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忌まれし子

 ボクは、王国の外れにあるフェン村と呼ばれる馬小屋で育った。どれくらいの期間かは正確にはわからないが、おそらく10年近くは経っているだろう。


 立派な家はない。家族の笑い声も知らない。朝は干し草の匂いで目を覚まし、夜は風の音と馬の鼻息を子守唄に眠る。布団なんて高級品はないから、寒い日は毛布代わりにボロ布を三枚、ぐるぐる巻きにして体に巻きつけていた。


 ……寒い日は、わりと本気で、もう目を覚まさない方が楽かなって思ったりもする。


 けど、不思議と泣いた記憶はない。なぜなら、涙を流すほどの“誰か”も、“何か”も、最初からボクにはなかったから。


 この村では、生まれつき黒髪と黒い瞳を持つ子どもは「忌み子」と呼ばれて忌避されるらしい。なんでも、禍をもたらすのだそうだ。


 そのせいで、ボクは母に愛された記憶も、父に名前を呼ばれた記憶もない。弟が可愛がられているのを遠くから羨ましくみていることしかできない。


 あ、でも一応、「コウ」って名前はある。馬に水をやってた時、たまたま通りがかったおじいさんが「そういや名前もなかったら不便じゃな」って言って、そう呼ぶようになった。


 ──村の誰かにとって、ボクはただの存在しない荷物のようなもので、「おい」や「あれ」で十分だったらしい。いや、「忌み子」なんだから、存在自体がない方がよいのかもいれない。


 「……今日は、怒られないといいな」


 独り言が、冷たい朝の空気に溶けていった。

 

 ***

 

 昼近く、干し草を集めていたときのことだった。


 「おい、ちょっとこいよ!」


 大きな声に、反射的に背筋が固まる。声の主は案の定ドグ。村の子どもたちの中では一番ガタイがよく、乱暴者で有名なガキ大将だ。そして、唯一この村で自分からボクに話しかけてくる存在。


 「なんでそんなとこでモサモサしてんだよ。ちょっと面白いとこ連れてってやるよ!」


 あぁ、きたな……嫌な予感しかしない。


 ボクが「今ちょっと、馬の水やりが……」と呟いた瞬間、ドグの取り巻きがニヤニヤしながら肩を掴んできた。


 「いいから来いって。 忌み子の癖に、文句あんのか?」


 ……これまでの経験からこれ以上抗っても無駄なことを悟る。


 断っても殴られる。従っても弄ばれる。それなら、せめて身体の痛みのない後者の方がマシだと、自分に言い聞かせるようになったのは何歳の頃からだったか。

 

 ***

 

 連れて行かれたのは、村を囲う森林のさらに奥――“立ち入り禁止”とされている崖の近くだった。


 「ここ、ダメだって言われてるとこじゃ……」

 「そんそんなこと、どうだっていいだろ? どうせ村のジジババが決めたしょうもないルールに決まってる!」


 ドグが先頭を切って、木々の間をずかずか進んでいく。

 ついていくうちに、ボクはあたりの空気が少しずつ変わってきているのに気がついた。

 風が通らない。音が少ない。肌に触れる空気にどことなく気持ち悪さを感じる。木々の密度が異様に高い。足元の枯葉の感触も妙に柔らかい。


 ……怖い、とは思わなかった。けど、なんというか、違和感がある。


 「ほら見ろよ、あれ! あの崖の岩のあたり、光ってねぇか!?」

 「え……あれって、ただ何かが反射してるだけじゃ──」

 「んじゃお前が確認してこいよ! こんなときくらいしかお前は役に立たないだろ?」


 ドグに背中を押されて、よろめきかけたそのとき。


 「……っ!」


 地面が、揺れた。

 いや、そう感じた瞬間、あたりの空気が“破れた”。

 木の陰から何かが飛び出してきた。


 尖った牙と爪。濁った黄土色の肌。手もついて動いているが、四肢が異常に長く、目だけがギラついている。まるで人の形を取り損ねた獣――魔物だった。そいつは、黒い霧のようなものを纏っていた。


 「な、なんだよアレ……!」

 「でっけぇ……! ひ、人じゃねえぞあれ! 化け物だぁ!」


 ドグとその取り巻きたちは、金切り声を上げて一目散に逃げていった。

 ……流石普段からいつも一緒にいるだけのことはある。見事な団結力だった。


 そんな感想が一瞬頭をよぎる中、ボクは動けなかった。

 足がすくんだわけじゃない。ただ、目の前の“何か”が現実味を帯びていなくて、まるで悪い夢の中に迷い込んだような感覚だった。


 「なに、あれ……?」


 魔物は、唸った。


 喉を絞るような低音。心の奥底までビリビリと響く。そして次の瞬間、四足で地を蹴って一気に距離を詰めてきた。


 「っ来る……!」


 逃げる暇はなかった。とっさに腕を前に出す。けど、そんなものが何の意味を成すはずもなく迫り来る爪を前に恐怖のあまり目をつぶる――万事休すだ。


 「しゃがめっ!」


 どこからか聞こえた鋭い声とともに、空気が唸った。

 刹那、重たい風がボクの頭上を通り抜けた。直後、魔物の体が弾かれたように吹き飛び、近くの木に叩きつけられた。


 「……な、に……?」


 視線を上げると、そこに立っていたのは、赤髪の女だった。背に大剣、長身、片目に傷。ボクよりはるかに年上だろう。


 「ったく……お前もついてないな、こんなやつを呼び寄せちまうなんて。ま、でもむしろ、都合がよかったのかもな。いろいろと」


 彼女がふっと肩を回したとき、周囲の空気が変わった。


 大気が震え、まるで空間そのものが“ざわついている”ような感覚。


 「下がってろ。 そいつ、ちょっとばかし、硬い」


 その言葉と同時に、彼女の足元に赤い“気”が集まった。

 足元から赤く光った気が火花のように弾け、瞬く間に全身を。包み込む。


 「ふっ!」


 息を一瞬吐き出し、大地を蹴ったかと思うと彼女は一瞬で間合いを詰めた。


 魔物が咆哮とともに爪を振るう。だが、彼女は余裕を持って身体をひねってその攻撃を躱すと、ひねった反動を活かして逆に剣の横薙ぎを食らって吹き飛ばす。


 (……なにが……起きているんだ?)


 魔物はよろけながらも立ち上がった。だが、赤髪の女はどうということはない様子だった。


 「タフってのは、ある意味気の毒だな」


 彼女が再び剣を構える。そして今度は獣のように姿勢が低い。


 そして、彼女が地面を再び蹴ったとき、すべてが終わった。


 剣が閃めくと魔物が胴から真っ二つに斬り裂かれる。どうやら、魔物は自分が斬られたことすら自覚していないようで、唖然とした顔をしていたが、ずるりと下半身から上半身が崩れ落ちる。

 すると魔物は、黒い塵となって空気の中に散っていった。


 「ふぅ……。よし、と」


 赤髪の女は剣を背に収め、ボクの前に歩いてきた。


 「生きてるな。ケガは?」


 ボクは、ただ首を横に振ることしかできなかった。


 「そっか。なら、よかった」


 その一言だけで、なぜか胸がいっぱいになった。


 ……誰かにこんな真正面から話しかけられたの、久しぶりだ。


 「お前、名前は?」

 「……コウ、です」

 「ふーん。あたしはリゼ。また、どこかであうかもな」


 そう言って笑う彼女の顔が、なぜか、とてもまぶしく見えた。



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