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訳ありな二人

 突然現れた二人に自分の背中とコウを預けながら、私は戦闘を切り開く。


 ──あと、もう少し。


 そう思うことで、自分の中から最後の力を振り絞るために自分自身を奮い立たせた。


 振り返ると、霧のように立ちこめる影の中、コウを片手で抱えているというよに、男は何食わぬ顔で迫り来る影狼の急所を確実に突く。無駄のない、静かな殺気だった。そしてそれを補佐する彼女は手に持った弓で後方から飛びかかってくる影狼の眉間を貫き、影狼の連携をことごとく断ち切っていった。


 (この人たち……できる……)


 しばらく獣道を進むと、ようやく私たちは森の中の切れ目に出た。木々が少し薄くなったその場所に、男はコウを静かに横たえる。


 「ここで少し待ってろ。エルネア、こいつらを頼んだ」


 あれだけ動いているのに息一つ切らす素振りを見せない男は、それだけ言い残すと再び森の奥へと姿を消した。迷いのない足取りだった。

 残されたエルネアと呼ばれた女性が私に微笑みかける。


 「大丈夫? 無理したわね」


 長身で、すらりとした姿の女性だった。濃い緑色の髪を高く束ねたポニーテール。翡翠のような輝きを持つ瞳。その眼差しは柔らかく、でもどこか芯のある強さを感じさせた。


 エルネアは、小さく息を吐くと手を広げて風の気を周囲に広げると、円を描くように旋回する。


 優しい風が森の切れ目を包み込んだ。小枝や葉が風に舞い上がり、やがてふわりと落ちる。


 「これでさっきの影狼くらいなら、入ってこれないはずよ」


 その声に、私は深く頭を下げた。


 「ありがとうございます……。こいつが、急に体調を崩しちゃって……必死で守ってたけど、一人じゃ……」


 言葉が詰まる。唇を噛みしめる私に、エルネアはそっと肩に手を置いた。


 「よく頑張ったわ。こんな数の影狼、普通なら逃げ出しててもおかしくないのに」


 その優しい声に、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。

 コウの方を見ると、肩で大きく息をしているが、なんとか私たちは生き延びることはできたんだ。


 エルネアはコウのそばに膝をつき、胸元にそっと手をかざした。


 「……ちょっと気を通してみるわよ」


 彼女の指先から淡い風の気が流れ出し、コウの身体に触れる。


 「あれ……」


 エルネアが気を流すと、緑色の気がコウの体を包み込む。だが、エルネアの眉がぴくりと動く。


 「全く通らないわけじゃない。でも……あまり通らない。体が、拒んでいるみたい」


 彼女の表情がわずかに険しくなる。


 「まったく通らないわけではないから、これで少しはマシになるとは思うんだけど……」


 気を流し終わると、たしかに先程まで苦痛に顔をゆがめていたコウの顔が少し落ち着いたようにも見える。


 「命を助けてもらった上に、彼まで助けてもらって……本当にありがとうございます」


 私はこれだけ真剣に頭を下げたことがあっただろうか、というくらい深々と頭を下げる。


 彼女は目を細め、静かに語り始めた。


 「いいのよ、たまたま通りかかった縁じゃない。それでね、あいつらは影狼。この辺りを縄張りにしてて、群れで動くの。今日みたいな大規模な襲撃は珍しいけど……でも、偶に起こるわ。出会ってしまったら、選択肢は二つ。一つは縄張りの外に逃げる。そしてもう一つは――」


