気と宿る力
翌朝、ボクは何かがいつもと違うと違和感を覚えながら目を覚ました。
あたたかい。けれど、ここはどこだっけ。
焚き火の残り香、乾いた毛布の重さ。昨夜はとにかく色んなことがあったため記憶が曖昧だったけれど、この場所が――あの馬小屋ではないことだけはそのうち気がついた。
「……あぁ……そうか……」
これまでの馬小屋からの日常から脱却したことに、嬉しさなのか、寂しさなのかよくわからない感情とともに思わずこぼれた声に、戸の向こうからくぐもった返事が返ってきた。
「ようやく起きたか。よし、朝飯前にひと働きするぞ。外に出て来い」
***
小屋の外に出た瞬間、思わず息を呑んだ。昨夜も同じ場所にいたはずだが、暗くて見えなかったものが朝日に照らされ光り輝いている。
眼下には広がる森、霧の合間から朝陽が差し込んで、木々の葉が金色に輝いている。足元の土は柔らかく、野鳥の声が近くで聞こえた。
「ここ……山の中、ですよね」
「ユグ山の中腹だ。気の巡りが安定してて、地脈も深い。人が住むには不便だけど、修行にはうってつけだ」
火の消された焚き火の向こうから現れたリゼが、大剣を背負いながら伸びをしている。
「早速、修行を始める前に、一度基本的なことを教えておいたほうがいいだろう」
ボクがこくりとうなずくと、小屋の前に落ちていた枝をリゼは拾い、土の上に円を描き始めた。
「“気”ってのはな、そこに在るものすべてに流れてるもんだ。血みたいなもんだが、もっと深い。感情や意思、もっというと存在そのものにも関係する。そのものの在り方そのもの、と言ってもいい」
リゼは、円の中に五つの点を描き、それを線でつないだ。
「木、火、土、金、水――五行と呼ばれる属性がある。それぞれによって万物は構成され、それぞれが補い合い、ぶつかり合う。これが“気”の世界の基礎だ」
「構成はなんとなくわかるんだけど、補い合って……ぶつかる……?」
「そう。たとえば――」
リゼは枝で順に指しながら説明する。
「木は火を育て、火は土を生み、土は金を産み、金は水を導き、水は木を潤す。これが“相生”、補完の関係だ」
「けれど逆に、木は土を奪い、土は水を濁し、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を断つ。これが“相克”、対立の関係」
「それぞれが良くも悪くも作用する。だからこそ、バランスが大事なんだ」
ボクは、その図をじっと見つめた。まるで人間関係のようだった。相性が合えば支え合い、合わなければ争う。
「コウ、お前の中にはこの五行すべてがある」
リゼは、真っ直ぐな目でボクを見た。
「そういう奴はな、伝承で“黒の器”って呼ばれてるんだ」
何度かでてきた”黒の器”という言葉に、なぜか一瞬鼓動が早くなる。
「ボクが……?」
「そう。お前の中には、全ての気が渦巻いてる。けど、バランスが悪いと、すぐにどれかが暴走して、他を喰う。最悪、自分も他人も壊す」
「……じゃあ、ボクは危ないってことですか……?」
「そうだな。でも、同時に――希望でもある」
リゼは、焚き火に枯れ枝をくべながら続けた。
「すべての気を調和させる力があれば、穢れた気をも鎮めることができる。何より、五行全てを扱えることで見えてくる世界もあるんだ。 まぁ、そんなのはお前にとってはまだまだ先の話だがな」
ボクは、地面に描かれた五行図をじっと見つめながら、胸の奥にざわざわとした何かがうずくのを感じていた。
「……難しい、ですね」
「そりゃそうだ。だから今日から修行だ」
「さぁ、難しい話は終わりだ。 わたしは理論派じゃない、実践派なんだ」
リゼはそういって足を肩幅に広げて立ち上がる。
「まずは、“世界から気を取り込む”って感覚を覚える。力を抜け。気は力じゃない。“流れ”だ」
そう言って、リゼは自身の腹に手を当てて見せた。
「“丹田”――へその少し下。ここが気の中心だ。気を取り込んだら、そこに集める」
ボクは、立ち上がり、言われた通り腹に手を当てた。
(……うん、よくわからない……)
どうやら、リゼに心の声が聞こえたみたいだ。
「さっき、山の中で歩いたときに感じた森を感じる感覚を思い出すんだ」
リゼにいわれるがまま、今度は目を閉じて森を肌で感じる。
(うん、爽やかな風、そこまで湿気はない、葉が風で囁いてる)
「よし、そのままでいい。 今、肌で感じている感覚を手にまとめるイメージをするんだ」
全身の皮膚がどこかこそばゆく感じる中、その感覚を手の方向へ導くイメージをする。
(……あれ、なんか、体の中が熱くなってきてる……?)
