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器を求めて

 装置の中心にあった水晶――ふと気がつくと、ボクはそれに、吸い寄せられるように手を伸ばしていた。

 意識とは別に、体が勝手に動いていた。


 「……こっちだ」


 聞いたことがないはずなのに、どこか懐かしいような、でも底冷えするような声が聞こえた。


 ーーお前は器……満たされるために生まれた存在。


 「ちょっと…… コウ?」


 イリスの声が意識の遠くから聞こえる。


 (ボクは…… 何をしようとしているんだ……?)


 自分でも何がなんだかわからないまま、気がつくとぴたり、と指先が水晶に触れていた。

 瞬間――触れた指先から何かがボクの中に浸食してくるのを感じる。


 「ちょっと、コウ!」


 イリスがボクを無理矢理水晶から引き剥がすと我に返る。


 しかし次の瞬間、水晶の奥で黒い渦が蠢き出した。

 ガキッ、と鈍い音を立てて水晶に亀裂が走る。


 「これは……!?」

 「離れて!」

 

 亀裂は一気に広がり、水晶が砕け散った。

 その中心から、黒い霧のような穢気が噴き出す。重く、濁っていて、底が見えない。

 そしてその濁流の中心に、禍々しい“塊”が姿を現した。


 「憎い……」

 「腹立たしい……」

 「恨めしい……」


 本来、人の心に巣くう様々な負の感情がその禍々しい塊から放たれる。


 「これが……穢気……?」


 どうやらこの言葉が聞こえるのはボクだけではないらしい。イリスが険しい顔をしながらその黒い塊を注視する。そしてそのときだった。


 「黒の器……見つけた」


 どこからともなく声がする。そしてどこにも目はないはずなのに、なぜかボクの方を見ている気がする。


 「……器は……私のものだ……」


 そして、その黒い塊が、ボクに向かって飛びかかってくる。

 反射的に気を使って身体を強化し、その突進を避ける。


 「コウ!」


 イリスの声が飛ぶ。

 この場は――危険すぎる。


 「イリス、逃げて! ここは……危険すぎる!」

 「……っ、なに言ってんのよ!」


 それでも、彼女は剣を構えたまま、ボクの隣に立ち続けていた。

 祠の中に再び張り詰めた空気が、鋭く肌を刺した。


 黒い塊が咆哮とともに、真っ直ぐにこっちへと飛びかかってくる。

 一撃、というよりは――まるで侵食するように。


 視界の隅で、闇が軌跡を描いた。だが、それは一度では終わらなかった。


 「っ……はや……っ!」


 黒い塊は地を這い、跳ね、滑り、再び姿勢を変えながら――獣のような、いや、それ以上の知性と執念で、何度もコウへと迫ってくる。


 (っ、避けきれ――)


 身体強化の気を脚へ集中し、ぎりぎりで横跳びに躱す。

 だが、避けきったつもりの左肩先を、黒い気の先端がほんの僅かにかすった。


 「くっ……!」


 その瞬間、コウの視界が暗転した。

 重力が反転したような、空間が裏返るような、得体の知れない“引力”が意識ごと引きずり込んでくる。


 (やばい、これ……)


 耳元で、誰かがささやく――いや、ささやかせているのは、自分の中の“何か”かもしれない。


 『もう、楽になればいいじゃないか』

 (……ちがうっ!)


