飛び級
金剛猿の討伐を終えたボクとイリスはエルダスのギルドに戻ると、カウンターにはセリナがいた。
「……おかえり、二人とも」
ギルドの受付に立つセリナが、柔らかな笑顔で出迎えてくれた。
「ただいま戻りました。討伐任務、完了です」
ボクはギルドの受付カウンターに証拠として持ち帰った金剛猿の魔石をそっと差し出す。セリナが一瞥しただけで目を見開く。
「これ、本当に……あなたたちだけで金剛猿を倒したの?」
「ええ、といっても、倒したのはコウで、私はその取り巻きを相手にしてただけだけどね」
イリスが胸を張って言うと、セリナはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「少し待ってて。ギルド長に報告するわ」
セリナが奥へと消えていき、しばらくして戻ってくると、ボクたちはギルド長室に呼ばれた。
ギルドの奥、重厚な扉の向こう。ギルバードが、椅子に座って書類作業をしていた。
ボク達がギルド長室に入ると、ギルバードの視線がこちらを向く。
「……確かに、金剛猿の討伐確認は取れた。間違いないようだな」
ギルバードはセリナから渡された魔石を確認しながら目を細め、しばし沈黙したあと、ゆっくりと言葉を続けた。
「実はな、この昇格クエストをお前達に依頼する時点で裏で本部に相談していたんだが……」
とギルバードはそこで一瞬間を置く。その様子にセリナはなんだか嬉しそうに微笑んでいる。
「お前たち二人……今回は“飛び級”で昇格だ」
「飛び級……?」
ボクとイリスは顔を見合わせ目を丸くすると、ギルバードは鼻を鳴らして笑った。
「言っただろう? 金剛猿の討伐は本来ゴールドランク相当の依頼だって。流石にそれを何のメリットもなしでお前達に受けさせるのはギルドとしても申し訳なくてな」
セリナは続ける。
「本来なら、コウ君達はアイアンランクへの昇格を予定していたんだけど、ゴールドランクの魔物を討伐できるのにアイアンランクはおかしいでしょうって。だから、 “金剛猿単独討伐”という条件付きではあるものの飛び級でシルバーランクへの昇格を認めてもらったの。……ちなみに飛び級昇格なんて、十年だそうよ?」
「十年ぶり……!?」
思わず聞き返すと、ギルバードは言葉を濁しつつ、「まあ昔な」とだけ返した。どこか懐かしむようなその表情に、ボクは小さな違和感を覚えたけれど、それ以上は尋ねなかった。
「というわけで、めでたいわね!」
セリナがぱんっと手を叩いた。
「昇格祝いと、久しぶりのエルダス帰還祝いも兼ねて、今夜は飲みに行きましょう! あたし、行きつけの店があるの」
「え、あ、はい……!」
あまりに自然に、かつ当然のように段取りが決まっていくのに、ボクは思わず返事をしながらも戸惑った。
(きっとセリナは飲みに行きたいだけなんだ……)
そうこう言いながら、セリナはもうギルドの掲示板を見ながら日程を確認している。そしてギルバードの方を向くと、これまでボクが聞いたことのない低い脅すような声でセリナは驚きの言葉を放つ。
「これ、経費でなんとかなりますよね?」
「は? 経費……? いや、それは……」
ギルバードが言いよどむと、セリナは念を押すように、今度は猫なで声でにっこりと微笑んだ。
「ね? ギルド長?」
「……ぐぬぬ……わかった、わかったからその顔やめろ……」
「やった! じゃあ予約しておきますね!」
ギルドの一角で、ボクとイリスは顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。こういうところ、本当にセリナさんらしい。
(シルバーランク――か)
ただの一歩にすぎないかもしれない。でも、ボクにとっては、とても大きな一歩だった。
***
その日の夜のエルダスの一角、セリナ行きつけの酒場にボク達は集まっていた。
木造の梁が温かみを醸す店内は、ほどよい賑わいに包まれていた。
「それでは、二人のエルダスの帰還と、シルバーランクへの昇格を祝して……カンパーイ!」
ジョッキがぶつかり合い、琥珀色のエールが揺れる。ボクもイリスも、どこか気が緩んでいたのか、一口目から喉を鳴らして飲み干してしまった。
「……はぁぁ、生き返るぅ……」
イリスが頬をほんのり染めて、心底美味しそうにエールをあおる。
(そういえば、イリスと一緒にお酒を飲むのは初めてだ。 って、ボクもそもそもお酒を飲んだことなんて指折り数える程しかないけど)
そしてそんなイリスを見るセリナの視線は、どこか柔らかい。
「にしても、まさかこんなに早くあなたたちが戻ってくるとは思わなかったわ。群れの様子は、どうだった? そこまで大きな規模にはなっていないはずなんだけど」
「それがね……魔物の動きは凄い多かったし統率されてた。ボク達を囲んだり、金剛猿がくるまでボクらを疲弊させるように時間をかけて戦ったり、まるで一つの意志で動いてるみたいだった」
「まさか……影風鷲の群れも吸収して金剛猿が統率してたってこともありえるってこと……?」