 エルネアがそう言ったそのときだった。

 風が揺れ、森の奥から足音が近づいてきた。


 「……戻ってきたみたいね」


 木々の隙間から、再び現れた男は、手にひときわ大きな黒に近い深紫の色をした魔石をぶら下げていた。


 「……だいぶ間引かれてたおかげで、すぐに群れの長にたどり着けた」


 淡々とした口調でそう言うと、男は手元の魔石を見つめる。


 「ってことは、エルネアさんが言ってたもう一つの方法って……?」


 私が問いかけると、彼女は頷いた。


 「そう、群れの長を倒す。そうすれば長を失った群れは散開するわ。少なくとも、同じ群れから再び襲われることはしばらくないはずよ」


 私は思わず深く息を吐いた。


 「……本当に、助けられました。ありがとうございました」


 男は魔石を片手でひょいと投げて、私の方へと放る。


 「俺は最後をちょっと手伝っただけだ。ここまで一人で減らしたのはお前の手柄だ。お前が持ってろ」


 その軽さに戸惑って、思わず手が止まる。


 「い、いえ……そんな……受け取れません、これは……」


 すると、隣でエルネアがくすりと笑った。


 「一度言い出したら聞かないのよ、この人。だから受け取って」


 私はおそるおそる魔石を見つめる。予想よりもずっと冷たくて、でも奥底で熱を宿しているような不思議な感覚がした。


 「……それに、もしかしたら、その魔石が彼を助ける手がかりになるかもしれないわ」

 「え?」


 私は驚いて顔を上げた。


 「どういう……ことですか?」


 エルネアは、ちらりとコウの方を見てから、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。


 「はじめにね、その魔石を持っているというのは金銭的な価値もそうだし、影狼の群れの長を倒したという力の証明にもなるわ。だから、この国で動くのに、いろんな後ろ盾にすることができるの」


 私は受け取った魔石を見ながらこくりとうなずくと、エルネアは続ける。


 「そして彼、多分だけど……何か特別な影響で体調を崩している気がするの。普通の体調不良じゃない。風の気ってあまり使い手がいないんだけど、木と水の気を調和することで得られる気だから、木の気の特徴である回復みたいなのも得意なの。だから、気を通したときになんとなく相手の体調なんかがわかるんだけど、風の気を通した時、反応を受け付けてる気配が薄かったの。しかも、気の流れがひどく滞っていたわ。あれは、……たとえば、穢気の影響を受けた時みたいな反応よ」

 「……穢気……」


 私は息を飲んだ。

 思いもよらない言葉に、思考が一瞬止まる。まさか、こんなところで“それ”の話を聞くことになるなんて。


 「ええ。でも、私には正確な診断はできない。私はあくまで風の気の使い手だし、こういう分野は専門外なのよ。だけど、帝都に専門家がいるの。ユエン様と、カレン様っていう人たち」


 その名前を聞いた瞬間、男が静かに「おい」とエルネアに注意を向けた。

 エルネアはすぐに軽く謝ると、私に向き直った。


 「……ごめんなさい。少し言いすぎたわね。 私たちにもちょっと事情があって、あまり多くを話すわけにはいかないの。でもこれだけはせっかくだし伝えさせて。その二人は気の構造やその異常には詳しい。彼に何が起きているのか、きっと解明できると思う。その二人の力を借りる上で、その魔石は助けになるかもしれないわ」


 彼女は言葉を選びながら、私の目をまっすぐに見た。


 「ただし、私たちのことは内緒にしておいてもらえるかしら?」


 それに続いて、男が一歩前に出て、冷たい声で言った。


 「もしそれが約束できないって言うんなら……お前たちをここで“始末”するしかない」


 その言葉に、私は背筋を凍らせた。

 けれど、彼の目は冗談ではなかった。


 エルネアはすぐに「そこまで言わなくてもいいでしょう」と言って男を軽くたしなめる。

 私は深く頭を下げた。


 「……もちろんです。命の恩人のお二人に事情があるのであれば、絶対に誰にも口外しません。お二人のことは、誰にも」


 しばらく沈黙が流れたあと、男がわずかに息をつく。


 「……それならいい」

 「それなら、せめて名前だけでも覚えていって。私はエルネア。で、こっちの口の悪いのがジーク」

 「おい」


 突然名前を出された男――ジークがむっとした顔でエルネアを見る。

 だが、彼女は涼しい顔で微笑む。


 「名前くらい良いでしょ。ちっちゃい男は嫌われるわよ」

 「……ちっ」


 舌打ちとともに、ジークは肩をすくめて諦めたように背を向けた。


 (エルネアさんが完全に尻に敷いてるわね)


 このちょっとしたやりとりでも二人の関係がわかってしまうほど、二人はわかりやすかった。これだけ強い2人も、感情のある人間なんだなって思うと窮地を救ってくれた感謝の気持ちとともに、ちょっと愛おしさを感じた。


 そして私は改めて自分達が自己紹介すらできていなかったことに気がつく。


 「あ、すみません。ご挨拶が遅れました。私はイリスで、そっちで寝込んでるのがコウです。セレフィア王国から今はちょっとした修行と見聞を広げるためにザイレム帝国まできました」


 「セレフィア王国……」

 「ふん、お前らも事情持ち、ってことか」


 二人はどうやら今の両国の関係を理解しているらしい。少し警戒されてしまったようだ。


 「まぁ、お互いこれ以上の詮索はしない方がよさそうだな」

 「またどこかで会えたら……その時は、改めて……」

 「はい、そのときは是非!」


 そう言うと、エルネアは微笑み、ジークと共に森の奥へと歩き去っていった。


 影狼の霧も、静かに晴れていく。見上げた空には、ようやく木漏れ日が差し込んでいた。

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