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感謝の気持ち

 ──誰かの声が聞こえた。


 遠く、ぼんやりとした音の向こう側で、イリスが誰かと話している。やわらかく、落ち着いた口調の女性の声だった。


 (……誰……?)


 まぶたが重い。全身が鉛のように沈んでいる。喉はカラカラで、息をするたびに胸の奥がきしむように痛んだ。


 (ここは……どこ……?)


 少しずつ、意識が戻ってくる。焚き火。黒い炎。幼いボク。そんな記憶が波のように押し寄せては引いていく。


 2人の会話が断片的に頭に入ってくる。邪気、穢気、浄化の祠……。きっとボクの体のことを話しているのだろう。

 ボクは、ぼんやりとしながらもその会話を聞いていた。頭の中で繰り返される言葉たち。その一つひとつが、体の奥深くに引っかかっていく。


 「その祠に、この方をお連れください。穢気を流し出し、身体の巡りを整える役目を果たしてくれるはずです」


 知らない声の女性がイリスに提案している。しかしイリスは即答しない。多分だけど、前回の吸穢の祠のことを思い出しているのだろう。


 (でも、もしかしたら……自分のことを知る、いい機会かもしれない)

 次第に意識が明瞭になり、そして、ようやく、わずかに体が動いた。


 「……イリス」


 掠れた声が自分の喉から漏れる。二人の会話が止まった。イリスの顔が振り返る。


 「いこう。その祠に。ボク、行ってみたい」


 イリスの驚いたように見開かれた目の向こうで、女性がそっと微笑んだ。


 「ようやく目が覚めたみたいですね」


 赤みがかった淡い髪を肩で揃えた、巫女装束の女性から声を掛けられる。どうやら、彼女はボクが目を覚ますことは必然のような顔をしている。先程まで話をしていた知らない声の主の声だとすぐにわかった。


 「コウ!?」


 イリスが駆け寄ってきて、ボクの枕元にしゃがみこむ。ボクは返事をしながらイリスの藍色の綺麗な瞳を見つめ返す。


 「よかった……」


 そう言って、イリスは少し安心したように目を伏せたが、彼女の瞳に溜まった涙が、すっと頬を伝いすぐに指先で拭われる。そして顔をあげると強い口調で言い放った。


 「もう! あんたが気を失ってる間、大変だったんだからね!」


 イリスらしい“強がり”に、なんだか安心する。


 巫女装束の女性はそんな様子を見て、ふわりとした声で言った。


 「とりあえず、大丈夫そうですね。祠の話はまた落ち着いたときにあらためてご説明します。館にお越しいただき、私の名――カレン、と伝えていただければ、お通しするように伝えておきます」


 彼女の背後に控えていた兵士が一礼すると、カレンは静かに扉へと向かった。


 「本当に、ありがとうございます」


 イリスが深々と頭を下げる。その声を最後に、扉がぱたりと閉まり――

 部屋には、再び静寂が降りた。


 ***


 扉の外で響いていた足音が、やがて遠ざかり、やがて完全に消えた。

 廊下の向こうにカレンと兵士の姿が見えなくなったことを確認してから、ボクはイリスに向き直った。


 「……イリス、ごめんね」


 掠れた声でそう言うと、イリスは一瞬驚いたように目を見開き――次の瞬間、眉をぎゅっと寄せた。


 「もう……あんたってほんとに……!」


 そう言いながら、一刺し指を鋭く立てて、こちらに突きつけてくる。


 「ごめん、じゃないでしょ!」


 ぐっと顔を近づけ、真っすぐに睨みつけてくる。


 「……あ・り・が・と・う、でしょっ!!」


 その強さに圧倒されて、思わず肩をすくめた。


 「そ、そうだね……ありがと」


 イリスの勢いに負けてボクはそう言って笑ってごまかすしかなかった。


 「まったく……人がどんな気持ちでこの数日を過ごしたか、あんたはわかってるの?」


 イリスの声が、少しだけ揺れている。


 「えっと……めんどくさい……とか?」


 その瞬間、空気がピリッと音を立てたような気がした。


 「はぁ!? もう、ほんと、あんたバカなの!? バカすぎるでしょ!?」


 怒りのボルテージが一気に跳ね上がる。


 「めんどくさいと思う相手と、こんな異国の地にまで一緒に来ると思う!? か弱いレディの私が、肩を貸して、魔物のうろつく森を抜けると思う!? 放っておくわよ、そんなの!」


