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対話

 ──柔らかな風が、頬を撫でた。


 ふと目を開けると、そこは先程まで穢気を纏った魔物達と争っていたユグ山の焚き火の前だった。だけど、今度は昼間。空は青く、焚き火は真っ赤な炎を穏やかに揺らめかせている。


 (さっきまでの光景はなんだったんだ……? そしてこの変化は……?)


 先程までの体の重さや、魔物を殺すことに対する気分の高揚感はすっかりとなくなり、すっきりしていた。そして焚き火の隣に――幼いボクが、またいた。


 「さっきは危なかったね。あれ以上いってたら、戻ってこれなかったよ」


 幼いボクは、少し疲れた顔でそう言った。どこか微笑んでいるようで、少しだけ涙の跡が見えた気がした。


 「……キミだったんだね、止めてくれたの」


 ボクがそう言うと、幼いボクは、こくん、と小さく頷いた。


 「ありがとう」


 そう言って、ボクは幼いボクの隣に腰を下ろす。焚き火の熱が、心地よく体を温めてくれる。


 しばらく、風の音だけが流れる時間。


 「ねぇ……キミはさ。何でもできるって言われたら……何がしたい?」


 ぽつりと、ボクは口にした。

 先程までの悪夢のような記憶の中で、たしかに言われた「お前は誰かの言いなりになっているだけだ。本当のお前なんてどこにもいない」という言葉は、ボクの頭の中で何度も繰り返されていた。


 (本当のお前なんて、どこにもいない……か)


 その言葉が、焚き火の音に紛れて、何度も頭の中で繰り返されていた。


 最初に聞いたときはただの罵倒にしか思えなかったけれど――今は、違う。


 (ボクは、これまで……何か“自分で”選んできたことなんて、あっただろうか?)


 思い返してみる。

 幼い頃は、周囲の大人たちの顔色ばかりをうかがっていた。

 怒られないように、叱られないように、黙って言われたことをこなす、あるいはやるなといわれたことは決してやらない、選択肢がない毎日。

 心の奥ではいつも何かを押し殺していたのに、それに気づかないふりをしていた。


 (だって、気がついてしまったら自分がとても惨めになってしまうから。だから気がつくのが怖かった。そしてその事実に目を向けるのが怖かった)


 そしてリゼと出会ってからも、自分の“したいこと”ではなく、「彼女に褒められるために」「認められるために」剣を振っていた。


 (それは、ボクが“望んだ”ことじゃなくて、“望まれた”ことに応えただけなんじゃないか?)


 アグナルに言われた通り、イリスと行動して。シルバーを目指して。上を目指して。

 その全部が、「何も考えずに従うことで安心する」ための生き方だったように思えた。


 強くなりたいという思いはある、でも。


 (強くなりたい、って……本当に“ボクの意思”だったのかな)


 もしかしたら、“誰かに必要とされる強さ”を手に入れようとしていただけなのかもしれない。


 “誰かの言いなり”でいることが、自分を守る唯一の方法だったのかもしれない。

 だから、あの言葉――


 「本当のお前なんて、どこにもいない」が、こんなにも胸を抉る。


 (でも……だからこそ、探したい。見つけたい)


 イリスは“自分の手でグレナティスを守りたい”という目標を見つけた。それと比べてボクはこれといってやりたいことが思いつかなかった。それがボク自身にとって、どこかで憧れやそして焦りを生んでいたのかもしれない。


 “本当の自分”なんてすぐに見つからないかもしれない。

 でも、「何が好きか」だけは、ボクが“ボクとして”選べるはずだ。


 (だからきっと、あの言葉は自分自身の中で引っかかっていたのだろう。)


