絶望の夜と赤き風
魔物がいた場所から逃げるように、ボクは村に戻った。
いや、正確には――戻ろうとした、というだけだったのかもしれない。
村の門が見えたとき、ほっとしたのは一瞬だった。
「……お前……!」
最初に声をあげたのは、ドグだった。ボクを見た瞬間、あいつは仲間を引き連れてボクを指さして大げさに叫んだ。
「こいつが! ボクたちを無理やり森に連れて行ったんです! 化け物が出たのも、きっとこいつのせいだ!」
「は……?」
思わず声が漏れた。けど、すぐにわかった。
あいつは自分の失敗を隠すつもりだった。全部ボクのせいにして、上手くやり過ごすつもりだった。
周囲の大人たちは、話を聞く前から表情を強張らせていた。
「やっぱり忌み子だ」「魔を呼ぶ存在だ」――誰かがそう囁いた。
「お前……いつかこんなことが起きるんじゃないかと思ってたんだ……」
誰も、ボクの言葉なんて待っていなかった。ドグの言葉を疑う日とは誰もいないし、もちろん、ボクの味方をしてくれるお人好しなんているわけがない。
そして、ボクが最も直面したくない事実と向き合うことになる。
騒ぎを聞きつけてやってきた両親は、まるで見たくないモノをみるような、汚物を見るような目でこちらを見る。
「ここまで育ててやったのに、こんな仇の返し方をするのか。もういい。お前はもう出ていけ」
父親の言葉は冷たかった。
(やっぱりか……)
何もしてくれなかった両親だった。でも、こういうときくらいボクのことを庇ってくれるかもしれないと淡い期待をほんの少しだけ抱いていた。しかし、やはりそんな都合の良い未来はボクにはやってこないようだ。
「こいつがいる限り、また村に不幸が起きる。」
そして期待を打ち砕かれたボクに、更に追い打ちをかける言葉が無情にも聞こえると、それに便乗して誰かが石を投げた。肩に当たったその痛みは、まるで「お前はもういらない」と告げる印のようだった。
口の中がからからだった。言い訳は、言葉にならなかった。その代わりに。
「ごめんなさい……」
誰に、何を謝ったのかはよくわからない。自分が忌み子でごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。そして、この世に生を受けてごめんなさい。そんな気持ちだったのかもしれない。
「もう、二度と戻ってくるな」
なんのためらいもなく放たれた無情の言葉。これが、このときボクが父親から聞いた最後の言葉だった。そしてそのまま、振り返ることもなく、村を出た。
村を出て、村から1本しかない街道沿いを夜通し歩き続けた。 少しでも、村に迷惑をかけないように遠くに離れないと。そんな焦りがボクの足を突き動かしていた。空は漆黒を抜けて再び白み始めていた。
「……風、冷た……」
しん、とした空気が、頬を撫でていく。疲れと、眠気と、空腹と、喉の渇きが入り交じる。
ボクは、街道の脇にある大きめの岩に腰を下ろした。岩肌は冷たくて、体の芯までその寒さが染み込んでくるようだった。
「ちょっとだけ……休んで……」
そう言って目を閉じたつもりはなかった。でも、気づけば視界が滲んで、全身が鉛のように重くなっていた。
眠気じゃない。体が、もう動かなくなっていた。悲しみなんてもうどこかに忘れてきたと思ったけど、まぶたから自然と涙がこぼれ落ちる。
「あぁ、なにもない人生だったな」
そんなことを思いながら意識が遠のいていった。
***
「……ったく、どこまで無茶してんだ、お前」
遠くで誰かの声が聞こえた。
意識はまだ深い霧の中にあって、現実と夢の境が曖昧だったけど、それでもその声だけは、なぜかはっきりと届いた。
「生きる気があるのかないのか、どっちかにしろよ。拾う側の身にもなってくれってんだ」
周りの空気が動いた。誰かがしゃがみ込み、ボクの体を持ち上げようとしているのがわかった。
あったかい。誰かの手だ。
……ああ、これが、人の手なんだ。
朦朧とする意識の中、そのぬくもりに包まれたことだけが妙に感覚として残っていた。
***
次に目を覚ましたとき、目を開けると見知らぬ天井があった。
木で組まれた梁、小さな小屋。暗がりの中で、揺らめく明かりが影を躍らせている。
体には毛布がかけられていた。どこからか、肉のやける香ばしい香りがかすかに漂ってくる。
「……ここ、どこ……?」
ボクは重い身体をベッドから起こし小屋の扉を開ける。
どうやら、ここは山の中のようだった。小屋から少し離れたところには火が焚かれていた。
そして、ボクが扉を開ける音に気がついたのか、焚き火の奥で何かが動いた。
「気がついたか。よかった、なんとか生きてるな」
ボクを助けてくれた赤髪の女――たしか、リゼだったか、が背中を丸めて焚き火のそばに座っていた。
手には串に刺した干し肉と水を持ち、干し肉を火で炙りながら、こちらをちらりと見る。
「腹、減ってるだろ」
