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思惑

 自宅のあるグレナティスの街に戻る乗り合い馬車の揺れは、いつもより強く感じた。

 車輪の軋む音、馬の蹄が石を打つ硬質な響き、風に揺れる帷子のざわめき……それらが妙に耳につく。


 (……なんでだろ。いつもなら、こんなに長く感じなかったのに)


 昇格クエストも無事に終え、エルダスの街を離れて郊外の道を北へ向かう。与えられた任務の完了、そして今回は短期間でランク昇格という、本来であれば喜ばしい報告のはずなのにどこか物足りなさを感じていた。


 グレナティスはヴァルティア領の軍事的な拠点として、エルダスとは少し距離を置いた場所に位置している。だから、何度も通ったこの馬車道は、見慣れているはずなのに――今日はやけに遠かった。


 (あいつと一緒だったときは、あっという間だったのに……)


 先日の昇格祝いの夜を思い出す。


 ギルドの近くで食べた食事は質素だったけど、妙に楽しかった。コウの不器用な返しと、それにイライラしながらもなぜか笑ってしまった自分。――そんな記憶が、頭の中を心地よく刺激してくる。


 「……ったく、ほんと何なのよ、あいつ」


 馬車から吹き込む風が髮をふわりとなびかせる。

 思わず呟いてから、少しだけ頬が熱くなった。

 馬車が減速するのを感じて改めて窓の外を見ると、グレナティスの城門が見えてきた。


 (ちょっと離れてただけなのに、ずいぶん戻らなかった気がするわ)


 馬車を降りるとそんなことを思いながら家路を急いだ。


 ***


 コンコン


 「入れ」


 執事セバスチャンに迎えられてノックした扉の向こうにいる父の気配は、いつも通り鋭く、そして静かだった。


 重厚な扉を開くと、そこには執務机に重なった向こう側に父親、アグナルの姿が見えた。


 「……ただいま戻りました」

 「戻ったか、イリス。 無事で何よりだ」


 アグナルは顔を上げると手に持ったペンを置き、執務机から離れると応接のソファへと腰掛け、そして私も座るように促す。私の後ろにいたセバスチャンは気がついたら席を外していた。


 使い込まれた革張りのソファに腰を降ろすと、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じる。


 「どうだった?」

 「無事、ご指示通りブロンズランクへの昇格を達成して参りました」


 そこまで伝えたが、アグナルは私の目を見つめて大きく頷くだけで、何も告げない。


 (聞いているのはそこじゃない、ってことね)


 「ただ……」

 「ただ?」


 私が続きを口に出すと、眉をピクリとあげてその続きに興味を示す。


 「技術的にも、人間的にも自分の未熟さを、見聞の狭さを思い知らされました」

 「そうか。だが、良い経験だったな」


 私はこくりと頷く。


 「今まで私は大人にも負けない、どこでだって一人でやっていける、そんな風に思ってました。でも、そうじゃないことに気がついたんです」


 お茶を入れたセバスチャンがテーブルにティーカップをセットすると、アグナルはカップを手に取り背もたれに身を預ける。


 「同世代でも私より強いやつもいる。蒼玲流が一番強いってわけではない。そしてなにより……」


 そこまで言って、でも何かを言いかけた私の唇が止まる。


 「なにより?」

 「……いえ、なんでもないです。とにかく、世界の広さを知ることができました」


 アグナルは少しほくそ笑むとカップをテーブルに置いて満足そうに言った。


 「イリスにそこまで言わせる相手、よっぽどのやつだな。 是非、一度お目にかかってみたいものだ」

 「そ、そんな。 あいつはお父様にお目通しするほどのやつじゃないです」


 私はなんだか急に恥ずかしくなってきた。なんだか顔が熱くなっている気がするが、気のせいだろう。


 「でも、蒼玲流を学びたいと言っていたので、声を掛けたら喜ぶと思います」

 「そうか。なら尚更、招こうじゃないか。そう思うだろう、セバスチャン?」

 「はい、もちろんでございます。このイリス様にここまで言わせる御方、わたくしめも是非お目にかかりとうございます」


 不意に背後から声が響き、肩がびくりと跳ねた。何やらアグナルも、セバスチャンも機嫌が良さそうだ。


 (あいつ、きて……くれるかな? お父様も、コウのことを認めてくれるといいな)


