ガールズトーク
コウが目を覚ましてから、少しずつ体調も回復しつつあるようで、私はようやく心の底から安堵していた。
彼が気を失っていた間に起こったこと――森の中での影狼との戦闘、通りすがりの冒険者たちに助けられたこと、帝都の様子、そしてカレン様との出会い――それらをできるだけ簡潔に、けれど漏れのないように伝えた。
ただ、影狼の群れをどうやってしりぞけたのか、という点については、「通りすがりの冒険者の人が助けてくれた」とだけ伝えた。
ジークとエルネアのことを話すわけにはいかないし、かといって嘘をつくのも嫌だった。嘘は言ってないけど、全ては話をしていない、といったとこだろうか。でも、この鈍いコウのことだから、それ以上の疑問は持たなかったと信じよう。
「そっか。また、その冒険者の人たちとどこかで会えるといいな」
そう言って無邪気に微笑んだコウに、私はこくりと頷くだけで返した。私を――そして、結果的にコウをも救ってくれたふたりには、本当に感謝してもしきれない。
さらに私は、カレン様から聞いた話も伝えた。どうやらこの国の穢気が、コウの中に入り込んでいるかもしれないこと。そして、それを浄化するための祠があること。うまくいけば、そこで体の状態が少しは楽になるかもしれないということ。
コウはその話を聞きながら、こくりと頷いた。
「……そのあたりから、うっすら意識が戻ってたんだ。だから、話はなんとなく聞いてたよ」
しばらく沈黙が続いたあと、彼は少しだけ視線を落として、ぽつりと呟いた。
「ボクさ……イリスみたいに、自分が何をしたいのか、ちゃんと考えたいんだ」
その言葉のあと、コウはふと遠くを見るように視線を逸らしてから、ゆっくりと言葉を継いだ。
「……気を失ってた間にね、変な夢みたいなものを見てたんだ。黒い焚き火の前で、たくさんの魔物に襲われて……それで、その中に、幼い頃のボクがいたんだよ。そいつが、『お前はいつも誰かに言われたことをやってるだけだ、本当のお前なんてどこにもいない』って、そう問いかけてきたんだ」
そう語る彼の顔は少しだけ寂しげだったけれど、その目には確かな光があった。
「……そのときは、答えられなかった。だから、ね。それを探すためにも、自分自身の黒の器や穢気に関係する場所は行ってみたいと思ったんだ」
不意にそう言われて、私は思わず目を見開いた。
「だから、浄化の祠に行けば、何かヒントが得られるんじゃないかって思ってる。体調の問題だけじゃなくて、自分のこと、もっと知るためにも……行ってみたいんだ」
それは決意というよりも、祈りのような声だった。彼自身もまだ、答えにたどり着けていないことを、痛いほど感じた。それは、少し前の自分が感じていた思いでもあり、コウの気持ちはよくわかる。
だから私は迷った末に、一つだけ気になっていることを口にした。
「ねぇ……吸穢の祠のときと、同じことにならないかって、ちょっと心配してるの」
その言葉を聞くと、コウはすぐに頷いた。
「うん。ボクもそのことは考えた。確かにまた危険な目に遭うかもしれない。けど……もしそれがボク自身の発見につながるのなら。 あるいは、ボクがその危険な目にあうことで他の誰かがあうはずの危険に遭わないで済むのなら――行ってみたいって、思うんだ」
なんで、こいつは――。
私は唇を噛んだ。いつもそう。自分のことより、誰かのことを先に考えて。
(どうしてこいつは、いつもそんなに自虐的なのよ……)
でも、言っていることは理屈としては正しいし、なにより今のコウが、自分の意志でそう言っているのがわかる。
(手間が掛かるわね、まったく)
そう思いながらも大きく息を吸い込みコウに伝える。
「……わかったわよ。じゃあ、ちょっとカレン様のところで詳しい話、聞いてくるから。あんたはここで休んで体調を戻しておきなさい」
私はそういって立ち上がると、部屋を後にした。
***
カレン様から案内された館は宿屋から出て少し歩いた先の帝都の中心部にそびえ立っていた。
門の前に立つ兵士に「イリスと申します。カレン様にお話があるとお伝えください」と告げると、彼は「お話は伺っております、どうぞこちらへ」とすぐに頷いて中へと案内してくれた。
木造の建物は、豪華絢爛というほどではない。けれど、ひとつひとつの家具や装飾には丁寧な手入れが施されており、空間には微かに香が焚かれ、どこか懐かしさと安らぎを感じさせた。
兵士に案内されて進んでいく廊下は長く、そして少しずつ上階へと導かれていった。
(こんなに奥深く、そして高い場所に……やっぱり、カレン様ってかなり高位な方なんだ)
そんなことを考えながら歩いていると、「こちらです」と案内されたのは、館の天井近くにある静かな一室だった。
扉が静かに開く。中にはベッドに横たわる白髪の男性と、その傍に椅子を置いて座るカレン様の姿があった。
