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知恵を持つ魔物

 山深い空を、鋭い鳴き声とともに滑空する巨大な影。影風鷲だった。空の覇者であり、この一帯に棲む魔物たちの“主”でもある存在。彼らは長きにわたり、翼による制圧力と高い知性で、森に棲む様々な魔物を束ねていた。


 牙を持つものも、爪を持つものも、毒を持つものも――すべては影風鷲の一声に従い、均衡を保っていた。


 けれど、その均衡は、唐突に破られた。

 ズゥン――と地を揺るがすような振動の後、森の奥から現れたのは、巨大な黄金の体毛を纏った猿のような魔物だった。全身を分厚い毛と筋肉で覆われたその存在――まさしく金剛猿と呼ぶにふさわしい魔物だった。


 影風鷲が自分の権力を鼓舞するかのように咆哮すると、それに対して威嚇するかのように金剛猿も応える。影風鷲からすれば、せっかく怪我をする前にどちらが強者か親切に教えてやったのに、とでも思っていたに違いない。それでも動じない金剛猿を見てこいつは部下として役に立たないと判断する。魔物の世界も弱肉強食。弱ければ媚びるか、殺されるかのどちらかだ。


 影風鷲が空高く舞い上がる。翼を大きく広げて羽ばたくと、その度に空気が震え、鋭利な風が巻き起こった。


 ――ゴォォォッ!


 その風は瞬く間に金剛猿の周辺にある木々をなぎ倒し、大気を切り裂き、いくつもの“かまいたち”となって金剛猿を包囲する。さらに、それらの斬風が合わさることで、渦巻くような風の竜が生まれ、巨大な竜巻となって地を飲み込もうとしていた。


 だが――


 金剛猿が、その巨体を震わせ、咆哮を放つ。


 「グォォォォォオオオッ……!!」


 その音は、空気ごと叩き潰すような衝撃波となり、竜巻を――切り裂くどころか、根元から吹き飛ばした。


 大気が一瞬でかき消え、風の刃も消滅する。影風鷲のこれまで絶対的な必殺技は、咆哮一つで無に帰した。


 空中で翻った影風鷲は、ひるむことなく次の行動に移る。翼をたたみ、鋭く曲がった鉤爪を前に出し、金剛猿の頭部を狙って急降下。その速度は流石に空の覇者。この森のどんな魔物よりも影風鷲は早かった。


 ――もう、距離を取る余裕はない。影風鷲の一方的な攻撃により結末を迎える。その場にいる影風鷲陣営の誰もが思った。


 風を切る音。一閃。けれど、その刹那。


 金剛猿の腕が、咄嗟に振り上げられる。


 ガッ。


 影風鷲の身体が、空中で捕まれた。


 刹那、骨の軋む音と共に、その堂々たる体躯が無残にも握り潰され、地面へと叩きつけられた――。


 あまりにも、あっけない一瞬だった。

 地に激突した影風鷲のその姿に、森の魔物たちは一瞬、静まりかえった。喉を鳴らし、ざわめき、気配が揺れる。

 かつて絶対の存在だった影風鷲の主が、あまりに呆気なく倒れたことへの、理解と恐れ。やがて森の魔物たちは、徐々に距離を詰め、金剛猿の周囲に集い始めた。

 誰も吠えず、抗わず――ただ、頭を垂れる。


 金剛猿が一歩、森の奥へと進むたび、その背後に従う魔物の数が増えていく。かつての“秩序”が崩れ、新たな支配が始まった。


 ***


 「……あれ? 魔物の気配が……少ない?」


 ボクは足を止めて、辺りを見渡す。イリスも眉をひそめていた。


 「確かに。これが本当にここであってるのよね?」


 依頼内容では、この森の奥地に金剛猿を長として群れができはじめていると聞いていたが、そもそもこの森には影風鷲がいることで有名だった。一般的な冒険者は影風鷲にあったら命はないと言われるほどの魔物で、当然その群れも強大だと聞いていた。でも、今のところ、見える範囲に魔物の姿はない。代わりに、空気がやけに静かで、ぴりぴりとした緊張感だけが漂っていた。


 「……逆に、いやな感じだね」


 ボクたちは警戒しながらも、魔物がでてこないなかしばらく歩みを森の奥へと進める。そして、境界線を越えた――そのときだった。


 ガサッ……ガサガサガサッ!


