吸穢の祠
グレナティスを発って、もう三日が経った。
乗合馬車でいけるところまでいくとそこからはイリスと並んで歩いた。彼女と歩く旅路も、ここ数ヶ月一緒にいるからだいぶ慣れてきた気がしていたのに、ここのところはどこかよそよそしくなってしまっていた。
「……あ」
森の中を進んでいたとき、ふと見慣れた地形に気づいた。少しだけ、胸の奥がざわつく。
「どうしたの?」
先を歩いていたイリスが振り返る。
「いや……こっちの方角って、ボクの……生まれた村の近くなんだ」
「え……そうなの?」
驚いたように目を見開くイリスに、ボクは曖昧に頷いた。
「フェン村っていう、小さな集落。……前に、ちょっと話したかもしれないけど」
「うん、“忌み子”って呼ばれてたって……あれって、その村のこと?」
ボクは小さく息を吸って、頷いた。
「うん……村に伝わる伝承で、黒目黒髮の子供は忌み子って呼ばれてたんだ。だから目を合わせただけで、大人たちが嫌な顔して、近づくと子どもは逃げていくか、いじめられてた」
「……家族は?」
イリスの声が、どこかおそるおそるだった。
「……父さんも、母さんも、似たような感じだったよ。喋るときはいつも睨まれてたし、“あんたなんて生まれてこなけりゃよかった”って、何度も言われた」
「……っ」
イリスの顔が、苦しそうに歪む。
その後、ボクは村のガキ大将でいじめっ子のドグと村の外にいって、魔物にあって、そこでリゼに助けられたけど村に戻ったら魔物を呼び寄せたのはボクのせいだってことで追い出された話をした。
(この話をするのはリゼ以外にはじめてだ)
「っ……ごめん……そんなこと、聞いちゃって……」
イリスはうつむいた。
「ううん、大丈夫。気にしないで。……今は、こうしてここにいるし。それに……」
「それに?」
イリスはコテンと首を倒して続きを促す。
「それに、イリスとも出会えたし」
そう言うと、イリスは黙ったまま、でもそっとボクの隣を歩き始めた。
イリスの隣は、やっぱり居心地がよかった。
しばらく無言の時間が流れたあと、ふと気になってたことを聞いてみた。
「ねえ、イリス」
「ん?」
「改めて聞くけど、どうして今回、祠まで行きたいの?」
イリスは少しだけ黙って、それから肩をすくめる。
「んー……お父様の依頼よ。地脈の流れがこの辺りで不安定になってるって話があって、“祠”がその原因かもしれないって。 調査対象として確認してきてって言われたの。まぁ、軽い仕事よ」
あくまで軽く、何気ない調査の一環だって雰囲気。でも……どこか不自然だった。
けど、あえてそこは突っ込まなかった。
「……そっか。それなら仕方ないね」
祠がある場所が危険かもしれないって思っていたけど、表面上だけでも誰かの“仕事”としての依頼と言われてしまったら、ボクは彼女が祠に行くのを止められない。であれば、何がどうであれやっぱり一緒に行ったほうがよいんだ。
イリスとそんな話をしてから、しばらくはお互い無言で歩いていた。
どこか、空気が変わったと気づいたのはその少し後だった。
「……なんか、静かだね」
「うん……鳥の声もしない」
さっきまで聞こえていた森のざわめきが、いつの間にか消えていた。風が吹いているはずなのに、木々の枝葉が揺れる音すらしない。空気がぴんと張り詰めていて、どんよりと思い。何かが息を潜めてこちらをうかがっているような、そんな錯覚すらあった。
「イリス、ここ……」
「ええ。もうすぐ、目的地のはずよ」
足元の土が、しだいに黒ずんでいく。草はまばらになり、茂っていた木々はどこか歪んで見えた。葉の色も濁ったような暗い緑色で、根本からひねり上げられたように曲がっている木もある。
「……これが、地脈の“淀み”ってやつ、なのかな」
イリスは答えなかった。代わりに、前を見据えたまま、しっかりと歩を進めていた。
やがて、木々の間にぽっかりと開けた空間が現れた。
中央に、それはあった。
灰色の石を丁寧に積み上げて造られた、こぢんまりとした社。入り口は地面に向かってぽっかりと口を開けていて、まるで地中深くへと誘うようだった。
「……ここが、“吸穢の祠”」
「えぇ、そうみたいね」
胸の奥が、ざわざわと騒ぎ始める。嫌な汗が、背中を流れた。
でも、それでもボクは、イリスの隣に立ち続けた。彼女は、もう扉の前に手をかけようとしていた。
***
祠の中は、外の空気とはまるで別物だった。
