昇格クエストは甘酸っぱい
「久しいな、ギルバード」
ギルバードのいるギルド長室に入ってきたのは、上質な騎士装束に身を包んだ壮年の男だった。背筋は伸び、藍色の瞳には剣のような鋭さが宿っている。白銀の髪を短く刈り込んだその男――ヴァルティア家当主、アグナル=ヴァルティア。王国騎士団の元副将であり、現在は何やらきな臭い匂いのするザイレム帝国に近い領地を守る、防衛の要の指導者としても名高い。
「……まさか貴殿が直接来るとは。珍しいこともあるものだ」
ギルド長ギルバードは、書類を一度閉じてゆっくりと腰を上げる。戦場では、同世代で生き残ることが続くと何かと親近感が湧き、親しくなることが多い。多忙であろうアグナル本人が自ら足を運んでくるとなれば、それなりの重要な用件があってのことだと理解していた。
「娘のことだ」
アグナルはそう言って、腰に差した剣の鞘を軽く叩いた。
「私の娘、イリスを鍛えたいんだ。だが、ただ剣を振らせるのではなく、この世界の“現実”を、その目で見せてやりたい。いろんな思惑が渦巻く騎士団ではなく、ギルドに頼む理由はそこにある」
ギルバードはしばらく黙したあと、静かに頷く。
「奥方の……意思を継がせるのか?」
問いに、アグナルの目がわずかに揺れた。
「……あいつが最後に守りたかったのは、王国でも、民でもない。娘の未来だった。だから俺は、俺なりにあいつの意志を継いで娘がこの国で自分の未来を切り開き、そして自身の意思で立てるよう、戦う術を、そして真実を見抜く目を養いたいんだ」
ギルバードはゆっくりとソファを勧め、アグナルもそれに腰を下ろす。短い沈黙の後、ギルバードが口を開いた。
「元王国騎士団の副将がいうと、その言葉の重みは計り知れないな」
「うちの国にしろ、ザイレム帝国にしろ、国というのは何か見えない力が、国の主ですら抗えない不思議な力が働くもののようだ」
窓からエルダスの街並みを見ながらつぶやくアグナルに、ギルダースは応える。
「今、うちのギルドには面白いやつが一人いてな」
「ほぅ……」
「イリス嬢にとって刺激になるかもしれんな。未熟だが、底知れぬ器の持ち主だ。いずれ彼女の壁にも、導きにもなるかもしれん」
「その判断、信じていいのだな?」
「ああ。命を賭けた信頼関係は、戦場でしか結べぬ。だが……その片鱗は、彼らの中にもある」
「そうか……頼んだぞ、ギルド長」
「任された。だが、娘のことも“甘やかす”気はないからな?」
「もちろん。俺の娘だ。手加減はいらん」
二人は立ち上がり、頷き合う。騎士として、父として――娘を託す決意と、それを受ける覚悟がそこにあった。
***
「こっちは、大丈夫そうかな……っと」
コウは腰の短剣にそっと手を添え、茂みの奥から視線を巡らせた。足音を消し、気配を抑え、風の流れすら読むようにして索敵する。
(魔物の気配も、痕跡も近くにはなさそうだ)
今日のクエストは、近郊の洞穴に巣食う魔物の駆除と、洞穴にある鉱石の回収。依頼主は街の工房で、依頼ランクはいつも通りのアイアン。ボクはいつものように、グレーファングの面々に“同行”という名の便利屋としてついてきていた。
「よーし、坊主、戻ってこーい!」
バルドの野太い声が響えたので、ボクは声の方に歩く。そんなに心配しなくても、そのあたりには何もいないのに。そしていつも通り荷物を大量に持たされたボクは、もはや後ろからみたら姿が全く見えないだろう。
(……いつものことだし、いいんだけど)
それでも、彼らより少し先を歩いて歩きやすいように草木を切り分け、地形を確認し、後衛の退路を整え、仲間の動きに合わせて予備装備を即座に取り出す。彼らが危険な目にあわないように、コウは常に先に動いた。
(あの人たちは、口も悪いし実力もたいしたことないけど……変に邪魔をしてこないのは良いんだよね)
グレーファングが危険を冒さず済むよう、ボクは自ら前に出て“壁”となり、“手”となり、“剣”となることを選んでいた。
そのときだった。
――ボォッ!!