まるでお湯が紙に染みこむかのような、そこにある何かが皮膚を通って体に染み込んでくるような感覚。
「……これが……」
しかし、それが腹のあたりに熱を持った瞬間。
「……待てっ!!」
リゼの言葉と同時に腹の奥から爆発するような衝撃が走った。
空気が震え、焚き火が吹き飛ぶ。小屋の屋根がきしみ、草木が一斉に揺れる。
目の前の世界が、ぐにゃりと歪んだ。
(え……何、これ……)
次の瞬間、ボクの意識は暗闇に引きずり込まれた。
***
目を開けたとき、空はもう夕方に差し掛かっていた。
「……あれ……ボク……寝てた……?」
焚き火の前にはリゼがいた。膝を抱えて座り、何かを考えていたようだったが、ボクが目を覚ますと軽く息を吐いた。
「よかった、無事だったか」
リゼから手渡された水を口に含む。リゼからは先程までと打って変わって、どこか疲労や余裕のなさが感じる。
「気が通りすぎたな。初めてにしては、上出来すぎる」
「そ、そうなんですか……?」
「お前の中の“命気”が多いからだ。だから外の気も吸収しやすい」
「命気……?」
「あぁ、またこれについては魂量とあわせてちゃんと説明しなきゃな。 まぁ何にしても上出来だよ」
「でも、気を失っちゃった……」
リゼはボクを慰めるようにかぶりをふって笑っていた。けれど、その目は笑っていなかった。
でも、リゼはなにも言わなかった。
「明日からは、気の流し方を丁寧にやる。今日のは、まあ……“失敗は成功の元”ってことだ」
「……はい」
ボクは、少しだけ微笑んだ。
そして、焚き火はまた静かに揺れていた。
***
翌朝、目を覚ますと焚き火の前にリゼがいた。
「おはようございます」
ボクはリゼに声をかけると「お、いたのか」とこちらに気がつき腰の袋から古びた腕輪を取り出した。
「コウ、これをつけろ」
「え……これ?」
「気の流れを、少し外に逃がす道具だ。本来は、命気の吸収を増やすための修行に使うものなんだがな」
そこまでいってリゼはふっと笑う。
「お前の場合は逆だ。体の中に溜まりすぎると暴走する気を、少しでも外に流すための道具だ」
ボクは腕輪を受け取り、まじまじと見つめる。腕輪は指で触ると金属特有の冷たさを感じた。
「これがあれば絶対に問題ない、というわけではない。お前が気をつけなければ、すぐ暴発するだろう万能じゃない。けど、お守りにはなってくれるだろう」
少し緊張しながら腕輪を嵌めると、胸の奥がほんの少し軽くなった気がした。
「それと、な。“魂量”を鍛える修行だ」
リゼは続ける。
「魂量……」
ボクが疑問を投げかけるとリゼは続ける。
「命気は、身体の外から気を取り込むのに必要な気。そして魂量は、身体の中に取り込んだ気が“清く在る”ために必要な力だ」
ボクはコクリと頷くとリゼは真っ直ぐにボクを見据える。
「目を閉じろ、コウ。そして、大きく深呼吸するんだ」
リゼの声に従い、ボクは目を閉じて、そして深く呼吸した。
「まずは思い出せ。お前が恐れたこと、辛かったこと、悔しかったこと」
頭に浮かぶのは、村の記憶、馬小屋の寒さ、両親から罵倒される日々……胸がチクリと痛む。
「その時、お前はどのように感じてる?」
「……ボクは……何も……感じていない……?」
「そこに、小さなお前がいるだろう?もう一人の、小さなお前の傍にいってやれ。そして、優しく声をかけてやるんだ。ただ、一つだけ言っておく。焦るな」
ボクは、村の馬小屋の藁の上で膝を抱えて蹲っている幼いボクのとなりに、少し距離をおいて同じように腰掛ける。ほんの数日前にいた場所だったが、もう二度と戻りたくない場所だと感じていることに気がついた。
「ねぇ、キミはさ、辛くない?」
幼いボクは顔を膝に埋め、今にも消え入りそうな声で答える。
「……辛いなんて思っちゃ、だめなんだ。そんなこと言ったらまた怒られちゃう……」
「そっ……か……」
ボクたちは、お互い黙ったまましばらく肩を並べる。
(そう……か。ボクは……感情を押し殺して、誤魔化しているのか……)
どれくらい時が経っただろう。これ以上ここにいても何も変わらないだろうと思って立ち上がると、ボクはなぜか不意に言葉を発していた。
「ねぇ、またここにきてもいいかな?キミの話、また聞かせて?」
すると幼いボクは少し驚いたようにこちらを見上げ、そしてこくりと深く頷いた。
***
目を開けてると火の番をしているリゼが見えた。
「どうだった?」
「うん、あんまり話せなかった。でも、また会いに行くっていったら驚いてたけど、少し嬉しそうだった」
「あぁ、上出来だ」
その言葉を聞いて、ボクの胸の奥は少し暖かくなった気がした。
「しばらくは、この気を感じる訓練と、魂量を増やすための訓練を毎日しっかりやるんだ。それができれば、いよいよ実戦形式で修行ができるようになる」
ボクはこくりと頷く。これまでは生きるために必要な、周りから怒られないようにするためにしていた毎日だったが、これからは違う。自分のために、新たな目標に向かって時間を使う胸の高揚感をボクは感じていた。
ブクマ、評価、感想をいただけると作者の励みになります!
お気軽にいただけるととても嬉しいです。