思わず息を呑む。
――なぜだろう。初めて見るはずの光景なのに、まるで、決して踏み込んではいけない聖域のように感じた。
けれど、カレン様はすぐにこちらに気づくと、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「お待ちしておりましたよ、イリスさん」
その声はやわらかくい。けれど、カレン様のお顔はほんの少しだけ疲れを帯びているように見えた。
「お忙しいところ、ありがとうございます」
私は頭を下げ、ちらりとベッドに視線を送る。白髪の男性――整った顔立ちのその人は、静かに目を閉じていた。
「……気になりますよね」
カレン様は私の視線に気づいたようで、少し遠い目をしながらそう言った。
「い、いえっ、すみません。話しにくいこともあると思いますし……!」
あたふたと答える私に、カレン様はくすっと笑って、首を横に振った。
「いいえ。せっかくですから、少しお話をさせてください」
彼女はふと視線を落とし、そっとその人の手を握る。
「あなたとコウさんを見たときに……ふと、思ったのです。もしかして、私たちもこうやって他の人から見えているのかも、って」
「え……?」
思わず素っ頓狂な声が出ていたかもしれない。その様子にカレン様は、口元を緩める。
「イリスさんがコウさんのことを真摯に思い、看病し、心配する姿を見て……私も同じようにみえるのかもしれないなって。 だから、勝手にですけど、自分を重ねていたのかもしれません」
そう言って、彼女はゆっくりと語り始めた。
「彼は、セルギス様といいます。このザイレム帝国の皇帝、カイエン様のご子息です」
「えっ……!」
思わず声が漏れた。
(この人が…… 帝王の息子……?)
日中にもかかわらず横たわっているその様子から、決して健康に優れた状態ではないことが見て取れる。
「セルギス様は、長年にわたる戦乱の中で、この地に満ちる穢気を――コウさんと同じように、その身に蓄積されています。私は、その穢気を封じ、押さえ込む“鞘”の役割を担っています」
その声音には、淡い哀しみと、確かな意志があった。
「私は、セルギス様にお仕えしています。そして……心からお慕いしています」
静かにそう告げたカレン様の横顔を見たとき、私ははっとした。
――この人、すごく、綺麗だ。
外見だけの話じゃない。何かを信じて、守ろうとしている人の表情。そこに宿る“強さ”が、ひどく眩しく見えた。
「わ、私は“慕う”と言えるほどの思いはコウに対して……」
途中まで口にしたところで、自分でもその言葉に引っかかるのがわかった。言い切れない。心のどこかで否定したい気持ちと、でも確かに浮かび上がってきてしまう感情のあいだで、思考がくるくると空回りをはじめる。
(べ、別に、そういうんじゃない。そういうんじゃ……ない、けど……!)
「彼に対して、どうなのかしら?」
カレン様は少し意地悪そうな微笑みを浮かべてこちらをじっとみてくる。
言葉がつっかえて、それでも何か言わなくちゃと思って口を開く。
「私は、自分のやりたいことを実現するためのパートナーとして彼に協力してもらってるだけで……それで、その……」
顔が熱くなるのを感じた。言葉が次の段になかなか繋がらない。視線は泳ぎ、手はじっとりと汗をかいて膝の上でぎゅっと握られていた。
そんなイリスの様子を見て、カレンはくすりと笑みを浮かべる。
「うふふ……そういうことにしておきましょう」
その笑みは、どこか姉のようで、母のようで、すべてを理解した上でただ見守るような、やさしさに満ちていた。
「……わたくしにも、似たような頃がありましたから」
そう小さくつぶやいたカレンの声に、私はハッとして顔を上げると、微笑んでいた。
「では、本題に入りましょうか」
そう言って、彼女はそばに用意されていた地図を取り出し、机の上に広げる。
「この帝都から川沿いに上流へ向かって歩くと、山の中腹を切り抜いたような場所に祠があります。おそらく、彼の体調も明日には戻るでしょうから、そのときに一緒に行くとよいでしょう」
私は真剣な面持ちで地図を見つめ、こくりと頷いた。
「はい。ありがとうございます。後日、またご報告に伺います」
「そのときは、甘い物でも準備しておきますね。 イリスさんとまたお話できるのを、楽しみにしておりますわ」
次の機会を誘ってくれたカレン様に背を押されたような気がして、私は自然と口元を引き結んだ。
(次にカレン様とあうときには、コウへの気持ちも胸を張って話ができるといいな)
カレン様の言葉に私は深々と頭を下げ、地図を手にして、急いでコウのもとへと戻る道を駆け出した。
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