 言葉を並べながら、イリスの声はだんだんと小さくなっていく。


 「いつもどんなに苦しくても、歯を食いしばって無理してるあんたが、剣も握れない、地力で立てない状態に急になって……そんな状態を真横で見せられて……だから、この先あんたが起きなかったらどうしようって……ずっと、そればっかり……」


 イリスの視線がゆっくりと床へと落ちていき、そして小さく背を向けた。


 「ほんと、心配して損したわ……」


 小さく、苦い吐息が混じった。


 しばらくの間、背中越しに静けさが流れる。そして、その中から――


 「……ほんと、心配したけど……無事でよかった……」


 その声は、とても小さくて。だけど、まっすぐにボクの心の奥底に届く力を持っていた。


 (逆の立場だったら……)


 ボクはそんなことを考えて見た。いつも隣でツンツンしながら、普段は罵声を、ときに笑顔を振りまいて一生懸命なイリスが、魔物と戦っている最中にその場で立てなくなってしまったら、と思うと……


 (イリス……)


 きっと、この数日、彼女はずっと不安だった。

 ボクが目を覚まさなかったらどうしようって、そんな恐怖の中にいた。

 それでも、泣き言ひとつ言わずに踏ん張って、ここまで運んでくれた。

 異国の地で、頼れる人もいない中でボクをなんとかできる人を探して、そして実際になんとかしてくれた。


 (そっか……)


 そう思うと、申し訳ないという気持ちよりも、そこまで自分のためにやってくれたという嬉しさが、心の中を満たし、自然に言葉がでていた。


 「ありがとう、イリス」


 もう一度、今度はまっすぐにそう言った。心を込めて。

 イリスはその言葉に少しだけ肩を震わせて、それから振り返った。


 「ま……まぁね。あんた一人くらい守れなきゃ、グレナティスを守りたいなんて言ってられないし」


 照れ隠しのように言いながら、頬がうっすらと赤くなっているのがわかった。


 「だから……助かってよかったって思ってるだけよ。べ、別に他意はないんだからね」


 いつもの調子に戻ったような、でもどこか安心してるような声だった。


 「ちょ、ちょっと……お水取ってくるわ!」


 イリスは唐突にそう言うと、立ち上がって扉へ向かった。そのまま部屋を出て行った。


 扉が静かに閉まり、また部屋の中に静けさが戻ってきた。

 ベッドに沈み込むように体をあずけ、ボクは天井を見上げる。


 「……ありがとう、イリス」


 今度は、誰にも聞かれないように、小さな声で、自分のためだけに呟いた。


 言葉が、自分の中に静かに染み込んでいく。


 幼い頃から、誰かにごめんなさいを言うことはあっても、自分が心からありがとうと言うことは、そう多くはなかった。


 でも今は、ちゃんと伝えたいと思った。


 そばにいてくれて。

 怒ってくれて。

 笑ってくれて。


 そして、そう思える相手がいること、そう思える自分が在ることがどれだけ大切なことなのか、ようやく気づけた。


 胸の奥に、ほんのりと温かさが広がっていく。

 まるで、そこに火が灯ったみたいに。

 気づけば、頬を伝うものがあった。ひとつ、ふたつ、ぽたりと落ちる。


 (ああ……これが、嬉しいっていう気持ちなんだ)


 涙がこぼれることも、恥ずかしくなかった。

 誰もいないこの静かな空間で、ボクはただ、穏やかにそのぬくもりを抱きしめていた。

この話で第5章完了です!

本当は次から読んでいただく第6章までまとめて第5章にする予定だったのですが思いのほか長くなりすぎてしまったのでここで一区切りです。


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