 ボクの問いかけに、幼いボクはしばらく俯いたまま動かなかった。

 静かに焚き火の爆ぜる音が続く中で、彼は小さな唇をぎゅっと引き結んでいた。


 「……うーん……よく、わかんないや」


 ぽつりと、そう漏らす。


 「だってさ。これをしちゃダメ、あれだけやってろって、ずっと言われてきたから……“何がしたいか”なんて、考えたこともなかったんだ」


 ボクは思わず、頷いていた。


 “好き”とか“やりたい”って気持ちを、自分の中に持つ余裕なんて、なかった頃の記憶がある。


 それを思い出してくれているような、そんな静かなやりとりだった。


 でも、幼いボクはそこで言葉を止めず、少しだけ目線を上げた。


 「……でも、そうだなぁ……あの頃さ」


 焚き火をじっと見つめながら、彼はぽつぽつと話しはじめた。


 「よく、村の中で木の棒を拾ってさ、その木の棒で素振りのまねごとをしてたよね」


 (そう言われてみれば、そんなこともあったな)


 ボクは頷くと幼い自分は続ける。


 「みんなが起きてるときだと『余計なことはするな』って言われるからさ、お昼の間に馬小屋の干し草の下に見つからないように隠しておいてさ、みんなが寝静まってからちょっとだけ……ふわっ、って腕を動かして」

 そう言って、幼いボクは小さく腕を振る動作をしてみせた。

 その動きはぎこちなくて、でも、どこか優しくて。


 「何も考えなくていい時間って……あのときだけだったんだと思う」

 「……そっか」

 「うん。怒られないようにするために、いつも怖かった。でも、夜寝る前に、隠れて素振りしてるときだけは、ただ動いてるだけでよくて」


 幼いボクは、焚き火の光に照らされながら、ほんの少しだけ目を細めた。


 「だからかな……あれは、好きだったのかもしれない。上手くなくても、意味がなくても、誰にも何も言われなくても――“木の棒を振ってる自分”は、ちょっとだけ好きだった」


 ボクは幼い自分の素直な言葉に頷いていると彼は少し照れたように笑って、さらに続ける。


 「……あ、あとね。もうひとつあったかも」

 「ん?」

 「イリスといる時間も……結構、好きだなって」


 その言葉を聞いて、ボクは目を丸くする。


 「イリスと?」

 「うん」


 幼いボクは、膝を抱えながらゆっくりと話しはじめた。


 「イリスってさ、普段はツンツンしてるのに、真剣なときとか、困ったときとか、嬉しいときとか、なんていうかな、真剣なときはすごい素直でいてくれるよね? あれって、嬉しいなって思った」


 幼いボクから出たイリスが「ツンツンしている」という表現に思わず吹き出してしまいそうになるがたしかにそうだな、と頷く。

 

 「でもね、それだけじゃない気がするんだ。何もしてないときでも、イリスは……普通にボクのそばにいてくれるじゃん?」

 「うん……」

 「“役に立ってるからそこにいていい”んじゃなくて、なんか……“ボクだから、そこにいていい”みたいな気がして……」


 その言葉を聞いて、ボクは何かが胸の奥でじんわりと広がっていくのを感じた。


 「……それって、すごく、大事なことかもしれないね」

 「うん。だから、ボク、イリスといる時間、なんか楽しいんだ。落ち着くし、安心するっていうか……ちゃんと、自分でいられる感じ」


 (自分が、自分でいられる、か……)


 幼いボクの頬に、照れくさそうな笑みが浮かぶ。


 「そっか……そっか。 うん、ボクもそう思う」


 (そうか。ボクは、いつの間にか“好き”って思えるものをいくつか見つけていたんだ)


 気づけば、空は一層明るくなり、焚き火の炎はその色をますます鮮やかにしていた。


 「ボクは、何をしてもいい」


 焚き火を見つめながら、静かにそう呟いた。


 「イリスと一緒に、剣を振りながら、自分の“好き”を、もっともっと探していこう」


 幼いボクが、安心したような笑顔を見せた。


 「……お兄ちゃん、いつもありがとね」

 「お礼をいうのはこっちだよ。こちらこそ、ありがとね」


 それは、これまで何度も聞いてきたはずの言葉だったけれど――

 今まででいちばん、心に響いた気がした。

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