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覚醒

 真っ暗な空間だった。音も、風も、何もなかった。ただ、ボクはそこに立っていた。


 「……ここは……?」


 周囲を見渡そうとするが、視界のすべてが闇で包まれている。何かを感じようにも、手応えがまるでない。ただ、足元から何かが這い上がってくる気配がして、思わず下を見た。


 黒い影だった。なぜかそれだけは視認ができた。モヤのようで、煙のようで、それがボクの足元からじわじわと這い上がってくる。


 「恨めしい」「あいつを殺せ」「壊せ」「全部、消せ」


 影から声が聞こえる。いや、違う。ボクの頭の中に、直接流れ込んできてる。


 「やめろ……やめろっ……!」


 思わず足にまとわりつく影を振り払おうとするが、そいつらはどんどん絡みついてくる。足を取られ、踏ん張りが効かなくなって、ボクはその場に倒れ込んだ。


 すると、次の瞬間、全身が黒い影に覆われた。ぬるりとした気持ち悪い感触が全身を包み込んでいく。そして見えなくなる。自分の手も、体も。すべてが黒に染まっていく。それと同時に憎しみ、悲しみ、怒りなど黒い感情がボクの中に渦巻いていく。


 そして次に目の前に突如映し出されたのは――幼いボクだった。


 フェン村の広場。そこには、子供の頃のボクがいた。周囲を囲む村人たちが、口汚く罵る声が耳に響く。


 「化け物め」「出ていけ」「この村を穢すな」


 石が投げられ、棒で叩かれ、何度も突き飛ばされる。幼いボクは泣きながら、ただただうずくまっていた。


 そしてそんな幼いボクを庇うわけでもなく、他の村人と一緒になって罵る両親がいた。


 「あんたなんか産むんじゃなかった」

 「屋根のあるところを貸してやってるだけでも感謝しろ」

 「お前はうちの子じゃない」


 (なんなんだよ。 ボクが何か悪いことしたっていうのかよ。 ただただ、生きてるだけなのに。 それすら許されないのかよ……)


 その光景を見て、絶望を感じている “今のボク”の耳元に、またあの声が囁く。


 「自分を傷つけるあいつらを殺せ。お前の力でねじ伏せろ」


 (そうだ、ボクには力がある。この力で全てを……)


 気がつけば、ボクは剣を握っていた。全ての憎しみを込めて村人の中心にいる両親を一太刀で葬ろうと、そう思って剣を袈裟斬りに振り下ろしたそのとき。


 振り下ろしたボクの剣は、なぜか音もなく剣でいなされ、明後日の方向に流される。そしてそこには久しぶりの見知った顔がいた。


 「やれやれ、保険をかけておいて正解だったな」


 聞き慣れた、懐かしい声が、ボクの耳に響く。


 「……リゼさん……?」


 影の中に現れたのは、懐かしい師匠リゼの姿だった。彼女は溜息をつきながら、片手をポケットに突っ込んでこちらを見ていた。


 「今の私には、お前を引き戻すだけの力はない。だが――戻るきっかけくらいは、与えてやれる」


 そう言って、リゼはボクに向き直る。


 「お前が修行を終えた後、何に出会った? 何を見つけた? お前が大切にしたいものはなんだ?」


 その問いかけが、胸に突き刺さる。


 「それが、お前に伝えられることだ。あとは――お前次第だ。きっと、私と別れた後もがんばったんだろ?」


 リゼは、ふっと微笑むと、影の中に溶けるようにして消えていった。


 残されたボクは、その場にぽつんと立ち尽くしていた。


 ***


 次に気がついたとき、ボクはいつもの焚き火の前に座っていた。どこか懐かしく、落ち着く光景だったけど、火の色が、どこかおかしかった。


 ――黒い。


 焚き火は、静かに揺れていた。

 最初は、淡い橙色だった。あたたかくて、落ち着く色だった。けれど、じっと見つめているうちに、火の芯に黒いものが混じり始めた。

まるでボクの感情が火に映ってるみたいだった。


 (ボクは――)


 いろんな思いが頭を駆け巡る。そして今も頭の中で「憎め、悲しめ、怒れ」と声がしている。


 (なんで……)


 その瞬間、心の奥から感情が噴き出した。


 (なんで、あんな目で見られなきゃいけなかった?)

 (なんで、何もしていないのに、あいつらは……!)


 幼い頃の記憶が、焚き火の中に浮かび上がる。


 父さんと母さんの、あの背を向けた眼差し。

 馬小屋に閉じ込められたときの寒さ。

 村人のボクを忌み嫌うような視線。


 ――「こっち来るな!」

 ――「気持ち悪い!」

 ――「こいつのせいで、畑が枯れた!」


 大人達にとって、村にとって、都合が悪いことは全部ボクのせいにされた。


 「忌み子がこの村にいるからだ」

 「お前さえいなければ」


 言葉が、突き刺さる。

 炎の黒が濃くなる。


 (許せない)

 (あいつら全部……)


 握りしめた拳に力が入る。

 (今なら、やれる。ボクには力がある)

 (殺せる。跪かせられる。すべてを――壊せる)


 その瞬間、焚き火の炎がメラッと音を立てて高く燃え上がった。

 赤黒い炎が空を裂くように上昇し、辺りの空間すら焦がしていく。


 更に――


 (イリス……)


 血を流し、倒れ込む彼女の姿。

 老騎士の嘲るような笑い声。


 「鼠風情が……」


 イリスを踏みにじるような、その言葉。


 虚ろになる意識の中、イリスが切り刻まれる姿だけが朧気に見える。

 何もできない自分の目の前で、彼女が地面に倒れたときの衝撃。


 (許せない……)


 胸の奥がぐつぐつと煮えたぎる。

 怒りが、理性の枠を超えて膨れ上がる。


 (あいつだけは……あいつだけは、絶対に許さない……!)