「その可能性は有り得るわ。それも、今後の影風鷲の目撃情報がないかどうかを確認すればいずれわかることね」
「ええ、そうね。ギルド側もその線を念頭に今後情報収集を行うわ。二人とも、本当にありがとう」
改めてセリナは姿勢を正して頭を下げる様子にボク達は戸惑ってしまう。
「そんな、良いんですよ! 自分たちがやりたくてやったことですから!」
ボクの言葉にイリスは頷く。ボクは少しむずかゆかったので話題を変えることにする。
「そういえば、ギルド長も言われてましたけど最近冒険者が傭兵にでてしまっているって。 こっちでも戦争の噂って聞こえてくるんですか?」
セリナは少し声のトーンを落として応える。
「えぇ、コウ君達がいなくなった数ヶ月で色々と動きがあったようね」
セレナはぐいっとエールで喉を濡らすと続ける。
「最近ね、セレフィア王国がザイレム帝国にもノイエルをはじめとした周辺国家に、“属国になれ”って通達を出してるそうなのよ。 表向きはどこの国も前向きに検討しますって話らしいけど、相手にとって属国になるってメリットがおそらくあまり条件をどうせ提示していると思うわ。 だから、セレフィア王国も拒否をされることを見越して王都じゃ軍備強化が進んでて……戦の準備を始めたって噂もあるの」
「戦争……」
グラスを握る手に、ほんのり力が入る。
「うちの父も、ここしばらく王都の軍議に詰めきりで……家にもあんまり帰ってこないの」
イリスがぽつりと漏らす。
その表情はどこか遠くを見つめていて、少しだけ寂しそうだった。
「……でもまあ、今は祝いの席。難しい話はやめにしましょう」
そう言ってセリナが場を明るく戻してくれた。何杯目かの酒を空けたころ、ふとセリナが話題を変える。
「そういえばあなたたち、これからどうするの?」
「えっ……」
ボクはイリスと顔を見合わせた。
「……そういえば、アグナルさんからはまずはシルバーランクへの昇格を手伝ってやってくれって言われてたけど、その後のことは何も決めてなかったね」
「そうね、これからはどうするか……」
イリスも珍しく神妙な顔つきでグラスを見つめた。
ちょうどその時、3人ともグラスが空になっていることに気がつきボクは新しいエールを頼もうと手を挙げたが、店員さんが忙しそうにしているのを見て、こちらに気がつかない様子だった。
「あ、ちょっと飲み物頼んできますね」
そういってボクは席を立ち、カウンターにいる店員に注文する。
「あの、そこの席にエール三つお願いします」
そう伝えて席の方を指さすと、セリナとイリスが何やら会話をしていた。セリナがイリスに何やら耳打ちして小声で囁いているようで、イリスはぷいっと顔をそらしたり、首を振ったり、やたらと反応が忙しい。
(……なに話してるんだろ)
見てはいけない気がして、ボクはそっと視線を外した。
戻ると、セリナがにこにこと笑って迎えてくれる。
「なにか楽しそうな話、してましたね?」
「ふふ、そうね」
「全然楽しくないわよ、まったく!!」
イリスが真っ赤な顔で叫んだ。酔っているせいか、声のボリュームも大きい。耳まで赤い。
そこから、イリスの酒のペースが加速した。
「うぅ、もう一杯……コウは飲んでないじゃない……」
「いや、ボクはさっき三杯飲んで――」
「むぅ、こっちはまだ“ごきげん”なのよぉ……!」
ろれつがだんだん怪しくなってきたイリスは、グラスを抱いたままテーブルに突っ伏し、何かぶつぶつ呟いていた。
内容は聞き取れなかったけど、どこか“悔しい”とか“ずるい”とか、そんな言葉だった気がする。
やがて、夜も更けてきた。外は静まり返っていて、酔い冷ましの風が心地よい。
ちなみにボクは、お酒を飲んでも酔わない体質らしく顔色一つ変わらない。
「じゃあ、そろそろお開きにしましょうか」
そう言って店を出ると、別れ際にセリナが、ふと真剣な顔でイリスに向き直った。
「これまで、あなたはヴァルティアの長女として、お父様の指示に従っていろんなことをしてきた。でも……そろそろ、自分自身で“どうしたいか”って考えてもいい頃かもしれないわね」
イリスが、ぎゅっと唇を噛んだ。
「なーんて、ちょっと説教くさくなっちゃったわね。酔っぱらいの戯言と思って聞き流して? ……コウ君、私の家まで一緒に帰る?」
セリナがウインク混じりに言ってみせる。
「え、えっと…… ボク、一人で帰るから大丈夫ですっ」
しかし、そのやりとりを聞いていたイリスがばっ!と顔を真っ赤に染めた頭を上げる。
「なっ……なに、よ……! そ、そんな不埒なこと、わたしが絶対に許さないんだから……! ほら、いくわよ、コウ!」
イリスは足下がおぼつかない中でボクの腕を取ってイリスの宿とは反対方向に歩き始める。
「ちょ、ちょっとイリス、キミの宿はそっちじゃないけど」
「いいのよ、たまには回り道したって! つべこべ言わずに黙ってあんたは私についてこればいいのよ!」
(まぁ、回り道でもイリスと一緒ならそれもまたよし、か)
そういって強引に引っ張られる腕は、どこか心地よかった。