帰還
ギルド内は昼過ぎの穏やかな静けさに包まれていた。活気のある朝を終え、次のクエストに向かう者、依頼を待つ者たちがまばらに残るだけだ。
セリナはギルド長室で窓から賑やかな街並みを見つめながら、長いため息をついた。
「……本当に、行かせてよかったんでしょうか?」
その問いに、執務机に座りながら書類を整理しているギルバードが顔を上げる。
「信じて待つのもギルド職員の大事な仕事だ」
「そう……ですね」
セリナは頷きながらも、どこか割り切れていない様子だった。
「イリスさんの実力は申し分ありません。コウくんも、驚くほどの適応力と判断力を持っています。……でも、相手は忘却の騎士です。 模擬戦のようにはいきません」
ギルバードは苦笑し、机の隅に置かれたティーカップを手に取った。
「……あの模擬戦、見ていただろ? イリスの剣は強い。蒼玲流の名にふさわしい剣だ。だが、あの子には決定的に足りないものがある。型を崩す“間”の読み方、直感。コウはそのあたりが……流石リゼに育てられただけあって、上手い」
ギルバードは書類から目を離し、セリナの方を改めて向く。
「それに、前にも言っただろう。コウは黒の器だ。地力だけで考えたら、正直俺ですら相手になるかわからん」
「ギルド長ですら……?」
セリナが口元を押さえるようにして言うと、ギルバードは頷いた。
「まぁもちろん、それは器の大きさだけであって、意識がある状態のあいつになら今はまだ負けないだろうがな」
静かにカップを置きながら、ギルバードは窓の外に目を向けた。
「だが、イリスには、同世代の刺激になるやつが必要だったんだよ。イリスの父親――アグナルから、娘の面倒を見てほしいと頼まれた時はどうしたもんかと思ったが……まぁこれも何かの運命だな、きっと」
セリナは少し意外そうな顔でギルバードを見つめる。
「……そういうことだったんですね。なぜ、あれほどまでにイリスさんに関わってこられたのか疑問だったんです」
ギルバードは視線を落とし、しばらく言葉を探すように口をつぐんだ。
「……イリスの母親は、剣の名門であるマルセラ家の出身だった。剣術だけでなく、知略にも長けた一族だ」
「マルセラ……聞いたことがあります。かつて王国の参謀役として活躍していた家ですね」
「そうだ。彼女自身も、家の名誉と国のために剣を取ることを誇りにしていた。ただ――」
ギルバードは少し言い淀み、セリナを見た。
「……ある戦乱の中、とある事件に巻き込まれ、命を落とした。詳細は機密事項だ。だが、そのときにアグナルは彼女を守れなかったことを深く悔いている」
「それで、イリスさんに対して……」
「そうだ。 父親として、二度と愛する者を失いたくない、その一方で、イリスに真実を見る目を持って欲しいと思ってる。だから、娘にただ剣を持たせるだけではなく、こうして自分自身で外の世界に触れさせている。……矛盾しているがな」
「お母様の経緯は、イリスさんは知っているのですか?」
ギルバードは肩を竦め、首をかしげる。
「どうだかな。だが俺は、なんとなくだがイリス自身が母親の志を継ごうとしているのだろうとは思ってる。あの娘はあの2人の子だ。 自分で考え、自分で選ぶ強さを持っている。だからこそ、今回のクエストはいい機会になる」
「ギルドとしても……その覚悟を見届けたい、ということですね」
「ああ。それに……あの二人なら、互いに足りない部分を補い合える。そう思っている」
「上手く……いくと良いですね、このギルドクエスト」
セリナは天に祈るかのように上を仰ぐ。その様子を見たギルバードは、セリナを諭しながら、自分にも言い聞かせるように優しく語りかけた。
「親じゃない俺が言うのもなんだがな……手を離す時ってのは、いつも早すぎるくらいがちょうどいい。思ったより、下の世代っていうのは上のことをみて勝手に学んでるもんなんだ」
その言葉を聞いて、セリナは静かに頷き2人を信じて待つ決意を固めた。
***
騎士の墓場を抜け、木々に囲まれた小さな丘で、ボクたちは一夜を過ごすことにした。
月が高く昇り、焚き火の明かりがちらちらと影を映す。
「痛みは、どう?」
「うん、イリスの手当てのおかげで、だいぶマシになったよ。……ただ、腕はしばらく使わない方が良さそうだけど」
ボクは怪我をした左腕を少し動かしてみて、痛みや感触を確認して応える。
「そう…… とりあえず、大事に至らないならよかったわ」
イリスは安堵の表情を浮かべながら、静かに火を見つめた。
ボクも黙って火を見つめる。焚き火を囲んで話すこの時間が、どこか懐かしい。
(リゼと山小屋で話した時も、こんな感じだったっけ……)
思い返すとイリスとの付き合いはまだ半月ほどだ。最初の出会いは最悪だったけど、今となってはグレーファングの面々と一緒にいるよりも落ち着くし、安心できる。
(これが、仲間ってやつなのかもな)
そんなことを考えているとふと、疑問に思うことがあり口に出る。
