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日常

 帝国の朝は、賑やかだった。

 ザイレム帝国の首都――動乱の爪痕を随所に残してはいるものの、そんな中を今では子供たちが無邪気にはしゃいでいる。


 新たに整備し直されたカイエンへの館に続く一本道と、そこから伸びる数本の道は優先的に整備されていた。しかしながら、一本裏路地に入り人目に付かないところでは、未だまだ補修されきらぬ石壁、焼けた壁などが一部散見された。だがその隙間からは、生活で立ち上がる湯気と鼻をくすぐる料理の匂い、そしてあちこちから聞こえてくる活気溢れるやりとりや笑い声がそれらの過去を綺麗に上書きしていた。


 帝王カイエンは、深紅の羽織を肩にかけ、城の見回りを兼ねて街を歩いていた。


  「……あの頃は、こんな日が来るなんて想像できなかったな」


 そんなことを思いながらちょっと街中を歩いてみようものなら、通りがかる人々から挨拶をされ、ねぎらいの言葉を掛けられる。

 かつて敵対していた小国の面々ほど、カイエンの屋敷の近くに居を構えさせているが、そういった連中ですらカイエンが安定化したこのザイレム帝国に居心地の良さを感じていた。街の至るところで、戦の終結と復興の象徴として、彼の名が口にされる。


 やがてカイエンは、帝都の北側に位置するユエンが管轄する研究施設の前に立った。

 重厚な鉄扉が開くと、そこには薬草の香と蒸気の満ちる異質な空間が広がっていた。中央では、魔導具の核と思われる青い結晶に火の気を通しながら、数人の助手が黙々と作業している。その中で、鮮やかな赤髪をゆるくまとめた女が、ひときわ鋭い視線を向けてきた。


 「あら、あなたがここに来るなんて珍しいじゃない」

 「ああ、ちと相談だ」


 カイエンがそう言うと、様子を察したのかユエンはその手を止め奥にある自室へと足を運ぶ。


 「相談って何? 私がどれだけ魅力的だといっても、レイラの代わりは私には務まらなくてよ?」

 「そんなことお前にお願いするかよ。 サイリュウに夢で殺されるわ」


 お互いの親愛なる亡き者の冗談を言い合うとユエンは真顔になる。


 「それで、相談って?」

 「セルギスの件だ」


 ユエンは少し眉をひそめて、小さく息をついた。


 「またよくないの?」

 「ああ、昨日目にしたが、相当やばそうだった。で、薬をなんとかできんかって相談だ」


 ユエンはため息をついてイスの背もたれに身を預ける。


 「あの薬の効果を強めるってことは、彼の欲や感情といった“内側”をさらに押さえ込むってこと。自我を損なわせる薬よ。下手をすれば、もう戻ってこられないわ」


 カイエンはしばらく黙って、魔導具の結晶を見つめていた。


 「……そうだとしても、あのままではいずれ穢気が邪気に代わり飲まれる。これ以上、邪鬼化した同胞を俺に討たせるつもりか?」


 ユエンは、少しだけ目を伏せた。


 「……あんなものは私も見たくないわ」


 短く吐き出すように言ったユエンの声には、確かな痛みが混じっていた。


 「……わかったわ。少し配合を変える。ただし――薬を強める前に、一度“毒抜き”が必要ね」


 カイエンは頷き、静かに背を向けた。


***


 翌朝、山深い渓谷にひときわ鋭い風が吹き抜けた。

 ここは“紅猿の尾根”と呼ばれる、魔物の巣窟の一つ。その中でも頂に巣食う金剛猿は、この一帯の魔物たちを統率する獣王にあたる存在だ。


 カイエンは周辺の警備や魔物の討伐、場合によっては離反した自分たちに刃向かう者の処分のために戦力を有している。この戦力の中心になるのは自身の部下の他、敵対していた小国の兵士も含め活用していた。ただ、時折こうしてセルギス、カレンを連れて特に強力な個体の討伐に出ていた。


 「カレン、いつも通りにな」

 「……はい」


 巫女装束に身を包んだカレンは、1本の刀剣を両腕に大切そうに抱えた。その隣に立つのは、白髪の青年セルギス。今はまだ何も纏っていないが、その内には異質な気配が渦巻いている。


 しばらく歩くと、魔物の気配を察知した先頭を行くカイエンは刀を抜き、静かに気を刀身へ通す。そして次の瞬間。


 火の気をまとった一振りとともに、降り出された突撃の一閃は周囲の藪の中から飛び出した影たち――牙鼠、風狼、影蛇――それらすべてとともに一瞬で焼き切り、灰となって霧散した。


 「……他愛もないな」


 火の気の残滓がまだ地を這う中、カイエンは一歩、また一歩と山頂へと歩を進める。セルギスとカレンは、その後を追いながら静かに気配を研ぎ澄ませていた。


 ――そして、空気が一変する。


 「……来たな」


 鬱蒼とした森の裂け目、その奥に、巨木の幹のような腕を持つ異形の魔獣が姿を現した。黄金の毛並みを纏い、全身に岩のような外皮を持つ“金剛猿”。目には明確な敵意と威圧が宿っていた。


 カイエンはカレンに目線を送る。カレンは頷き、ゆっくりとセルギスの前に刀剣を差し出した。


 「セルギス様……お願いします」


 セルギスが虚ろな目をしながらその刀剣を握ったその刹那、刀剣に刻まれた古い祈祷文が、淡く光を帯び始める。それに呼応するように、セルギスの全身を穢れた気――穢気が包み始めた。


 カイエンはセルギスに向かって静かに言い放つ。


 「――金剛猿を討て」

 「あぁ」


 セルギスは先程とはまるで人が違うかのように、目を血走らせながらなんとかカイエンに返事をすると、標的に体を向ける。


 そして次の瞬間、空気が裂けた。

 セルギスの動きは、もはや視認できない速度だった。黒い靄を纏いながら、一気に金剛猿の喉元へと肉薄しそれにあわせて金剛猿も迎撃しようと腕をあげるが――


 ガギィンッ


 金属を叩き切ったかのような音とともに一閃。巨大な猿の喉が、風が吹くように裂かれ、遅れて血の飛沫が宙を舞った。


 金剛猿は吠える間もなく崩れ落ち、その地が大地を濡らす。

 セルギスはそのまま呼吸を荒げながら刀をより強く握り、次なる獲物を探し始める。


 「く……が、あああっ……!」


 制御しきれぬ衝動が、内から滲み出してくる。黒い気がなおも皮膚の下でうねり、何かが這い出ようとしていた。しかしセルギスもそれに抗うよう、ゆっくりとした足取りでカレンの元へ向かう。

そして、刀剣を握るセルギスの手に、カレンの柔らかな手が触れた。


 「セルギス様、大丈夫。もう、終わりました」


 カレンが刀剣をセルギスから受け取ると、そっと彼の丹田に掌を添える。数珠が再び淡く輝き、浄化の気を流し込むと、セルギスの肩の震えがようやく静まり――意識が、ふっと闇に溶けてその場で膝を崩して倒れ込んだ。

 カイエンは、その光景を黙って見届けていた。


 「……今は、まだこれでいい」


 呟くようにそう言うと、彼はそっと背を向け、来た道を戻るように山の下へと歩き始めた。

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