石段を数段降りた瞬間、ひんやりとした冷気と、どこか鉄のような匂いが鼻をついた。明かりは壁面に魔光灯が取り付けられていた。ボクが先を歩き、イリスがその背を追う形で進む。
「……深い」
「一本道みたいね。でも、空気がどんどん重くなってる。これが地脈の淀んでいる影響、ってこと……?」
確かに、何かが身体の奥にまとわりつくような感覚があった。気の流れが歪んでいるというか、そもそも、流れそのものがどこかに吸い込まれていくような……
祠の内部は、思ったよりも広く、そして深かった。
「……一本道、って言ってたけど……これ、かなり深くまで続いてそうだね」
「ええ、準備はしておいた方が良さそう」
そんなことを言っていた矢先だった。
ずるっ、という気配が、背後から聞こえた。
「来る!」
イリスが素早く剣を構えると、影から飛び出してきたのは、見覚えのある獣「牙鼠」。 ――いや、どこかおかしい。牙の生え方が不自然に長く、目は真っ赤に濁っていた。爪も地を擦りながら、不規則な軌道で突っ込んでくる。
「……魔物、でも、普通じゃない……!」
ボクは即座に剣を抜き、イリスと連携してその魔物を迎え撃つ。動き自体はこれまでの魔物と大差ない。けれど、反応が異常に速く、攻撃の手を緩めない。まるで自分の命を投げ捨てても構わないと言わんばかりに、何度も飛びかかってくる。
「こいつら…… 恐怖を感じてない……?」
普段であれば、味方がやられると魔物であっても様子を伺う素振りを見せるが、こいつらにはそれが全く無かった。
倒した後に本来であれば魔石を落とすはずなのに、こいつらからは魔石が落ちない。
剣を振るうたびに、血が飛び散る。やがて魔物は倒れたが、ほんの数秒、息を潜めた後――今度は奥から別の魔物が現れた。
「また来たわ……!」
狼のような姿をした獣が、低い唸り声をあげてこちらに突進してくる。イリスがその前に出て受け止めるが、その体当たりの重さにわずかに後退する。
「……本当に、ただの魔物じゃない」
この祠にいる魔物たちは、まるで――“何か”に侵されているようだった。
(もしかして……穢気の影響?)
命気が濁って、穢れた気。ボクの中で感じたことのある、あのざわざわとした感覚に似たものが、この魔物たちからも感じられた。
「行こう、イリス。長居は危ない」
「ええ、急ぎましょう。最奥まで、一気に――!」
それから何度か、襲い来る魔物たちを撃退しながら、ボクたちは祠の最深部へと歩を進めた。
(いや……これって)
まるで、“何か”が、この祠の奥で周りの空気そのものを吸い込んでいるような……そんな感覚。
階段を降りきると、石造りの通路がまっすぐ続いていた。壁面には、古い魔術の紋章がびっしりと刻まれている。ところどころ、壁面に亀裂が入っているけど、それでもまだ力を帯びているのが分かる。
「イリス……この祠って、いつからあるんだろう」
「正確な記録は残ってない。でも、百年はくだらないはず。……少なくとも、王国が今の形になる前からある祠だって言われてる」
進むにつれて、空気はさらに重たくなる。ボクは何度も深呼吸をして、呼吸を整える。
そして、通路の先に――扉があった。
巨大な石扉。そして、両側には祈りの文様のようなものが刻まれている。
「……ここが、最奥みたいね」
イリスが両手で扉に体重をかけるとゆっくりと開いた。内部から、ぬるりとした生暖かい空気が流れ込んできて、思わず肩がすくむ。
中は、広間だった。
円形の石室。その中心に、奇妙な装置が置かれていた。複雑に組み合わされた魔導具。光を吸い込むような透明な水晶で作られたそれは、まるで“生き物”のように脈動していた。そして、透明の水晶のようなものはよく見ると黒い濁りがたまっていた。
(……これが、“吸穢”の仕組み?)
周囲の空気は濁っていた。先程まで感じていた重苦しい空気が、この魔導具に向かって落ち込んで行っているのがわかる。
「これが……地脈の穢れを吸い上げてる……?」
「たぶん、そうね」
イリスの声が、不安を帯びていた。
ボクは装置をじっと見つめた。、黒い淀みが、かすかに揺れていた。
その揺れが、不安そのものみたいだった。
(……ここは、何かが“溜まりすぎている”)
ボクは拳を握った。
ここに来たからこそ、分かったことがある。この場所には、過去から積み重なってきた”穢れ”が眠っている。そしてこの穢れからは何かとてつもなく嫌な予感がしていた。
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