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共に歩む

 頬に走った衝撃の余韻が、まだ皮膚に残っている。

 乾いた音だけが、遅れて耳に届いた。


 「……イリス……?」


 思わず名前を呼ぶと、目の前の銀髪の少女は、涙をこらえるように顔を歪めていた。


 「……逃げろ、なんて……」


 イリスの肩が、小刻みに震えている。

 怒っている、でもそれだけじゃない。悲しみも、悔しさも、きっとそこには混ざっているように見える。


 「ずっと一緒にクエストをこなしてたのに……守るだけ、みたいに思われてたなんて、思わなかったわ……」


 ぎゅっと拳を握りしめながら、イリスは言葉を紡いだ。


 「私は、ただ守られるだけの存在じゃない。あんたは、私を全くもって頼ってなかったってことじゃない!」


 その言葉に、何も返せなかった。


 「ボクは……そんなつもりじゃ……」

 「じゃあ、どんなつもりだったのよ!」


 返しかけた言葉が、喉につかえる。


 「……ただ、怖かったんだ。傷つけてしまうのが。邪鬼化しかけたとき、誰かに何かをしてしまうのが……」

 「だからって、一人でいようなんて……!」

 「それが、一番いいのかなって……ボクが誰かを巻き込まないためには……」


 イリスは一歩踏み出した。睨むように、でも泣きそうな瞳で。


 「あんたの、そういうところよ」


 胸を指差しながら、声を荒げる。


 「いつもあんたは、自分が我慢すればいいって思ってる。誰にも迷惑かけずに生きていけるって。でもそれって、あんたに迷惑かけられてもいい、それでも一緒にいたいって思ってた私の気持ち、全部無視してるってこと、わかってる?」


 言葉が、胸に刺さった。

 言い返せないくらいに、真っ直ぐで、痛かった。


 (迷惑を……かけられてもいい……)


 「……そんなふうに……思ってくれてたんだ……」


 ぽろり、と音もなく、頬を伝うものがあった。

 気づけば、涙が溢れていた。


 「あれ……?」


 不思議だった。

 泣く理由がわからないはずなのに、心の中の何かが、するするとほどけていくような気がした。

 モヤモヤが溶け出し、そして涙と一緒に流れていく――そんな感覚。

 イリスがそっと、目線を落とした。


 「それが……仲間ってことでしょ」


 その声は静かで、でも確かな意思を宿していた。


 「あんたがそれでも“迷惑だ”って言うなら……もう何も言わない。勝手にすればいい。でも、そうじゃないなら――もっと、私を頼りなさいよ。そして、そのためにも、もっと自分を信じてあげなさいよね。前にもこの話、したわよね?」


 ボクは、顔を上げた。


 「……ボクも、イリスと一緒にいたい。これからも仲間でいたい。だから……」


 一歩、彼女に近づいて、しっかりと目を見て言った。


 「この先も、一緒にいてほしい」


 イリスはふっと息を吐いて、ぷいと顔をそむける。


 「わかればいいのよ、ったく……私にここまで言わせるなんて、ほんっと、何様なのよ……」


 ボクの見間違いだったかもしれないけど頬を染めたイリスの目にも光るものが見えた気がした。


 ***


 (ちょっと、言い過ぎたかしらね。まぁでもあのバカにはこれくらい言わないとわからないわね、きっと)


 そんなことを思いながら私はコウと来た道を数日掛けて引き返す。


 そして屋敷に到着した翌朝、まだ陽も高くない時間――

 私は屋敷の奥にある書斎の扉を叩いた。


 「入りなさい」


 低く、落ち着いた声が返ってくる。

 父――アグナルの声だった。


 「吸穢の祠の件、報告します」


 私は、自然と背筋が伸びる。

 アグナルの前では、ただの娘ではいられない。

 騎士として、冒険者として、そして……コウと並び立つ者として。


 私は簡単に、吸穢の祠の周辺の話、内部の話、異常化した魔物の話、魔導具の話、そして破損した魔導具から出てきた黒い塊の話などを伝えた。


 一通り伝えると、父は少しだけ視線を鋭くした。


 「では……やはり“穢気”というものは存在し、それをあの祠は集めていた、ということか」


 私は頷く。


 「あのあたり一帯、空気が明らかに淀んでいました。祠の構造と、コウの発言から考えるに――“発生した穢気を集めることで、周囲への拡散と邪鬼の発生を防ぐ”……それが、祠の役割だったのではないかと」