 一気に気配が弾けた。目の前の茂みから、牙鼠、風狼、尾棘獣、影鴉、毒蛭――様々な魔物が、まるで待ち伏せしていたかのように一斉に現れる。そしてまさかと思って来た道を振り返ってみるとそこにも同様に魔物が陣を組んでいた。


「囲まれたっ……!」


 イリスが咄嗟に抜刀し、横合いから飛びかかってきた牙鼠を斬り捨てる。ボクもイリスに背中を預ける形で剣を構える。


 しかし、魔物たちは無秩序に襲いかかってくるわけではなかった。

 一気に押し寄せてくるわけではなく、数体がまばらに、まるで順番を決めているかのように、波のように押しては引いてを繰り返す。


 「……おかしい。これだけいるのに、一気にたたみかけてこない……!?」


 背中合わせに構えながら、ボクはイリスに声をかけた。呼吸が浅くなる。もうすでに何十体と斬り伏せたはずなのに、敵の総数は減るどころか、増えているようにすら思える。


 「……真綿で首を絞めるような、ってこういうことを言うのね」


 イリスの額に汗が滲んでいる。それでも動きに迷いはない。風狼を二体斬り捨てるその姿は、凛としていた。

 でも、やっぱりおかしい。魔物たちは、無闇に突っ込んでくるわけじゃない。距離を保ちながら、じわじわと包囲を狭めてきている。


 どれくらいそうしていただろうか。剣を持つ手に力が入らなくなりつつあり、背中は汗でぐっしょりと濡れていた。


 「これ、いつまで続くのよ」


 イリスは飛んできた毒蛙を切り伏せると肩で息をしながら悪態をつく。気持ちはよくわかる。だが、そのときだった。


 ――ズゥゥゥゥン。


 地が鳴った。揺れる大地。迫る威圧感。

 そして、森の奥――木々の間から、それは姿を現した。

 全身を覆う黄金の体毛、腕は丸太のように太く、目は爛々と赤く光っている。


 金剛猿。まるで、全ては“こいつ”が来るための布石だったかのように、周囲の魔物たちがぴたりと動きを止め、一斉に道をあける。


 「まさか……時間稼ぎをしていたの!?」


「……あれが、金剛猿……」


 ボクは現れた小さな山のような猿を見てゴクリと息をのむ。

 隣では息を切らしながらも、イリスがにやりと笑う。


「――あのデカ物は、あんたに譲るわ。その代わり、他は任せなさい。蒼玲流を身につけたあなたの剣、ここでも見せてよね」


 ボクが金剛猿に向き直るその後ろで、イリスは剣を構えた。


「……あたしだって、ただの“護衛役”じゃないんだから」


 イリスがそっと目を閉じ、静かに息を吸い込んで意識を集中する。


 彼女の周囲に、澄んだ水の気の気配が満ちていく。呼吸と共に、空気が澄みわたり、衣の端がわずかに揺れた。


 「さぁ、いくわよ」


 イリスが剣を抜いた瞬間、淡い青光が刃を包み、水面のような波紋が足元に広がる。

 魔物たちが気配を察し、再び蠢き始める。だが――


 「遅いわ」


 イリスの身体が、風と水のように滑らかに動いた。

 踏み込む。斬る。跳ねる。回り込む。

 剣が閃くたびに、魔物の喉が、脚が、背が、静かに裂ける。

 風狼が群れをなして襲いかかっても、彼女の動きは淀みなく、流れる水のように変幻する。回避と攻撃が一体となり、連撃が波のように押し寄せ、絶え間なく敵を斬り裂いていく。