地響きと共に、洞窟の奥から赤い閃光が走る。
「っ、火の魔物!」
咄嗟に飛び出したのは、まばゆい赤光を身にまとった〈火狐〉だった。体長は狼ほどもあり、目が赤く爛れている。火狐の周りは陽炎でゆらゆらと空間がゆがんでいた。
(まずい、あれは――!)
火狐が大きく息を吸い込んだのが見える。
「ちっ……」
(こんな狭いところで……)
次の瞬間、火狐は口を開くと同時に自分の頭大の火球を吹き出す。勢いよく放たれた火球はゴウゴウと音を立ててこちらに向かって洞窟内の温度を一気に上げながら一直線にコウたちへと迫る。
(ボク一人なら適当に躱すんだけど……)
残念ながら今回はそうはいかない。ボクは気を練りながら飛んでくる火球に向かって突っ込む。
「おい、坊主!」
慌ててバルドはこっちにむかって声を掛けてくるが、ボクは無視してそのまま両手から水の気を解放する。
腹の奥から絞り出すように、気の奔流を体の内から放ち、手のひらへ集中させる。湿った空気が一瞬で凝集し、手のひらの目の前に水球が現れる。念のため、ボク自身に飛び火しないように、身体の周囲にも水の気を集めてると白い蒸気が立ちこめる。
――ジュウッ!!
火球が蒸気に触れた瞬間、火と水がぶつかり爆ぜた。熱と冷気が衝突し、蒸気の幕が辺りを包む。おかげで、火狐はこちらに気がついていないようだ。
(このまま決めるっ!)
一気に火狐と距離を詰め、そして水蒸気に紛れた今なら気の剣を使ってもばれないだろうと、水気の剣でそのまま火狐を横一閃でなぎ払う。
ジュゥ!
水の気が火狐の熱で蒸発しながら、そのまま火狐は上下が分断され、塵となった。
(……よかった……でも――)
焦げた布の匂いが鼻を突く。自分の上着の裾が、ほんの少し焦げ落ちていた。
(ボクの服……ちょっと守り切れなかったみたい……まだまだだな)
無事依頼は完了したが、荷物の下で片袖を焼いたその姿に、グレーファングの誰もが絶句した。だがコウは笑って言った。
「荷物、守れたから……それで、いいですよね?」
***
ギルドの魔導具が、淡い青光を放っていた。
――名前:イリス=ヴァルティア
――種族:人
――五行適性:水
――命気:221
――魂量:73
――ランク:カッパー
受付嬢のルーナが、水晶板に浮かぶ文字を読み上げると、その場の空気がピリッと張りつめた。
「……200越え!? まさか、登録初日で……?」
「しかも魂量73って……アイアンランクでもなかなかいないレベルだぞ……」
「さすが騎士の名門ヴァルティア家のご令嬢。 俺もあんな家系に生まれたかったな……」
受付前にいた冒険者たちがざわつく。中には唸り声を漏らす者もいた。
(人の気も知らないで好き勝手言って……)
イリスはさもその結果が当たり前かのように腕を組んで堂々としている。父親譲りの白銀の髪は肩辺りで綺麗に切りそろえられ、真っすぐな母親譲りの淡い水色の瞳。ライトアーマーを身につけた彼女のその姿は名門の気品と、大人の一歩手前の反抗心が同居するその姿で、男だらけのギルド内の空気をさらにかき乱していた。
「命気の高さも、魂量も、母譲りで、属性は父親譲り……か。 こりゃチヤホヤされるわけだ」
ギルド奥の廊下を歩くギルバードは、遠巻きにその光景を見ていた。
(さて、あとはあの少年の帰還だが……)
***
ボクはギルドの扉がゆっくりと荷物で押し開けながらあける。すると、誰かが扉を明けてくれたようだ。そう、ボクは前にも後ろにも荷物を抱えているため、扉が開けられないのだ。
「すみません、ありがとうございます」
ボクは扉を開けてくれた顔が見えない誰かに一言お礼を伝えて、そのまま正面のカウンターに向かって歩く。
「またあいつ、グレーファングに言いように使われてるよ」
「なんだよあの荷物、だれか、いい加減助けてやれよ」
「それに、今回はいつにも増してボロボロだな」
エルダスの冒険者ギルドではよく見る光景で、ボク自身もあまり気にはならなくなっていた。
「コウくん……今日も相変わらずね」
受付のセリナがあきれ半分、安心半分で声を掛けられる。声を掛けられたが荷物のせいで足元すら見えない状態の中、ボクは声のする方へ歩く。そのときだった。
――ドンッ!
