深まる謎
軋む木の床に、隣の寝息が聞こえてくる薄い壁を隔てた部屋。
それでも、馬の体臭と隙間風が吹き込む山小屋の生活に比べれば、ずっとマシだった。
「……ちゃんとした寝床があるって、すごいなぁ」
ボクはひとり、天井を見上げてため息をついた。
それは、疲れでも不満でもなく――安堵のため息だった。
エルダスの裏通りにある安宿「三匹猫亭」。
天井には雨漏り跡、毛布はごわついて、食事は硬いパンと豆のスープだけ。
けれど、ボクにとっては夢のような空間だった。
(馬小屋から、山小屋へ。そして今、ちゃんとした“部屋”で寝てる……)
日中は冒険者ギルドで仕事をもらい、夜は宿で一人の時間を過ごす。
そんな生活を、ボクは小さな宝物のように感じていた。
***
ギルドで受ける依頼は、雑用のようなものばかりだった。
「この手紙、となり町の農場まで届けてきてくれ」
「井戸の中に落ちたバケツ、引き上げてくれ」
報酬は銀貨一枚か、よくて二枚。
貯金なんてもってのほかで、余裕がある生活ではなかったが、宿代と食事代をどうにかまかなえた。
(自分で生活するって、こういうことなんだな……)
またある日は、グレーファングと一緒に行く依頼もあった。
大きな剣を持ったバルドが相変わらずニヤニヤしながら声をかけてくる。
「よっ、相棒。今日も荷物よろしくな」
「運ぶだけでいい、楽な仕事だろ?」
彼らと行くときは、アイアンランクの依頼――
「本来なら坊主がいけないアイアンランクのクエストを同行させてやってるんだから指導料をもらわにゃいかんのだけどなぁ」
……そう言いながら、いつもこれ見よがしに銀貨1枚を渡される。
報酬はカッパーの依頼と変わらない。
(まぁ、おかげで多少なりともクエストの達成実績も付いているし、それで我慢しよう)
それに、誰かに期待され、そして役に立てていると思えるのが、ボクにとっては嬉しかった。
(……今までは、他人から避けられ、疎まれ、怯えることしかできなかった。 でも、今は誰かの期待に応えることができている)
そんな淡い想いを、ボクは湯気の立たないスープをすすりながら、固いパンとともに噛みしめていた。
***
とある早朝、ギルドにセリナと他の受付嬢数人が働いていた。
ギルドの朝は、早い。
依頼の更新、書類整理、装備の修繕依頼や食堂の仕入れ対応――やることは山ほどある。
そんな慌ただしい受付カウンターの裏で、セリナはふと手を止めた。
「セリナさん、あの子、コウくんって……最近グレーファングのパーティとよく一緒にいますよね?」
受付嬢の一人、セリナの後輩のルーナが声を潜めて話しかけてくる。
「うん、そうみたいだけど……それがどうかしたの?」
「えっと……どうってほどのことではないんですけど、毎回あんなに荷物持たされて、ひとりだけ報酬少ないみたいなんですよ。アイツら、都合よく便利に扱ってるだけみたいで」
「……そう、かもね。でもコウくん、嫌な顔ひとつしないで全部こなしてるわ」
セリナは胸の奥がチクリと痛むのを感じながら、机の上に積まれた報告書のひとつを手に取る。
それは、数日前の〈黒樫の森〉のクエスト報告書だった。
「あのグレーファングと一緒にパーティ続けられるって、ほんとすごいですよね……」
セリナはルーナが何を言おうとしているのか、手を止めてルーナに目をやる。
「実は、こないだ冒険者達が話してるのを聞いたんですよね。なんでも、牙鼠五体を一撃で仕留めたって。しかも全ての荷物を背負ったまま。」
セリナは顎に手をあてて少し考える。
(あのリゼさんの弟子だもの。それくらいはできてもおかしくないんだけど……)
ただ、実力とあのステータスの内容の不一致、そしてリゼが任せるときに言っていた「気を掛けてやってくれ」という言葉が頭のどこかで引っかかっていた。
(何かが、ありそうね。ちょっと、調べてみようかしら……)
セリナはルーナに、「また何か彼に関する噂を聞いたら教えて」とだけ伝えて、自分の仕事に戻っていった。
***
それからしばらくしたある日。セリナは通常業務が終わった後、一人でギルドに残り調べ物をしていた。
「あった……」
セリナは過去のギルドに登録していた冒険者の情報を調べていると、探していた情報に行き着いた。
「この子も、命気がゼロで属性が無ってなってる」
ギルドの登録には、今後の冒険者育成の参考にするため、登録時の情報やランクアップクエストの内容、その結果などがメモされており、ギルド職員は閲覧できるようになっている。
セリナは、もしかしたら過去にも同じような冒険者がどこかにいたのではないかと予想し、コウと似た特徴を持つ冒険者を探していたのだ。
「ふーん、名前は……ヴァル」
――名前:ヴァル
――種族:人
――五行適性:無
――命気:0
――魂量:252
――ランク:カッパー
「魂量がこれだけあるのに、命気が0……?」
でも、不思議なのはここだけではなかった。
「え……ちょっと待って。この子、3ヶ月でシルバーまで、しかも飛び級で昇格してるし、命気が一気に480になってる」
