模擬戦
ギルド長室には、妙な緊張が漂っていた。少し周りが騒がしすぎるとギルド長室に場所を移したのだ。イリスとボクの2人に付き合う形でセリナも同席していた。
ボクは応接の革張りのソファに腰掛けると、ぎしっと革が音を立てながら体が沈み込む。ギルドマスター、ギルバードの隣に座るのは銀髪の少女――イリス=ヴァルティア。そして彼女の目の前にボクが座る形となり、セリナはギルバードの前に座った。
「イリス、そしてコウ。改めてだが、二人にはこれからパーティとして活動してもらう。イリスは、これまでの経験がないためカッパーランクだが、本来であればアイアンランク以上でもおかしくないステータスだ」
(そっか、それだけの実力があればボクが平手を見切っていたのもお見通しっていうのも頷ける)
「だから、これまでクエストをこなしてようやく昇格クエストに挑むコウは不服かもしれないが、“昇格クエスト”に2人で挑んでもらう」
「そ、そんな不服だなんて……」
ボクはかぶりを振るが、何が気にくわないのか、イリスからは睨まれる。
(この人と一緒にクエストかぁ……これならまだグレーファングの人たちの方がましだったかもな……)
「だが、いきなり本命というわけにはいかない」
ギルバードの表情は穏やかだったが、その視線は鋭い。
「最終的に二人で攻略してもらう昇格クエストの場所は〈騎士の墓地〉にいる古の戦場に眠る英霊たちのなれの果て――アンデッドの巣窟だ。討伐対象は、その中心に巣食う上級個体……2人の実力を考えれば、おそらく討伐はできるだろう。だが、連携もなしにいきなり討伐できるほど、生ぬるい相手ではない」
イリスは不満げに腕を組むのを見て、ボクは曖昧な笑みを浮かべて目を逸らすしかなかった。
「だからまずは、“下準備”をしてもらう。軽めのクエストを二、三件こなして、お互いの動きを知っておけ」
その提案に、イリスは眉をひそめた。
「……そんなこと、時間の無駄じゃない?」
「イリス、俺はお前の父からお前の命を預かっているんだ。石橋を叩いて渡れとは言わない。だが、だからといって無策で挑ませて何かあったときに、俺は後悔してもしきれない」
イリスはぐっと唇を噛みしめる。
「とりあえず、お互いの実力や得手不得手を把握するためにも、せめて模擬戦くらいやってみろ。訓練場での手合わせなら、そこまで時間もかからないだろう?」
ギルバードの提案に、ボクは目を丸くして慌てて首を振る。
「え、ボクがイリスさんと? いや、その……怪我とかさせたらよくないですし……!」
「へえ? あんたとやって私が怪我をするって? 良い度胸じゃない」
どうやらボクはいらないことを言ってしまったようだ。イリスは薄く笑って立ち上がると、くるりと踵を返した。
「行くわよ。怪我をするのがどちらか、身をもってわからせてあげるわ!」
その言葉には、表面上の怒りと、そして裏に隠れた信念や覚悟のようなものをなんとなく感じた。
――こうして、ふたりは訓練場へと向かった。
***
訓練場には、噂を聞きつけた冒険者や近くにいた冒険者たちがいつのまにか集まっていた。
普段は談笑や休憩の場として使われるその広場が、今は静寂と緊張に包まれていた。見物に来たベテランも、新人も、誰もがボク達の一挙手一投足を見つめているようだった。
「……カッパー同士の戦い、だよな?」
「いや、マジかよ……動きが全然違う。上位ランクの模擬戦じゃん……」
ざわり、と人々のざわめきが風に混じった。
剣戟が空気を裂く。