 一瞬たりとも止まらず、それでいて一つひとつの所作が無駄なく、静かで、美しかった。まるで――戦いそのものが、舞のようだった。


 「準備運動はこんなものかしら? まだまだ、これからよ」


 そういってイリスはさらに魔物の群れに立ち向かっていくのだった。


 ***


 イリスが水の気の力を纏い始める頃、ボクはイリスの「あいつは任せる」という言葉を受けてまっすぐに金剛猿に踏み込んでいた。


 (イリスから頼まれたんだ。ちゃんとやらきゃ)


 「……まずは、小手調べだ」


 ボクは深く息を吸い、意図的に気の力を抑え込んだまま、金剛猿へと踏み込んだ。


 巨体から放たれる重圧は、まるで空気そのものが粘りついてくるかのようだった。でも、足を止めるわけにはいかない。


 金剛猿が咆哮と共に、腕を振り下ろす。その一撃は、質量そのものをぶつけてくるような、直線的で凶暴な一打。


 「っ!」


 ボクは地を蹴って滑り込み、その巨腕をすれすれでかいくぐった。毛皮の一部が頬をかすめる。――すぐさま、脇腹へ剣を走らせた。


 ギンッ!


 金属をこすりつけたような音をさせながら、脇腹に一撃を叩き込む。……けれど。


 「なっ……」


 斬撃の手応えは、まるで鉄を斬ったときのようだった。剣先は硬質な体毛に弾かれ、脇腹の皮膚にすら届いていない。


 金剛猿の反応は早かった。脇腹をかすめたボクに、肘打ちのような追撃を浴びせてくる。

 ボクはとっさに剣を盾代わりに構え、全身でそれを受け止める。


 「ぐっ……!」


 衝撃が腕から肩、そして背中までを貫いた。バランスを崩し、そのまま地面を転がるように弾き飛ばされる。


 「……くっ、硬い上に反応もいい……」


 すぐさま立ち上がると、金剛猿がもう次の一撃を仕掛けてきていた。間合いを詰める――来る。


 「それなら……」


 ボクは金剛猿の猛攻をかいくぐりながら肘や膝といった間接を狙う。何度か攻撃は入る物の、そこもまた分厚い毛皮と硬い皮膚に守られていた。浅く裂けても、動きを止めるほどではない。


 「流石にこのままじゃ、ジリ貧だ」


 ボクは後退しつつ、静かに意識を切り替えた。


 「といっても、手がないわけではない」


 心の奥に沈めていた気を、剣先に集める。力を得るための身体強化ではなく、切れ味をよくするための“一点突破”の気刃。


 (この力を使うのは、久しぶりだね。 リゼの剣を斬ったときを思い出すよ)


 刃に沿って、薄く、鋭く、気の膜が伸びていく。目には見えないが、空気が微かに震える。


 ヒュン……ヒュン……


 二、三度、試しに剣を振ってみる。風切り音が、明らかに鋭くなっていた。


 「……よし、良い感じ」


 そう呟いて、ボクは再び金剛猿に向き直った。

 金剛猿が、最後の止めとばかりに両腕を振り上げる。その巨体が陰となって迫る中――


 「――はっ!」


 ボクは金剛猿の腕をかいくぐってその懐へ潜り込み、刃を構える。


 そして一閃。

 気の刃が金剛猿の胴体、肩口から腰のあたりまでを、まっすぐに切り裂いた。


 キィィィンッ!


 鋭い音とともに、ボクは金剛猿を見上げると一瞬金剛猿は何が起きたかわからないような顔をしていた。しかしその直後、胴体がなだらかに左右へと崩れ落ちていく。


 ボクは気の刃を収めると深く呼吸を吐いた。


 「……これで、終わりか」


 イリスに壊滅的な被害をもたらされた上、自分たちの主を倒された魔物達は、ボクとイリスに恐れを抱いたようで、どこかしこに散っていった。


 そこへ、魔物たちを蹴散らし終えたイリスが戻ってきた。


 「ふふん、流石ね。 ま、あたしの教えのお陰に感謝しなさいよね」

 「イリスこそ、これまで以上に集団戦の振る舞いが冴えてたね。 これはボクの指導のお陰かな?」


 そう言い合うと、お互い笑い合って勝利の喜びを分かち合った。

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