頷いたつもりはなかったのに、少しぬるくした水のはいった器と、肉の串が手渡された。
なぜだかわからないが、受け取る手が少し震えた。
水を口に含み、干し肉を噛んだ瞬間、塩と脂の味が口いっぱいに広がって、なぜか涙が出そうになった。
「……ありがとう…ございます」
感謝の言葉を口にしたことなんて、いつぶりのことだろう。いつも口に出るのは「ごめんなさい」か「もうしません」だった。その様子に、リゼはボクの方を見てゆっくりとうなずくだけだった。
無言が空気を支配する中、ふと思ったことが口に出る。
「なんで……助けてくれたの……?」
ボクの声は、焚き火の音にまぎれて、少しだけ震えていた。
リゼは少し驚いたように目を見開いていた
「なんだ、助けて欲しくなかったのか?」
慌ててボクはかぶりを振ると、リゼは冗談だと笑いながら言葉を続ける。
「そこに倒れてる子どもがいたら、普通助けるだろ?」
そう言いながら、もう一本の干し肉を火にかざした。
「……そっか、それが普通、なのかな」
ボクの言葉に、リゼは再び干し肉に目を移す。
「ま、実は言うとな、お前のことはちょっと気になってたんだ。 昨日、森の中であったときから。」
「え、あの助けてくれたとき?」
リゼはこくりとうなずく。
「あのとき、あそこでお前を助けられたのは、たまたまなんかじゃないんだ」
突然伝えられた事実に、ボクの意識が急に鮮明になる。
「あぁ、すまん。 近くを通りかかったのは偶然だ。 だがな、おまえのところにたどり着いたのは、お前の中にあるざわざわとした大きな気を遠くから感じたからなんだよ」
「……気?」
聞き慣れない言葉だった。でも、どこかで聞いたことがあるような気もした。
「気ってのは、生き物が生きるために流してる力みたいなもんだ。色んな分類もあるが、まあ今は置いとけ」
リゼは、火の明かりに顔をかざして言った。
「ただな、お前の“気”は普通じゃない。いや、正確に言うと器が特殊なんだ」
「器……?」
「“黒の器”って言葉、聞いたことあるか?」
首を横に振ると、リゼは少しだけ眉をひそめた。
「ま、今はいいか。とにかく、放っておいたら死ぬか、誰かを傷つけるか、その両方かってとこだ」
どうやら、雰囲気からして冗談を言っているわけでも脅してるわけではなさそうだ。淡々としたその口調に、そして、あの魔物を圧倒できる力を持っていることから考えると持っている妙な説得力があった。
「でもな。コントロールできれば、救えるものもある」
リゼはそう言って、串を火から外すと、ひょいとひと口食べた。
「……どうする?」
「え……」
「お前のその力は強大だ。もし、生きたいなら、力の制御を身につけることだ。だが、それと同時に力を持つ意味を考えなきゃいけない。もしかしたら、いっそのことここでくたばっちまう方が楽なのかもしれないな」
しばらく、静寂が暗闇を満たす。
「まぁ、こんな話をいきなりされても困惑するだろう。まずは腹を満たしてよく眠れ。それからじっくり考えれば良い」
……正直、ボクには、まだよくわからなかった。いや、わかるはずもなかった。
つい先程まで、お腹が減り、眠気と戦って、ともすると死と戦っていたのに、いきなりわけわからないことを言われても答えようがなかった。
だから、強くなりたいとか、誰かを守りたいとか、そんな立派な理由は何ひとつ思い浮かばない。
そもそも、自分が生きていていいのか、それすらわからないのだ。
ただ――
「あの時、助けてもらって……」
ボクは、焚き火の明かりを見つめながら呟いた。
「なんか、嬉しかった。誰かが、自分のことを見てくれた気がして」
リゼは黙ってボクの話を聞いてくれていた。
「……わかんないけど、もう少し、生きてみてもいいかなって、思った」
それが、今のボクにできる、すべての言葉だった。
リゼは笑った。
「まずはそれでいいんじゃないか?」
えっ?とボクが顔を上げるとリゼは続ける。
「最初から、力を持つことにたいそうな理由を付けられるやつは、恵まれたやつなんだよ。 大義名分だとか、名誉だとか、そんなものは自分自身が満たされなきゃでてくるわけないんだ。まずは、自分の命の大切さを、その価値を、ゆっくり自分自身で見つける。そこからはじめてみろ」
どうやら、今のボクには理解が難しいみたいだ。言葉の意味はわかる、が、どこか腹落ちしないのだ。それがリゼにも伝わったらしい。
「まぁ、難しい話は抜きにしようぜ。とりあえず、生きるために強くなる、それくらいで良いと思う。じゃあ修行な。話はそれからだ」
「え、もう?」
「甘ったれんな。生きるってのは、そういうことだ」
リゼはあっけらかんと笑うと、ボクもそれにつられて笑った。なんだか不思議と、涙じゃなくて、笑いが出たのが自分でも驚きだった。
火は、まだ温かく揺れていた。
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