第54転 第六天魔王波旬と会話イベント
何気なしにサウナ室に行くと、先客に波旬がいた。
「よう、お前も整いに来たのか?」
「ええ、ちょっと。KIPさんもサウナが好きなんですか?」
「であるな。クッソ熱ちぃ場所にいると破壊神に焼かれたのを思い出すんでな。『なにくそ』となって気分が上がる」
「ちょっと被虐嗜好っぽいですよ、それ」
実際、サウナで整う――サウナと水風呂を繰り返した後に休憩する事で快感を得る――のは臨死体験に近いと宣う人もいるし、被虐嗜好者呼ばわりでも間違っていないのかもしれない。いや、これはサウナ好きに失礼な解釈だったかな。分からん。
「聞いたか? 今晩、この旅館で一泊したら明日には川越に行くんだとよ」
「川越?」
「ああ、哪吒が言っていた。今、そこで輪廻転生者の生き残りを一ヶ所に集めている奴がいるんだとよ。哪吒は冥王の迎えだけじゃなく、そいつの遣いでもあったって訳だ」
生き残り……異世界転生軍による輪廻転生者狩りから逃げおおせた連中か。当然といえば当然だが、俺達以外にも輪廻転生者はいたんだな。それを一ヶ所に集めている者がいるとは、そいつの目的は何だ。異世界転生軍に総力戦を仕掛けるつもりだろうか。
「けど、なんでまた川越に?」
「さあな、分からん。地理的にたまたまなのか、あそこに何かあるのか……」
埼玉県川越市はここ同県秩父市から距離にして七十キロメートル以上も離れている。そんな遠方に俺達を集めて、そいつは何をしようというのだろう。
ここで幾ら考えていても分からない事だ。行って、直接に確かめるしかない。
「そういえば、今更ながらKIPさんに訊きたい事があるんですけど」
「何だ?」
「KIPさんの事、KIPさんって呼んでていいんですか? 波旬さんって呼んだ方がいいのでは?」
KIPは戦国武将・織田信長の輪廻転生者だ。それを第六天魔王波旬が、信長がかつて第六天魔王を名乗った事実を縁として結び付け、後天的に自分の分霊にした。
第六天魔王波旬を名乗る織田信長を名乗るKIPを名乗る男、それが目の前の彼である。俺がロックバンド『WOWARI』を好きだからって、芸名であるKIPの名前で呼んでいたが、よくよく考えると彼は第六天魔王波旬の名義でここに来ているのだ。であれば、波旬で呼ぶ方が正式で、実はKIP呼び失礼に当たるのではないだろうか。
「どの呼び名でも構わねえよ。俺はKIPでもあり、織田信長でもあり、第六天魔王波旬でもある。基本的なアイデンティティは波旬だが、炎や火縄銃を武器にする嗜好は織田信長のもんだし、ロックを愛する生き様はKIPのもんだ。どれも俺だし、俺じゃねえもんなんかねえよ。是非もなし」
そんな俺の危惧を波旬は鼻で笑った。第六天魔王波旬も織田信長もKIPも全て自分だと。どれも自分なのだから、どの名前で呼んでも間違いではないのだと。だから、俺が彼をKIPと呼んでも問題はないのだと言った。
そういうものか。二つの人格が混合するだけでも異常なのに、三つもだなんて俺には想像できない。本人がそうだと言うなら信じるしかないか。ともあれ、そういう理屈なら今後とも俺は波旬をKIPと呼ばせて貰おう。
「そういうお前はどうなんだ、小僧? 根の国で少し面構えが変わったが……お前は桃太郎なのか、それとも百地吉備之介なのか?」
波旬に問われ、考えてみる。
以前、ネロが前世に覚醒するのは青い絵の具に赤い絵の具を混ぜるようなものだと説明した。それでいうと俺は青色と赤色が完全に混ざり合っていないマーブル模様だった。そんなだから、刀を抜くまでは桃太郎の『スイッチ』が入らなかった。
だが、今は違う。
「主体は吉備之介ですよ。だけど、今は桃太郎と呼ばれても前ほどの違和は感じません」
根の国で竹の許しを得たのを契機に俺は桃太郎ときちんと混ざり合った。マーブル模様なんかではない、立派な紫色だ。
今、ようやく分かった。俺の戦いへの忌避感。刀を納めている間は桃太郎の『スイッチ』がオフになっていた理由。鬼ヶ島の一件が心的外傷になっていたせいだ。許しは要らない、救いは要らないと嘯きつつもやはり、あの過去は受け入れ難いものだったのだ。罪の十字架を背負う一方で、罪に向き合う事ができていなかったのだ。
それを受け入れる気になったのは竹のお陰だ。そう思うと自然とにやける。胸の内に温かい何かが生じるのを感じるのだ。
「お前、かぐや姫と番いになったのか」
「ゴッホ!? ゴホゲホッ!」
唐突にぶっこまれた発言に思わず咳き込んでしまった。
番い。動物の雄と雌の一組。即ち夫婦の事。なんつー事を言い出すんだ、この人は。いやまあ確かに似たような話はしたんだけど。それを他人に指摘されるのは……何というか、訳が違う。
「……いえ、別に結婚していませんけど。何を根拠にそう思ったんですか?」
「こちとら煩悩を司る神だぜ。面見れば分かる」
「…………」
「いいじゃねえか。迷霧に苦しむのも煩悩だが、色恋沙汰に悩むのもまた煩悩だ。どちらであっても俺の好物である事に変わりない。大いに励んでくれ」
何を励めというのか、この男は。
あー顔が熱い。火が出るようだ。この熱さは断じてサウナのせいだけではない。照れやら恥ずかしさから体温が上がっている。
「……さてと、そろそろ水風呂に行くとするか。小僧もサウナは程々にしておけよ。無茶な入り方するとブッ倒れるからな」
「……はーい」
波旬が警告を残してサウナ室から出ていく。
熱くなったし、俺もあまり長居しない方がよさそうだ。