 父は黙って聞いている。


 「実際、道中にいた魔物たちはどれも異質で、そして異常なほど凶暴でした。魔物の凶暴化が穢気に当てられた結果だと考えると自然かと思います」


 「なるほど。そして――その集められていた穢気が、黒の器であるコウ君を呼び寄せ、接触し、取り込もうとした……というわけか」


 私は軽く肩をすくめるようにしながら頷く。


 「“お前は器だ”と、明確にそう呼びかけていました。……その言葉通り、彼を器として “受肉しよう”としていた。あの穢気は、意志を持っていたと見て間違いありません」


 父は少し考えた後に大きく息を吐く。


 「それを踏まえて、どうするつもりだ?」


 アグナルの問いに、私は一瞬だけ目を閉じ、呼吸を整えた。


 「たしかに、彼の中には危うさがあります。でも私は、人として、友として、コウを見守り、支えたいと思っています」


 父の瞳が、わずかに細まる。


 「それが、どれだけ茨の道になろうとも、か?」


 私は、迷わず頷いた。


 「はい。 彼と一緒にいることは、私にとっての成長にも繋がります。何より、彼は黒の器という存在である以上、この国の命運を分ける人物だと感じています。そのような人物の近くにいるということは、もちろん高いリスクにもなりますが、私にとって何かしらのメリットになることでしょう。ちょうど、国にもヴァルティア家として黒の器の注視を伝えていますし、この役目、私にお任せ下さい」


 アグナルはしばらく黙していたが、やがて深く頷くと、椅子から立ち上がった。


 「……わかった。お前はこれまでと同様、コウの“監視役”として行動しなさい。ただし、名目はこうしておけ」


 彼は机の端から一枚の公文書を持ち上げる。


 「“シルバーランクになるまで、世間を見てこい”と父親に言われた、とでも言っておけ。コウ君からの余計な詮索を避けるためにな」


 その言葉に、思わず笑みがこぼれた。


 「はい。ありがとうございます」


 もう迷いはなかった。

 私は彼の隣に立つと決めた。

 見守るでもなく、守られるでもなく、支え合う“仲間”として。

 だからこの先も――私は、彼と共に歩く。


***


 書斎の扉が静かに閉まる音がした。

 アグナルはしばらく無言のまま、扉の方を見つめていた。

 そして小さく息をつく。


 「……黒の器で、間違いないな」


 背後に控えていたセバスチャンが、一歩進み出た。


 「ええ。 祠での穢気との共鳴、そして反応の強さ――最早疑う余地はありません」


 アグナルは頷き、椅子に腰を沈めた。


 「となれば、こちらからの報告は……引き続き、イリスを通じて“懐柔中”という形で」

 「御意に。国への報告の仕方を間違うと、即座に拘束命令が下るでしょうな。……イリス様の性格を見れば、まず間違いなく、反発するでしょう」


 アグナルは机の端に積まれた書簡を横目に見やる。


 「それにしても……国立図書館にすら、穢気に関する記述はごく僅かだった。これでは、あの祠がどこにどれだけあるかも把握できん」

 「おそらく、意図的に情報を伏せているのでしょうな。穢気や邪鬼の存在は、国にとって極めて大きなリスクになる。国民に恐怖を与えぬため……それが“王国の秩序”、ということでしょうか」


 アグナルは眉をひそめた。


 「……それが、“王の道”というなら、我らは“人の道”を見失わぬようにせねばな」

 「お言葉の通りで」


 少し間を置いて、セバスチャンが言った。


 「ですが、コウ様の実力は申し分ありません。気を使わなくても王国副騎士団長にすら届く域。……戦時利用を想定すれば、確かに“美味しい”存在であるのは事実」

 「だが、彼は優しすぎる」

 「……ええ。 イリス様からの話を聞くに、おそらく穢気の浸食を最も受けやすいのは、他者を思いやる者。器としての覚醒リスクは、相応に高いと見ております」


 アグナルは目を閉じて深く頷く。


 「要経過観察……だな。 引き続き、イリスとは違う目で蒼玲流の指南役として、彼の様子を確認するようにしてくれ」

 「承知いたしました」


 静かにやりとりが終わり、しばし沈黙が落ちる。


 「それにしても……」


 アグナルがぽつりとこぼした。


 「ヴァルティア家の指示で注視、か……」

 「上手く、アグナル様の指示を使われてしまいましたな」

 

 セバスチャンの言葉に思わずアグナルは苦笑いをする。


 「あぁ。 素直に“気になるから一緒にいたい”、と言えばよいものを」

 「そうはなかなかアグナル様にお伝えできないものでしょう」

 「そうやもしれんな。それにしても……難儀な相手を選んだものだな、イリスは」


 セバスチャンが口元に笑みを浮かべる。


 「そのあたりは、父親譲りですな」

 「……違いない」


 二人は小さく笑い合い、書斎には一時の静けさが戻った。

これにて三章終了です!

四章からは他国も絡んだ大きな動きがでてきます!

とはいえ、ここで一区切りです。このタイミングでよければブクマ、評価、感想をいただけませんか?

お気軽にいただけるととても嬉しいです。

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