親と子
金剛猿討伐から一夜明け、帝都は再び朝を迎えていた。
カイエンは報告を兼ねて、再びユエンの研究施設を訪れていた。カイエンが扉を開くと、ユエンは作業の手を止め、カイエンの元へ向かう。
「毎回あなたたちの帰りを待つのは気が滅入るわ」
「まあそういうな。 今回も無事に帰ってきただろう?」
その日は施設内に既に誰もいなかったため、近くにあるイスに腰掛けると、ユエンはお茶を準備してカイエンの向かえに奥く。
「たまには私が代わりにいこうかしら。そうしたら待たされる人の気持ちもちょっとはわかるでしょうに。それに、待ってても帰ってこないことがこれまでもあったでしょう?」
ユエンはカイエンに出した湯飲みに目を落とすと沈黙が訪れる。
「軽率だった、すまん」
カイエンはユエンに座りながらではあるが丁寧に頭を下げる。
「まあ過ぎたことはどうでもいいわ。 その様子だと上手くいったようね」
「あぁ、予定通りだ」
カイエンはお茶を口に含み一呼吸置くと続ける。
「自ら頼んでおいてなんだが……やはり穢気の力、本人の負荷は命をかける覚悟が必要だが、その効果は計り知れないな」
カイエンが背もたれに身を預け、言葉を続ける。
「セルギスのやつ、あの金剛猿を一太刀で仕留めやがった」
ユエンは驚きのあまり目を丸くしている。
「あの金剛猿を……?」
カイエンは静かに頷く。
「あぁ、首筋を一閃だ。 飛び込みの速度も、剣戟の威力も、そして気の練度もすさまじかった。……俺でも、単独では骨が折れる相手をこうもあっさり倒されると、親としては複雑な心境だ」
ユエンは目を細めながらつぶやく。
「そこは親として、そして組織の長として素直に息子の成長と、そして戦力の増強を喜ぶべきよ。でも、それだけセルギスの中に穢気が溜まっているってことね」
ユエンは無感情に近い声で言いながら、窓の外へと目を向けた。
「セルギスのあの力は穢気を一時的に体内で無理やり結晶化して、あの刀剣でその封を解いて邪気として出力しているだけよ。彼はあの力を行使しているとき、完全に“邪鬼化の一歩手前”よ。あの状態は、もはや綱渡りどころじゃないわ」
カイエンはこれまでの親の顔から、一国の主として真顔になる。
「理解はしている。ただ、これからのセレフィア王国とのことを考えると、戦力は整えるに越したことはない。今回のセルギスの一太刀を見て確信した。 ユエンの仮説通り、結晶化している穢気の最大量が多ければ多いほど、出力は上がるようだ。であれば、吸収も継続せねばってことだな」
「本当はあんな仮説、あたって欲しくなかったわ。でも事実であればそれを受け入れて、後はどう管理するかを考えるまでよ」
カイエンはゆっくりと頷いた。
「仮説が外れてくれてたら止めれたんだがな。……どうやら、そんなに世の中、甘くないらしい」
ユエンは口元に手を当て、小さく息を吐く。
「なら、やっぱりもう少し薬を強くしないとだめね。まったく、ひどい親だわ。私たち」
「……ああ。でもだからこそ、中途半端に終われねぇ。終わっちゃいけねぇんだ」
語気を少しだけ強めたその言葉に、ユエンはわずかに笑った。
***
帝王の館。その最上階にある屋上の一角――風通しのよい石造りの空間に、簡素な寝台が一つ置かれていた。
そこにはセルギスが横たわり、穢気の鎮静のための祈祷をカレンが続けていた。
カレンの数珠を通して、微かな光がセルギスの丹田に注ぎ込まれる。しばらくすると、彼の瞼がゆっくりと開いた。
「……カレン」
「はい、セルギス様」
普段は虚ろだった瞳に、穢気の一部を放出し、祈祷の効果もあってわずかに意識の光が戻っていた。
「今回も、なんとか戻ってくることができたか」
「はい、もちろんでございます。何があっても、セルギス様をお守り致します」
その言葉に、セルギスははかすかに微笑む。
「カレン……いつも、本当にありがとう。僕が弱いばかりに、この力に頼らざるを得なくて……そのせいで、君にもこんなに迷惑をかけて」
セルギスは、丹田に触れているカレンの手をそっと握る。
だがカレンは、かぶりをふった。
「セルギス様は……弱くなんてありません。この苦しみに、孤独に、耐え続けておられる。……それだけで、誰よりも強くございます。私は、この国を――セルギス様を支えられるなら、それが私にとっての幸せです」
その言葉に、セルギスは目を細め、ほっとしたように微笑む。
「……カレンの言葉は、不思議だね。誰の評価より、君の一言が心に沁みるよ」
「僕は……子どもの頃から、剣も、気の制御も、父ほどにはうまくできなかった。ずっと、見込みのない息子だった。でも……こうして君とユエンのおかげで、国の、そして父の力になれている。それが……僕にとっての救いなんだ」
カレンの目が潤んだのを見て、セルギスはそっと彼女の頭を撫でた。
「でもね、カレン。君のことだけが……気がかりなんだ。僕のせいで、君が無理をしていないかと思うと、それがとても心配なんだ」
セルギスがその手でカレンの額にうっすらと浮かぶ汗を拭う。
その言葉に、その気持ちに、カレンは堪えきれず、そっと彼の胸に顔を埋める。
「そ……そんな……。もったいなきお言葉……この身は……この身はセルギス様のもの。どこまでも……どこまでもお供いたします……」
「ありがとう、カレン。 僕も……君のそばにいたいよ。 君の力、もう少しの間、僕を支えるために使ってもらえると嬉しいな」
セルギスはまぶたをゆっくりと閉じた。
「そろそろ……限界みたいだ。……また話そう、カレン……」
そのまま、静かに寝息を立て始める。
カレンは体を起こして寝息を立てる彼をしばらく見つめその手を握ると――そっと、囁いた。
「セルギス様……愛しております」
今このときだけは、その空間を柔らかい風が包み込んだ。