 瞬時に丹田に気を集中し、正気を引き戻す。

 だが、黒い塊は何度も跳ね返ってくる。


 「コウ……!」


 イリスの叫び声を耳にしながら、ボクは必死に気の剣を展開し、弾くようにして間合いを取り続けた。


 「逃げてって言ってるでしょ!」


 ボクは黒い塊を相手にしながら、イリスに逃げるよう促す。


 「……あんた、私のことをなんだと思ってるの?」


 イリスの声が、怒りをはらんで震えていた。


 「私じゃ力不足だっていうの? 役立たずだって? 隣に立つ資格すらないってこと?」

 「そんなこと――!」

 「それなら、私はここにいたっていいじゃない!」


 だめだ。イリスはボクの気持ちをわかってくれていない。


 「ボクは……ボクは……!」


 黒い塊の突進を気の剣で防ぎながらボクは精一杯思いを伝える。


 「この力でキミを傷つけてしまうのが怖いんだよ! ボクは、自分が邪鬼化してしまうかもしれないときに、大切な人が傷つくところをみたくないんだよ!」


 「じゃあ、なんで私を拒絶するのよ! “傷つけたくない”って、それって……ただ自分が怖いだけじゃない! 私の意志は、関係ないっていうの!?」


 痛いほど、刺さる言葉だった。


 (ボクは……)


 怖かった。

 また“こっち側”に堕ちるのが。イリスに嫌われるのが。イリスを傷つけてしまうのが。

 だから、自分の中の弱さを押し殺して、イリスを守るふりをして逃げようとしていた。


 黒い塊が再び跳ねるように身をくねらせ、ボクに向かって一直線に迫る。


 (くるっ……!)


 ――そう思った、その瞬間。

 

 ――カシィンッ!


 次の瞬間、氷の気を纏ったイリスによる蒼白い斬撃の弧が夜気を裂いて走る。

 銀髪をなびかせて渾身の一撃を黒い塊に叩き込むと黒い塊が吹き飛び、岩場に叩きつけられた。


 「……っコウ!」


 コウが呆然と立ち尽くしていると、イリスは鋭く振り返る。だがその瞳には、怒りではなく、明確な意志の光があった。


 「私は、私の決断で今はあんたの横にいるって決めたの。 ――それに、何か文句あるっていうの?」


 その言葉は、叫びでも命令でもなかった。

 ただ、強くて、まっすぐな、想いだった。

 吹き抜ける風が、漂っていた思い空気を吹き飛ばし二人の間を駆け抜ける。

 コウは、僅かに目を見開いた。


 「ボクも…… ボクもイリスと一緒にいたいんだ」


 気が、震えた。

 それは恐れからじゃない。決意だった。

 イリスの存在が、ボクの中の光だった。

 黒い塊が、再びうねりを上げて迫ってくる。

 だが、今はもう違う。

 イリスの存在が隣にある限り、ボクは負けない。


 「器はただ満たされるためのもの……お前の意志など、意味はない」


 塊が嗤うように言った。


 「違う。ボクは……もう、器なんかじゃない。自分の意志で、ここにいる!」


 ボクの全身に、気が満ちていく。

 それは黒に染まらない、澄み切った光のような気だった。


 「行くよ、イリス!」

 「ええ、全力で!」


 二人の気が交差する。

 刃が走る。


 「――うおおおおっ!!」


 叫びとともに、黒い塊を――

 一刀両断した。

 塊は、霧散した。

 祠の最奥に、静けさが戻った。

 黒く染まっていた空気が、少しずつ、澄んでいく。


 「……やった、の?」


 イリスが、息を切らしながら問いかけてきた。

 ボクは、剣を納めて頷いた。


 「うん。でも……これは、まだ始まりかもしれない」


 祠の中心に残る、砕けた魔導具の残骸。

 そこには、まだうっすらと黒い滲みが残っていた。


 (これが、“器”の意味。ボクの中にあるものの、正体――穢気が求める器。それが黒の器)


 ボクは、イリスの隣に立ち直ったまま、前を見据えていた。


 ――そのときだった。

 隣にいたイリスが、そっと歩み寄ってきた。

 剣を収め、静かに、しかしまっすぐな足取りで。


 「イリス……」


 ようやく、ボクは笑えそうな気がした。

 でもその瞬間――


 ――パァンッ!!


 頬に乾いた音が響いた。


 「……っ!」


 イリスが、泣きそうな顔で言った。


 「バカ。ほんと、バカなんだから……」


 イリスの声は震えていた。

第三章もクライマックスです!次で三章は完結します。


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