 (何もかも好きにして、踏みにじって……!)

 (イリスを、あんなふうに――ッ!)


 焚き火の炎が、黒と赤を織り交ぜながら爆ぜる。

 大地が揺れる錯覚。空気がねじれるような、痛み。

 燃え上がるその業火の中で、ボクの目に映るのはただ一つ――老騎士の顔。


 (この手で、この力で、消してやる……)

 (跪かせて、悔い改めさせて、それでもなお――壊したい)

 (この怒りは、止まらない。止めてなんかやらない……)


 拳を、力任せに地面に叩きつける。


 (あいつが、あいつがッ――!)


 でも――その黒い炎の端に、ふっと白い光が混じり、そして声が聞こえる。


 「ダメだよ、もう一度、これまでのことを思い出して?」


 その声にボクはかぶりを振って叫ぶ。


 「もういいんだ! もう目の前の人が、そして自分が傷つくのは嫌なんだよ! この手で、全てを壊したいんだよ!」


 「そんなことをしたら、ボクまでいなくなっちゃうよ……もうそろそろ、限界だよ」


 その声にボクは一瞬だけ我に返る。すると、頭の中でこれまでのことがフラッシュバックのように流れる。


 (……これは?)


 目を凝らすと、白い炎の揺らぎの中に、不意に、別の記憶が滲み込んできた。


 剣の音。

 空気を裂く風の感触。そう、リゼと過ごしたユグ山の記憶だ。


 「立ち方が甘い。剣の重さに頼るな」

 「はいっ……でも、もうちょっと優しく教えてくれてもいいんじゃ……」

 「甘ったれんな。世界はもっと残酷だ」


 少しだけ口の悪い、でも本当に優しかったリゼの声。

 一緒に鍋を囲みながら、彼女がぽつりと呟いた言葉を思い出す。


 「……お前がどこまで行けるか、楽しみなんだよ」


 その言葉が、今でもずっと胸に残ってる。


 焚き火の炎の中で、またひとつ、別の光景が浮かんだ。


 イリスとの出会い――

 荷物を持って前が見えないボクがイリスを押し倒す。

 そして、彼女の平手打ち。頬が熱かった。たしかに、最初の出会いは最悪だった。

 そんな中、ぎこちなかったけれど一緒にこなしたクエスト。小さな成功と、少しの笑顔。

 気がつけば、彼女の存在が少しずつ、ボクの中で重みを持ちはじめていた。

 次に浮かんだのは、敵に向かって背中を合わせて、忘却の騎士や吸気の祠で困難を一緒に乗り越えた記憶。


 言葉を交わしながら、剣を振るったあの瞬間。呼吸が、鼓動が、彼女と重なっていた。


 そして――


 グレナティスのあの丘の上、夕焼けの空を背に、イリスが気持ちを打ち明けてくれた記憶。


「もっと強くなる。この街を、町の人の笑顔を、守れるように。それが、今の私の信念で、やりたいこと」

 そこで感じた、彼女への尊敬と、そして自分も何かしたい、という気持ち


 最後に、あの宿屋の記憶が浮かんだ。

 気を失い、ぼんやりと目を開けたとき。


 「……よかった」


 そう言って、ボクのそばにいたイリス。

 どれだけ不安だったか、どれだけ心配してくれたか――その声に全部詰まっていた。

 ボクは、守られてきた。

 信じてもらってきた。


 気がついたら、ボクの眼から涙があふれ出ていた。


 そして、だからこそ改めて感じる感情があった。

 ボクは今、怒っている。


 (でも、ただ壊したいんじゃない)

 (あの人たちを……自分を大切にしてくれた存在を、これ以上踏みにじらせたくない)


 (そうだ……)

 (ボクが怒りを、そして憎しみを抱いているのは、ただ壊したいからじゃない。 自分の守りたかった人を、イリスを守れなかったからなんだ)


 (ボクがやりたいこと……それは、この手で、この剣で、ボクの大切な人達を、場所を守りたい)


 そして、どこからかボクの耳にイリスの「もっと自分を信じなさい」という声が聞こえる。

 すると、目の前には俯いた幼いボクがいた。


 (そうか……そして、ボクは自分自身を信じるため、守るために、自分の価値を、自分の信念を脅かす存在に対しては怒って良いんだ)


 怒りは、確かにある。憎しみも、消えない。

 でも、それを捨てるんじゃない。怒りや憎しみの炎で信念の炎を大きく燃え上がらせるために使うんだ。


 それに気がつくと同時に白と黒が混じった焚き火の光が大きく燃え上がり、そしてボクの体を包み込む。

 でも、不思議と熱くない。むしろ、静かな力が湧いてくるのを感じた。


 (これが、中庸の気……?)


 全身を包む光が、次第に更に強くなって――ボクの視界は真っ白に染まった。


 ***


 光が収まると、目の前には老騎士がいた。


 驚愕の表情を浮かべながら、こちらに向かって歩いてくる。


 「馬鹿な……なぜ、立てる……?」


 ボクは静かに立ち上がり、剣を手に取った。


 「ボクは、ボクの大切なものを、そして自分自身を守るために、この剣を振るう。――もう、容赦はしない」


 その言葉と共に、ボクの体から気がほとばしる。

 白と黒。相反する色が、同時に存在する気。


 それが、ボクの選んだ――中庸の気、調和気だった。

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