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成長

 イリスが父親の仕事から戻ってきて、吸穢の祠にいかないかと言われてから数日が経った。


 ギルドの依頼をこなす毎日。顔を合わせ、並んで歩き、戦って、報告して、食事をとる。外から見れば、何も変わっていないように見えるかもしれない。

 だけど、ボクの中は、ぐらぐらと揺れていた。


 (……どうして、イリスはあそこまで……)


 ユグ山の西側。地脈が淀み、穢気を押さえ込むための“吸穢の祠”――

 そこに行こうと、イリスは言った。

 おそらく、決して安全なところではないだろう。何なら、ギルドがランク付けしていない場所にいくということは、これまで経験したどんなクエストよりも危ない場所になるかもしれない。


 ボクは、その場所に行くことにためらいを感じていた。


 (そんな場所に、イリスを連れていくべきではないだろう……)


 危険な場所にいって、自分がまた暴走したらどうしよう。イリスを傷つけてしまったら――


 (それに、イリスはどうして、あんなに邪鬼のことを知りたがっているんだろう? 今回も急にアグナルさんからの指示でしばらくいなくなったし)


 疑問と恐怖が、胸の奥に澱のようにたまっていた。


 その日は、獣素材の採取依頼で森の中を歩いていた。

 イリスが先導し、ボクがその後を歩く。


 「……さっき、珍しく反応が一歩遅れていたわよね」

 「あ……うん、ごめん、ちょっと考えごとを……」


 気のない返事に、イリスは小さくため息をついた。

 クエストの最中なのに、ボクはどこか上の空だった。

 草陰で小休止していたとき、イリスが不意に話しかけてきた。


 「……ねえ、コウ。あの祠、やっぱり行かないつもりなの?」


 その言葉に、少しだけ沈黙が生まれる。


 「……うん。というか、まだ……どうしようか悩んでるっていうか」


 素直な気持ちを口にしたつもりだった。でもイリスは、じっとこちらを見ていた。


 「じゃあ、なんで迷ってるの?」


 イリスの藍色の瞳が、まっすぐにボクを捉える。

 ボクはうまく言葉を返せなかったから、苦し紛れにイリスに問い返した。


 「イリスは、なんでそこまでして祠に行きたいの?」


 そう問い返すと、イリスはわずかに眉をひそめ、肩をすくめる。


 「お父様からの“仕事”の一環よ。 調査対象の確認ってところ。……あんたが行かないなら、私ひとりで行くしかないわね」


 さらりと、でもはっきりとした言葉。


 「え……一人でもいくの?」


 反射的に声が出たが彼女は頷く。彼女を一人でそんな物騒な名前の場所に行かせるなんて、できるはずがない。それでは本末転倒である。


 「……わかった。行くよ、ボクも」


 その言葉に、イリスは納得した様子でふうんと頷く。


 「なら準備はしっかりしておいてよね。明後日には出発するわ」


 そう言って立ち上がるイリスの背中を見ながら、ボクは自分の決断を自分自身に「これでよかったんだ」と言い聞かせていた。


 ***


 数日前のことだった。

 ヴェルナードでの調査が終わったイリスは、館へ戻ってくるなりすぐに私の執務室を訪れた。


 「お父様。少しお話、よろしいでしょうか」


 彼女の瞳には迷いはなかった。何かを得て、それを行動に移す者の強さが宿っていた。


 「先日の調査の件だな?」


 私が問うと、イリスは頷いた。


 「はい。彼の中にある恐怖……“邪鬼”の存在。地脈の淀み、“穢気”。そして――“吸穢の祠”という場所」


 彼女は調査の内容を詳細に説明した。王国図書館には穢気や邪鬼、地脈に関する表だった情報がほぼなかったこと、そしてユグ山の記載の一部にのみ祠について記されたいたこと。そしてその場所に、何かがあるかもしれないと感じたこと。


 「真実を知るために私は一緒にそこへ行きたいと思っています。この世界のこと……そして彼のことももっと知りたいから。……でも、彼は今、私から見ると何かに迷っているように感じています」


 そう言った彼女の口ぶりには、寂しさもあった。


 「だから私は、いざという時は“お父様からの仕事”という建前でも吸穢の祠にはいきたいと思っています。……それが、たとえ私ひとりでいくことになったとしても」


 その言葉には、これまで感じたことのない力強さを感じた。私は黙って、娘を見つめた。その瞳の強さは、どこか妻を彷彿とさせた。彼女は、もうただの小さな子供ではなかった。


 一人の騎士として、そして女性として、ちゃんと見極めようとしている。


 「……いいだろう」


 娘の巣立ちを感じながら、少し寂しさを感じながらも私は頷くと、イリスは「ではこれで」と執務室を後にした。


 イリスが部屋から出て行くとセバスチャンは口を開く。


「立派になられましたな」

「あぁ、ここ数ヶ月で一気に大人な顔をするようになった」

「コウ様には、感謝ですな」


 セバスチャンの軽口に思わず私は口を尖らせる。


「まだコウ君をそこまで認めたつもりはないがな」

「おっと、これは失礼致しました」


 セバスチャンは自身の失言を認めてすぐに謝罪を示す。しかし、セバスチャンの言う通りでもある。私自身でギルドに、そして世間にイリスを出すことを決めた。しかしながら外に出した途端にここまで急成長されると、それは逆に物寂しさというか、自分の親としての至らなさをまじまじと見せられているようにも感じて悔しかった。


「親としてできることは、相手を個として尊重しつつ、いつでも戻ってこれる場所を準備しておくことなのかもしれんな」

「なかなか損な役回りですな、まったく」

「違いない。 だが、喜びもあるからそれでよいのだろう」


 そして改めてセバスチャンに伝える。


「もしコウ君がいかない、ということになれば念のため、セバスチャンが同行してやってくれ」

「御意に。イリス様の命はこの命に変えて、お守り致します」


 私は深く頷いたあと、窓の外を眺めた。


「結局、イリスも……イレーネと同じ役割を担わされることになりそうだな」

「そうですな……奥様方と同様、意志が異なる家と国との間を上手く仲介する、難儀な役割ですな」

「あぁ。……これも、血筋というやつかもしれんな。だからこそ、誰かの言いなりになるのではなく、難しいかもしれんがちゃんと自分で判断してほしい。そのために親としてできうる限りのサポートはしよう」

「仰る通りにございます。この命、お仕えしたときからヴァルティア家に捧げておりますので何なりと」


 セバスチャンの言葉に私は頷く。


「イレーネ、イリスのことを見守っていてやってくれよ」


 もちろんその言葉に返事はないが、かすかに吹いたやわらかな風が書類の端をぱらりとめくった。

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