イリスの斬撃は鋭く、美しかった。踏み込み、回転、跳ね上げ――すべてが無駄なく洗練されている。王家の剣術を継ぐ者らしい気品と、実戦で鍛えた鋭さが共存する技だ。
「ヴァルティア家っていやぁ、あの蒼玲流の名門だろ? そのご令嬢ってことから考えると、この腕前も納得だな」
ボクの耳にイリスのことを噂する声が聞こえる。
(そんな名門なんだ……たしかに、良いところのお嬢様って雰囲気はあったけど……)
きっと、イリスの耳にも届いているのだろう。イリスは、舌打ちをする。
「人の苦労も知らないで……」
周りには聞こえない、ボクにだけ聞こえる程度の音量でイリスはぼそりとつぶやく。そして、そんな強い気持ちがイリスの剣技をより鋭いものにしていた。
けれど、それを真正面から受けるボクの動きも、観衆の目を惹いているようだ。
「あいつもまだカッパーなんだろ?」
「あ、あぁ。でもあの動きは多分相手の動きを全部読んでるな。だから最小限の動き、最適なタイミングでの受けができる」
「受け専門か……でも、ただの受けじゃねぇな」
「相手が強いのに、それを見切ってる。あの黒髪の坊主、グレーファングにいつも連れ回されてるやつだろ……?」
「あれだけの実力を持っていれば、たしかにアイアンランクのパーティに紛れて生き残っていられるのも納得だ」
イリスの剣が加速する。斜め斬りから踏み込み、空中で一回転しながらの振り下ろし。
だが――
「……っ!」
ボクはイリスが怒りと、そして焦っているのを感じていた。
(最初は様子見で、少しずつ剣速があがってきていた。でも今は、攻め急ぐあまり少し雑になってきている)
ボクは振り下ろされたイリスの剣の軌道にあわせて木剣の側面をあて、軌道をほんのわずかにずらし、勢いを殺す。まるで舞うような回避。
「……本気、出してないわね?」
放たれたイリスの言葉に、周囲が息を呑む。
「えっ……?」
「ほんっとうにあんたは人をバカにするのが好きみたいね。私の剣ごとき、“気を使うまでもない”って思ってるのね」
怒気を帯びた声に、訓練場の空気が変わる。
「だったら、受け止めてみなさいよ。わたしの本気を――」
イリスの気が、ふっと動いた。淡い蒼の光が足元から立ちのぼり、剣先に流れ込む。氷霧がわずかに剣を包むと、空気が凛と張り詰めた。
イリスが剣を振るうと彼女の周りに集まった氷の気とともに斬撃ではなく、剣先から迸った冷気が、鎖のように絡みつく幻影を描き、コウの足元を凍てつかせようとした。
「っ……!」
思わず足を引くコウ。足元に霜が浮き、靴底がわずかに滑った。けれど、それでも受けの姿勢を崩さない。咄嗟に木剣を下段に構え、重心を低くして氷をいなす。
しかし、足下の剣戟は囮だった。足下に目を向けていると、今度は上方からの気の流れを感じる。
「そんなの、まだまだあるんだから!」
続けざま、飛び込み気味に斬り降ろす一閃。
その剣閃はまるで、舞い落ちる雪を纏う刃だった。優雅でありながら、芯は鋭く冷たい。
「……!」
コウは身をひねり、剣の斜線を外した。氷気が肩先をかすめ、霧のように散る。
(多彩で、そして洗練された技だ。これが剣技の流派……)
リゼの剣は猛き剣だとすると、イリスの剣は美しい剣だった。なめらかで、流れるように鋭い。リゼは自分自身で昔言っていた。
「気と同じように剣技も相性がある。攻めるのが得意な剣、重さがある剣、受けが得意な剣、早さが武器の剣。まずは相手が得意な剣技の型を見極めろ。そして、その相手が苦手とする剣で戦うんだ。私の剣は見様見真似で流派がないから、何でもできるんだけどな!」
(リゼ、あなたは何でもできるって言ってたけど、やっぱり流派の剣は別格ですよ!)