あの魔導具の最大値は999といわれており、この国最高峰のダイヤモンドランクの冒険者でも800前後だと聞いている。数値だけで見れば、ゴールドランクでもおかしくないレベルだ。そう考えると、素質がなくて3ヶ月でここまで成長するとは考えにくい。
「そう。コウくんのときも、明らかに高ランク冒険者の持つ水晶の光だったのに、数値上は0になっていた……ということは……それにヴァルって子、その後はどうなって……」
その時だった。
「こんな時間まで、熱心だな、セリナ」
渋く低い声が後ろから響いた。
ギルド長――ギルバードだった。
***
ギルド長室の大きな窓から見えるエルダスの街並みは、夜の帳が下りる中、一日をねぎらう街の人たちで賑わっていた。一方、その賑わいとは対照的にギルド長室は静けさに包まれていた。
分厚い書類と、壁一面の依頼掲示板。
ギルバードは、澄んだ青色の眼と後ろでまとめた長い青髪がトレードマーク。男前で人の面倒を良く見るため、受付嬢からの人気も高かった。ルーナはギルバードのことをいつも熱いまなざしで見ていたことをセリナはしっていた。
(ごめんね、ルーナ)
心の中でセリナは後輩に謝罪しながら、ギルバードに招かれるまま、普段執務で使っている机は使わず、その手前にある応接用の革張りのソファに腰掛けた。
「……調べていたのは、リゼ君の弟子に関すること……だな?」
セリナはこくりと頷くと、ギルバードは大きく息を吐く。
「リゼ君は、先日俺のところにもやってきたよ。また面倒をかけるかもしれないが、宜しく頼む、とな」
「また……?」
ギルバードはセリナの言葉を聞いてか聞かずか、そのまま話を続ける。
「俺は昔から、リゼ君とは“馴染み”でな」
ギルバードの目は細く、鋭かった。だが、それでいてどこか哀しげでもある。
「あの…… ギルド長、一つお伺いしても?」
「ああ、なんだ?」
「ヴァルって子とコウくんは何か関係があるんですか? それに、ヴァルの記録が抹消されているのってどういう……」
「セリナ、質問は一つじゃなかったのか?」
そういって微笑む笑顔は非常に様になっていた。
(これだ、きっとこのギルド長スマイルが数々の同胞を打ち落としてきたのだ……って違う違う。今はコウくんの話だ)
セリナは頭の中で話題を戻し、切り出す。
(今は、コウくんのことに専念しよう)
「で、では……コウくんとヴァルって子の関係性について教えてもらえますか?」
「そっちを選んだか……」
ギルバードは何か考えるように間を置きそして口を開く。
「そうだな……まず前提としてここからの会話は、ギルド協会内でも一部のギルド長以上の人間しか知らない内容だ。他言無用で頼む」
セリナは頷く。
「セリナ、君は黒の器という言葉を聞いたことは?」
「噂程度では……」
「二人とも、あの黒の器だ」
心臓が跳ねた。
「リゼが何年もかけて、誰にも明かさず育てた存在だ。何のために、どこまでを見据えているのか……まだ俺にも、分からない」
セリナは言葉を失った。
あの少年が――あの、どこか不器用で、けれど一生懸命な少年が、終わりの始まりと言われる“黒の器”……?
「くれぐれも、軽はずみな干渉はしないように。ただし、何か異変があれば、必ず私に報告してくれ」
「……わかりました」
「そしてセリナ。 コウを――注意深くみていてやってほしい」
セリナはそっと頭を下げた。
(コウくん……あなたは、いったい何者なの?)
***
あれから数ヶ月が過ぎた。
コウは毎日、誰よりも早くギルドに顔を出し、依頼の貼り出しを眺めては、一番下の段に並ぶカッパー向けの雑務を選び、黙々とこなした。
たまにグレーファングと一緒に森に向かうこともあったが、彼らの報酬分配は相変わらずで、それでもコウは何も言わず、ただ“できること”を積み重ねていた。
(こうしていれば……きっと、どこかで見ててくれる)
その想いだけが、コウの背を押していた。
そして――ある日。クエストを受けた後の記録のためいつもの魔導具でステータスを確認したときのこと。
――名前:コウ
――種族:人
――五行適性:無
――命気:0
――魂量:40
――ランク:ブロンズ(仮)
水晶板に写る文字を見たセリナが喜びながらボクに伝える。
「コウくん、おめでとう! ブロンズへの昇格クエストを受けられるよ!」
「え……ボクが?」
「うん! これまでの依頼達成記録で昇格クエストを受ける資格が得られたみたい。ほら、ここを見てみて?」
セリナはそういってランクの部分を指さすと、たしかにこれまではランク表記が「カッパー」だったが「ブロンズ(仮)」となっている。
「あとは昇格クエストをクリアすれば、正式にブロンズよ!」
(昇格……そっか。ちゃんと、ボク、見てもらえてたんだ……)
胸の奥に、じんわりと熱が湧いた。
「昇格クエストは、これまでの経験と各冒険者の特性を見てギルドから割り当てるから、それが決まるまでちょっと待っててね!」
(そっか、 いよいよ昇格クエストか……)
この昇格クエストがボクにとっての人生の大きな転機になることは知らず、ただただ期待に胸を躍らせるばかりだった。
いよいよ、次話で皆様お待ちかねのヒロイン登場です!
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