「そういえば、イリスはこれからのこと、どうするの?」
問いかけに、イリスは少しだけ目を伏せた。
「……昇格クエストの後のことは実はまだわからないわ。 けどひとつだけはっきりしていることがある」
イリスの蒼い瞳が力強く光る。
「……少なくとも、もっと力をつけないと、って思ってる」
「うん、でも、今日の剣……すごく良かったよ。間合いの取り方、すごく上手くなってた」
「べ、別に……あんたに褒められても嬉しくなんかないけど……その、あんたの剣は、勉強になったわよっ」
「……そっか、ありがとう」
頬を膨らませて横を向いたイリスが、少しだけ顔を赤らめているのを見て、ボクはなんとなく嬉しくなる。
「あんたの剣は、型にはまった流派の剣とは違う。もちろん、蒼玲流は一つの方向性としては良いと思ってる。でも、それだけじゃ、一つの方向から見てるだけじゃだめだと、あんたの剣を見てたら、そんな風に思ったの」
(ボクのことをそんな風に見てくれてたんだ……)
「だから……」
イリスはふっとボクの方を見つめる。その力強いまなざしにボクはどきりとしてしまう。
「あんたと一緒にこのまま冒険者をやるっていうのも良いのかもしれない」
(ボクと一緒にいても良いって思ってくれてる)
ボクのことを都合良く使うだけじゃなくて、共に戦う相手として認めてくれてる。それは、リゼから弟子としてかわいがられていた感覚とも少し違う、不思議な感触だった。
「……って、あんたと一緒にいたいってわけじゃないんだからねっ! そこ、勘違いしないでよねっ!」
ぷいっと再び顔を逸らしたイリスにボクは思いのままを伝える。
「イリスがそれでよければ……ボクも蒼玲流の剣をもっとイリスから学びたい」
イリスは再びこちらを向き、その顔がパァっと明るくなる。
「そ、そうよ。あんたの剣なんて蒼玲流としては全然なってないんだもの。 このまま蒼玲流を学んだ、なんて言われたら蒼玲流の面汚しになっちゃうわ。このままじゃ放っておけないわね」
イリスは腕を組んでうんうんと、深く頷き、とても納得してくれているようだった。しかし、少し顔を曇らせる。
「でもね……」
急に顔を伏せたイリスにボクは顔を向ける。
「やっぱり、お父様のことも気になるの。お母様を失ったのは自分のせいだって、そう思ってるみたいだから。だから、私に何かができるわけではないかもしれないけど……でも、お父様の力にもなりたい、とも思うんだ」
イリスの両親を思う心に、ボクの心はなぜかトキンと痛むのを感じた。
(大切な、両親……か)
「そっか……」
ボクは焚き火の火を近くの棒でつつきながら、問題を先送りにすることにした。
「どちらにしても、まずはギルドに戻ってから、だね」
その言葉に、イリスはこくりと頷く。
そして、火の粉がはぜる音だけが、ふたりの間を満たした。
***
翌朝。
ギルドに戻ると、セリナが出迎えてくれた。
「おかえりなさい。ふたりとも……無事で、よかった」
その笑顔は安堵と、どこか感動すら滲んでいるようだった。
「さ、ギルドマスターが待ってるわ」
そう言って、ボクたちはギルド長室へと通された。
扉の向こうには、ギルバードが腕を組んで待っていた。
「よく戻ったな。 戻ってこれたってことは、無事に忘却の騎士を倒したってことだな?」
ボクとイリスは大きく頷き忘却の騎士の魔石を見せると、ギルバードもその様子を見て微笑む。
「……まずは、おめでとう。これで、お前たちは――ブロンズランク昇格だ」
「やった……!」
「ふん、当然でしょ」
イリスはそっぽを向いているけれど、その表情は嬉しさを隠しきれていなかった。
喜んでいるボク達を見た上で、ギルバードは口を開く。
「そしてな、イリス。 お前には、ひとつ伝えておくことがある」
ギルバードの声に、イリスがはっと顔を上げる。
「先日、キミの父上から手紙をもらっていてね。 昇格したら、今後のことを話すためにも一度屋敷に戻ってきてほしい、とのことだそうだ」
イリスは一瞬、何かを言いかけて、それを呑み込むようにして静かに頷いた。
「……わかりました」
イリスはその瞳を揺らしながらギルバードに返事をすると、今度はボクに向かって言葉を続ける。
「コウ、私は一度屋敷に戻るわ。……戻って、お父様と話をしてくる」
「うん、わかった。 お父さんの力に、なれるといいね」
ボクは極力平静を装いながら、イリスへ精一杯の励ましの言葉を送るとイリスは大きく頷いた。
こうして、イリスとの昇格クエストを受けることで、ボクはブロンズランクへの昇格と、仲間の大切さを改めて知ることができた。それは、ほんの少しの寂しさを添えて。
これにて第二章、終了です!
明日からも3章を更新していきますが、ここで一区切りになりますのでここまでの時点でもかまいませんのでブクマ、評価、感想をいただけると作者の励みになります!
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