こうやって気を使ってくる相手と打ち合っていると、リゼとの記憶が思い出される。そして、自然と笑みがこぼれる。
「何ニヤニヤしてるのよっ! 気持ち悪い!」
イリスはボクから間合いをあけて、気を集中し始めていた。イリスの周りにこれまで以上の青白い気で覆われる。
「これが、今の私の全力よ!」
そして、イリスは地面を蹴りこちらに迫る。
全身全霊、怒りと苛立ちが混じったような気持ちのこもった五連の剣戟。その一閃は、訓練場の空気さえ凍らせた。
「まずい! 避けろ!」
ギルバードは観客の冒険者とイリスの技の進行方向の間に立ち剣を構える。
風が鳴った。イリスが、駆ける。
斬撃は氷の花弁のように舞い、次々と繰り出される五連撃は、速く、美しく、そして鋭い。
――大事故になる。観客がそう予想し、思わず目を背けた、その瞬間。
(ボクは、この剣を“受けたい”)
理由はわからない。でもなぜか、避けてはだめな気がした。受け止めてって声が、技から聞こえた気がしたんだ。
だからボクは剣を構え、5連撃に対して真正面から打ち落とす。4方向からの袈裟斬りと斬り上げをなんとか防ぐ。でも、最後に残った鋭い氷柱を纏った突きの迎撃はいよいよ間に合わなかった。
ズンッ!
胸に大きな衝撃を受け、ボクは吹き飛ばされ、地面に転がった。
(っ…… 久しぶりに攻撃をもらったな…… なんか、懐かしいや)
そして、呼吸は苦しかったが、なぜかそれでも笑っていた。
「イリスさんは、やっぱりすごいや……」
その目に、恐れも屈辱もない。ただ、純粋な称賛だけが、あった。
でも、イリスは、言葉を失った。
「そこまで!」
ギルバードの声と、観客達の拍手喝采を遠くに聞きながらボクは意識を手放した。
***
宿に戻っても、イリスの心は落ち着かなかった。
窓の外、月明かりが静かに街を照らしている。けれど、胸の奥は騒がしくて、何度目かの寝返りを打っても、眠気はやってこなかった。
(……はぁ。何してるのよ、わたし)
その日一日の光景が、頭から離れない。
――訓練場での戦い。
――吹き飛ばされた黒髪の少年が、それでも笑っていたこと。
――そして……その前。
「……うわっ!? ご、ごめんなさいっ……!」
(っ、ちょ、なんで思い出すのよっ……!)
頬が熱くなる。あのときの転倒、そして胸元に感じた……あの感触。
「最低……!」
枕に顔を押し付け、呻くように言い放ったが、それでも熱は引かない。
それだけじゃない。問題は、もっと別のところにある。
(……あの時の戦い。あいつ、ずっと“本気”を出さなかった)
気を使わず、攻撃もせず、ただただ防御と回避だけ。それはまるで、自分を「子ども扱い」しているようだった。
(わたしの剣は、あいつにとって“手加減するべきもの”だったってわけ……?)
(わたしの剣は、家と流派で飾られていて、もてはやされるためだけにあるってこと……?)
悔しさと、怒りと、そして……ほんの少しの寂しさ。
(だれも、わたしの剣を、そしてわたしをみてくれないの?)
(なのに、なんで――)
あんな風に笑うの。
――「イリスさんは、やっぱりすごいや……」
あのとき、確かに聞こえた。その目には、何の打算もなく、ただ尊敬だけが宿っていた。
(……あんな目で見られるの、初めてだった)
これまで、周囲の大人たちは皆、自分を“名門の娘”として扱ってきた。よい子でいるように求められ、剣の稽古も“お手本のように”こなすことが当たり前だった。
本気でぶつかってくる人なんて、誰もいなかった。
負けると困るからと、皆が勝ちを譲ってきた。
(――コウも、同じ)
(……いや、違う)
あいつは、ただ“自分が傷つけばいい”と思ってるだけ。自己犠牲。それが当たり前のような顔をして。
(なによそれ……そんなの、強さでも優しさでもないじゃない)
悔しいのは、自分があんな戦い方に――最後の技を放ったときのあいつの受けの姿勢に、どこか、心を動かされてしまったこと。
(ほんと……あいつって、むかつく)
そう、呟いたその声は、どこか寂しげだった。
窓の外、風がカーテンを揺らした。
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