プロローグ
新作です!
不遇な主人公が自分と向き合いながら成長していきます。
ある山の中腹。
血のように赤い月が浮かぶ夜だった。広がる空には雲ひとつない。
山の中腹にある森の一角に少しだけ開けた場所に、ぽつりと焚き火が揺れていた。
その炎は、炎を挟んで対峙する二人の記憶の残滓のように寂しげで、もう戻れない距離を映し出していた。
一人は、全身を見るからに邪悪そうな黒い気で纏って剣を持つ黒髪黒目の青年。かつては誠実な眼差しを持っていたはずのその目は、今や怒りと嘲笑に染まり、鋭く向かい立つ女性を見据えていた。
もう一人は、真紅の髪を持つ女。長く伸びたその髪は月の赤を吸い込み、炎のように揺れていた。そして、その手にも剣が握られていた。
「お前は弟子であるおれを殺すのか? リゼ」
男が口を開いた。かすかに笑みを浮かべながらも、その声には微かにリゼと呼ばれた女性への怒りが混じっていた。
「まだ……まだ、お前は戻れる。怒りに身を任せるな。お前の中にあるはずだ、大切にしたいものが。……信念を、思い出せ」
リゼの声は震えていた。迷いがあった。しかし、それでもその男のことを信じていた。
だが、男は「ふん」と鼻で笑う。
「結局、この世は力だ。信念? 願い? そんな甘っちょろい理想論じゃ、何も救えなかった。そうだろう? 今回だって……」
その眼が怒りに染まった瞬間、黒い気が大地を揺らすほどに膨れ上がり、周囲の砂を巻き上げる。
「やるしか……ないのか。 弟子であるお前を、この手で……」
リゼは口を固く結び、構えると剣を握る手に力を込め、そして男に告げる。
「構えろ。お前の全力でかかってこい。私の力でねじ伏せてやる」
「まだ師匠気取りか。……いい加減目障りだ」
男も剣を構える。そして、二人は互いに剣を構えたまま、動かなかった。まるで、最後の瞬間を惜しむように。終わりが来るのを拒んでいるかのように。
――世界が息を飲んだような沈黙が訪れた。
しかし、二人を急かすように、大きく木々を揺らす強い風が吹き、種々がざわめく。そして、風が止んだ瞬間。
空気を裂く音とともに、男が疾駆する。
地を蹴った音すら置き去りにする速さだった。
「この世界が変わる様を、あの世で見ているといい!」
まっすぐに、男はリゼの肩からその心臓を狙って剣を振りかぶる。
だが、その軌道を、リゼは見失わなかった。
そして彼女の剣にも、黒の気が集まり始めていた。
「な…… リゼ、どういうことだ!?」
剣を振りかぶった男が驚きに目を見開く。
「だがな、邪気の扱いなら、黒の器である俺の方が上だ。 それはお前もよく知っているだろう」
邪気と呼ばれた黒い気をさらに刀身に集中させ、渾身の力でリゼへと叩きつける。
少なくとも男にはそのはずだった。
しかしーー
「だからお前には私は勝てないと言っているだろう」
リゼがそう呟き、剣に更なる力を込めた瞬間、剣が纏う黒の中に白い光がちらついた。
そして、その剣を男の剣に真横から強かに叩きつける。
「なっ……!」
衝撃に耐えきれず、男の手から剣が吹き飛び、遠くの地面に突き刺さる。
剣を失った男に、リゼは剣を突きつける。
しかし一瞬だけ見せた剣の白い輝きは消え、リゼの額には玉のような汗が浮かび、肩で息をしていた。
「私は、お前を信じていた。お前なら、この世界を変えられると。その力を、希望に変えられると。……もう一度言う。戻ってこい。お前に意志さえあれば、今なら私がなんとかしてやれるかもしれない」
男は俯いたまま、何も答えなかった。
肩が、小刻みに震えていた。
だが、その口からこぼれたのは――
「ふははははは! 世界を変えるだと? あぁ、変えてやるさ。この世界が、力こそがすべてだと証明するようにな……!」
全身を再び黒い気で包み込むと、男はその拳を、リゼのみぞおちへ叩き込む。
「ぐっ……!」
リゼの身体がくの字に曲がり、その場に膝をつく。
男は、リゼを見下ろしながら静かに言った。
「世話になったな、リゼ。この力を得られたのは、お前のおかげだ。その礼だ。命までは取らないでおいてやるよ」
黒い気をなびかせながら、男は闇の中へと姿を消した。
そして、この日から数年後。
この世界にリゼが育てた男を当主とした“邪鬼の国”が誕生することになる。
――これは、「黒い感情」によって力を求めるようになった男と、信じることを選んだ女、
そして何も知らない中で、世界の命運を握った少年が歩む、戦いと、自分自身を見つけるための物語。
しばらくは毎日投稿をしていく予定です。
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