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調和気

 「な、何じゃその剣は、その気は……そもそも穢気はどうした!?」


 老騎士の声が震えていた。


 ボクが静かに老騎士に向かって歩みを進めるたびに、彼はじりじりと後退る。その目は明らかに動揺を湛えていた。


 「受け入れたよ」


 ボクは剣をひと振りする。空気が風を切る音を立てた。


 「これまで、散々悩まされてきたけどね。でも今は――この力、よく馴染むよ」


 黒と白の気が編み込まれるように剣に纏いつき、揺れるように光を放つ。それは神聖さと恐ろしげな存在感を共存させていた。


 老騎士は一歩だけ後退ったが、すぐに虚勢を張ったように剣を構え直す。


 「ちょっと異質な気を使えるようになったからって、剣の腕まであがったわけではないじゃろうて。まだまだ青いのう」


 「うん、そうかもね」


 ボクは柔らかく笑って、でも目だけは真っ直ぐに見据える。


 「でも、時間がないんだ。ごめんね」


 言葉と同時に、一歩踏み込む。

 地面を蹴り、一閃。

 風とともにボクは老騎士の脇をすり抜ける。


 「な、何が……?」


 老騎士の瞳が、まるで理解が追いつかないとでも言いたげに彷徨う。


 振り返った先に、ボクはもう背を向けて剣を収めていた。


 老騎士は、自分の手に目を落とす。

 そして気づく。握っていたはずの剣が、柄ごと真っ二つに斬れていることに。


 「……馬鹿な」


 そして、更に視線を落とし、彼自身の身体に眼を向けると、そこには1本の深い斬撃が刻まれていた。


 それは先ほどボクが駆け抜けた軌道の延長線――まるで時間差で刻まれたかのように。


 老騎士の口がかすかに開き、何かを言いかけた。

 けれど、その身体は言葉よりも先に変化を始めた。


 「……っ!」


 斬られた部分からじわじわと黒い気があふれ出すと、装束の下から乾いた音と共に砂のような灰がこぼれた。


 「バカな……バカなバカなバカな……!」


 その場に膝をつき、むせかえっている。

 目は見開かれ、理性と狂気の間を揺れていた。


 「……いや……いや、違う。こんなことが……」


 老騎士は胸を押えながらこちらを向き、そして苦悶とも怒りともつかぬ表情をこちらに向ける。


 しかし――


 「……は、ははっ……ふふ、ふははははっ……!!」


 乾いた笑い声が、祠の空間に響き始めた。

 それは徐々に熱を帯び、やがて彼は天を仰ぎながらの狂気の咆哮へと変わっていく。


 「これは……これはこれは……!! はははははははっ! なんと愉快な……!!」


 立ち上がることもできず、少しずつ崩れていくその身体でなお、老騎士は笑い続けた。

 笑いながら、自らの朽ちていく両手を見下ろすようにして言った。


 「完敗じゃ……完全なる……完膚なきまでの……!」


 そして、その声が途切れる直前、目をぎらつかせて低く呟く。


 「……だが、これでまた……この世界は面白いことになりますぞ……」


 彼の身体は、最後には風化した彫像のように砂と化し、さらさらと風に乗って散っていった。

 その残滓には、怨念とも執念ともつかぬ、黒い気がほんのわずかに滲んでいた。


 (何かが始まるのか……?)


 そう直感した。老騎士の残した言葉が、妙に胸に引っかかっていた。

 でも――今は、それよりも。


 「イリス……!」


 ボクは振り返り、祠の奥で倒れている彼女の元へ駆け寄った。


 ***


 「イリス……っ!」


 彼女は地に伏し、全身が黒い気に覆われていた。額には脂汗が滲み、息も荒い。苦しそうな表情が、その身を蝕んでいる穢気の濃さを物語っていた。


 「イリス、ちょっと待ってて……」


 ボクは彼女の丹田の位置に手を当てる。

 そして、自分の内から湧き上がる白と黒が入り混じった“中庸の気”を、そっと流し込んだ。


 (頼む……これで、きっと)


 イリスを包んでいた黒い気は、次第に白い光に飲み込まれるように揺らぎ、ゆっくりと薄れていった。


 やがてその痕跡すらも霧のように消え、彼女の身体に刻まれていた傷跡すら、すべてが癒えていた。


 (……よかった)


 ボクは小さく安堵の息を吐く。

 頭の中には、リゼとの修行の日々が思い出していた。どうやったかはわからないけど、あのときも、リゼは暴走しかけたボクを引き戻してくれた。だから、なんとかなる気はしていた。中庸の気があれば、きっと。


 ボクはその場に座り、改めて手のひらを見つめる。中庸の気の、静かで力強い光がまだ残っていた。


 (これは……怒りや憎しみを否定する力じゃない。信念と結びつけて、昇華する力だ)


 怒りや恐れ、悲しみや憎しみを抱くこと。

 それを「悪い」と決めつけるのではなく、向き合い、自分自身の大切にする信念と融合させて消化していくこと。

 ボクは、心の中で静かに誓った。


 (この剣で、自分を……そして、身近にいる大切な人を守る)

 (世界なんて救えなくても、せめて手の届く場所くらいは……)

 (そして、その大切な人は、自分自身で見つけて、選ぶんだ)


 ***


 小一時間ほど、たっただろうか。横で微かな声が聞こえた。


 「ん、んんー……」


 イリスが、目を覚ました。


 「……あれ、コウ……?」


 目を細め、まだ意識がはっきりしていないようだったが、すぐに何かを思い出したように飛び起きた。


 「っ、あんた! コウの中に老騎士が……!」


 彼女は剣を掴み、すっと距離を取る。そして、睨みつけるようにボクを見た。


 「もう騙されないから! 口車に乗らないんだからね!」


 そう言って剣を構えたイリスに、ボクは慌てて両手を上げて叫んだ。


 「ちょ、ちょっと待ってってば! ボクだよ、コウだよ!」

 「嘘よ! さっきもそうやって……!」

 「違う! 本当にボクなんだってば! ほら、見てよ、剣も持ってないし、ほら、気だって出してない!」


 イリスは数秒、そのまま睨み続けていた。でも、攻撃の手を止め、剣をわずかに下げた。


 「……本当に、コウなの?」

 その声は、さっきまでの勢いが嘘のように小さくなっていた。

 彼女は剣を落とし、その場にぺたんと座り込んだ。


 「うん、ボクだよ、イリス」


 ボクはイリスの傍に歩みそっと腰をかがめて改めて礼を言う。


「……そして、ありがとう。ボクを、守ってくれて」


 顔を赤くしたイリスは、視線を逸らしながらぽつりと答える。


 「こ、こちらこそ……ありがと……」


 その声は、か細くも、どこか安心したように聞こえた。

 こうして、ボクたちは“浄化の祠”をあとにした。

 ボクの中には、新しい力が確かに芽生えていた。

 そして、それと同じくらい――大切なものを、これから守り抜くんだという決意も。

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