊に飛び込んで――気づいたら、もう立てなくて」
そこで、一度息を吸う。鼓動が早くなるのを感じた。
「でも、目が覚めたら……コウが私を庇って立ってて。……その背中を見て、なんだか、すごく……かっこよかったんです」
それ以上、何を言えばいいのかわからなかった。けれど、それだけで十分だった気もした。
「……こんな話、したの……カレン様が、はじめてなんですよ」
頬が少し熱くなる。私はごまかしながら笑い、湯呑みで唇を濡らし、落ち着こうとする。
カレン様はそっと私の手を取り、優しく握った。
「その気持ち、どうか大事になさってください」
突然カレン様にしっかりと握られた柔らかいその手に驚いたが、私は深く頷く。
「……はい」
「想いを抱くというのは、時に苦しく、でもとても尊いものです。……私は、そう信じています」
私はうなずいた。なんだか、胸の奥のもやがすっと晴れていく気がした。
「……前に、カレン様がセルギス様のことを話してくれたとき、私……とても素敵だなって思ったんです」
「ふふ、そうでしたか」
「私も……誰かを、あんなふうに大切に思えたらって……そう思ってました」
「私が、イリスさんのその気持ちを後押しすることができたのであれば、それほど私にとって嬉しいことはありません」
そう微笑むカレン様の表情に、私は救われたような気がした。
その後、しばらく私たちは他愛もない話をした。何を話したのか、はっきりとは覚えていないけれど、穏やかで、あたたかな時間が流れていた。
そして礼を言ってカレン様と分かれた後。
――この国は、手を結ぶ相手であってほしい。改めて、そう心から、そう願った。
第6章はこれで終わりです!
次の話から、セレフィアに戻ってコウが国の動乱に大きく巻き込まれていきます!
ブクマ、評価、感想をいただけると作者の励みになります!
お気軽にいただけるととても嬉しいです。