「わっ」
「きゃっ!」
(しまった……)
前の見えないボクは誰かに荷物ごとぶつかってしまったようだ。
慌てて荷物を手放し、ぶつかった相手を支えようと手を伸ばすがぶつかった勢いで相手はそのまま倒れてしまったようだ。そして、ぼくもそのままバランスを崩して倒れてしまった。
(あっ……)
気がつけば、ボクは相手を押し倒したような格好になっていた。
目の前には床に押し倒した白銀の髮をした美女。そして、自分の手の位置を改めてみると、そこにはしっかりと胸元の丸みを帯びた柔らかい何かの上に置かれていた。
一瞬、ギルド内の空気が凍り付く。
(これ、やばいやつ!!)
ボクはこれまで感じた中で一、二を争うくらい危険な状況であることを察知し、全神経を集中させる。脳みそフル回転だ。すると、右手が振りかぶられ、コウは思わず条件反射でその軌道を“見切る”。だが――
(……避けちゃダメだ)
不自然にならない程度に、何もその振りかぶられた右手に気がつかないように、そのまま平手打ちを受け止める覚悟を決めたその瞬間。
(…え?)
覚悟した頬の衝撃はいつまでたってもやってこなかった。
目の前の美女の手が、頬の前で寸止まりになっていたのだ
「……見切りながら避けないなんて、なおさらバカにしてるのっ!」
凜とした透き通る声がボクの脳内を突き抜ける。そして次の瞬間。
バチン!!
次の瞬間、逆の手が鋭く振り抜かれ、ボクの顔は大きくはじかれた。
「いったぁぁ……っ」
(……まさか、見切られたのを、見切られていたなんて……)
ボクは驚きながら、キーンとする耳鳴りに軽いめまいを覚えながら、ジンジンする頬を自分の手で押さえた。あぁ、軽く熱を持っている気がする。
(はぁ、平手打ちされるなんて、久しぶりだ……)
その様子を見て、ギルド内がざわついたまま沈黙する。
「ふむ、初顔合わせとしてはまあまあだな」
場を割るようにギルド長・ギルバードの声が響く。
「イリス、初めて顔を合わせるな、エルダスのギルドでギルド長をやっている、ギルバードだ。 コウ、そこをそろそろどいてやってくれ」
言われてボクは「すみません……」と誰に謝っているのかわからない謝罪をしながら、イリスと呼ばれた彼女の元から離れる。その様子にイリスは何やら不服そうだ。
ボクとイリス、それぞれが立ち上がると、ギルバードは改めてイリスに話しかける。
「今日からお前にはこの冒険者ギルドでパーティを組んでクエストをこなしてもらうことになっているのは知っていると思う」
「えぇ、父からそのように……」
「それでなんだがな、そのパーティの相手は――そこにいるコウだ」
ギルバードはボクの方を顎で指すとイリスははじかれたようにボクの方を見る。そして、すぐさま抗議の声を上げていた。
「えっ!? よりよっていきなり私のことを押し倒したこの男と!?」
(そ、そんなの初耳だけど……)
ボクは何が起きているのかわからなくなり、セリナさんの方を向くと、満足そうにうんうんと深く頷いていた。そしてギルバードから今度はボクに声が掛かる。
「そしてな、コウ。 お前はこのイリスと受けてもらいたいクエストがあるんだ。 これがお前のブロンズへの昇格クエストだ。」
「彼女と一緒に、昇格クエスト……」
何やら先が思いやられる未来しか見えない。
「そしてこれは、ギルド長決定だ。異論はもちろん、認めない」
イリスは何やら物言いたそうにしているが、ギルド長のこの言葉にぐっと唇を噛む。
「双方の能力は発展途上だが、だからこそ価値がある。ギルドとしても、面白い組み合わせだと見ている」
セリナがくすりと笑いながら、小声でコウに囁く。
「ふふっ、昇格クエスト、一緒に頑張ってね?」
「は、はい……」
ボクは、この先が思いやられるなと思った瞬間、1日の疲れがどっと押し寄せてきた。
けれど――ボクとイリスの、長い冒険の始まりだなんて、この時のボクたちはまだ知る由もなかった。
みなさまお待たせしました!
ようやくヒロイン登場です。これからこの二人、どうなっていくのやら。。
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