 「何にしても、本当に無事で何よりだ。 細かな話はまた聞かせてくれ。今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい」


 そういってアグナルは私をねぎらうと満足そうに頷いていた。


 ***


 ――時間は少し遡り、イリスが屋敷に到着する少し前のアグナルの部屋でのことだった。


 アグナルは書斎の窓から、エルダスの方角に伸びる街道を見やった。

先日、無事にイリスが昇格クエストを達成したことをギルバードからの手紙で知ったアグナルは、ついつい窓の外を眺めがちだった。

 視線の先にイリスの姿はまだ見えないが、そろそろ帰ってくる時間だろうと予想していた。


日が傾き始めた庭には、風に揺れる松の枝の影が長く伸び、アグナルの執務室を赤く染め上げる。

 

アグナルは、重厚な机に寄りかかりながら机上の書状に目を戻したところ、執務室の扉が叩かれる。


「アグナル様、よろしいでしょうか?」

「入れ」


 声の主がセバスチャンだとわかったアグナルは部屋に招き入れると、王都からの蝋印が押された書状がセバスチャンの手に持たれていた。


 「こちらを」


 手渡された手紙の蝋印を開封してアグナルは目を通す。

 それは、ただの行政報告ではなかった。


 「黒の器に関する再調査を要請する」

 「特徴は黒目黒髮、全属性への潜在適応による白い気、命気異常、15年前の地脈乱れから想定すると、年齢は15歳前後」

 「該当する可能性のある者を発見した場合、速やかに報告を」


 アグナルは読み終わった書類をセバスチャンにも手渡す。


 「……この話は、久しぶりだな」


 セレフィア王国だけの話ではない。全世界において歴史上で何度か地脈の乱れが観測されると、異常な命気を持ち世界の命運を左右すると語り継がれる新生児が誕生するという伝承が各地で残っていた。


 「いよいよ、ザイレム帝国との戦争に向けて本格的に準備をはじめる、ということか」

 「また、忙しくなりますな」


 これまでも思い出したかのようにこの黒の器の探索命令が王都から出され、それは戦争の準備を意味していた。王都は黒の器を“次代の兵器”として扱う可能性を考えているのだろう。


 アグナルの元に届いたこの手紙は、そうした動きが再び本格化した証拠だった。


 「……だが、“器”が本当に存在するのだとして、本当に思い通りに動いてくれる保証はどこにもないだろう」


 指で机を軽く叩く。


「仰る通りにございます。黒の器は、一国の命運のみを握っているわけではないと伺っております。その力は、全人類に影響をおよぼす、とも」


 セバスチャンは恭しく頭を下げながらアグナルへ伝える。アグナルは「はぁ」と大きくため息をつくと改めて顔をあげて立ち上がる。


 棚に並んだ古い文献のひとつを手に取り、ぱらぱらと捲る。

 黒の器――かつて、穢気と調和気が交わる可能性を持った“両刃の存在”として、忌まれつつも伝承に残された存在。

 ただ力があるだけなら、それは脅威だ。

 だが、心があるなら――それは希望にもなり得る。


 「どちらにせよ、俺たちができるのは王の命に従うまでだ。 領民のためにも、そしてイリスのためにも、今ここで王に仇をなすわけにはいかん。 この件、何か情報があれば俺まで伝えてくれ。 こちらで然るべき対応を考える」

 「御意に」


 このとき、二人にとってまさかイリスが一緒にパーティを組んでいたのが黒の器だとは夢にも思っていなかっただろう。

第3章、これより開始です!いよいよ国が動きます!


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