第34転 ロックバンドのKIPさん
血飛沫を散らして仰向けに倒れるイシュニ。手応えはあった。間違いなくイシュニの頭部は両断した。これでもう復元はできないだろう。
しかし、その死に様をじっくり眺めている余裕は俺にはない。竹だ。竹がイシュニの水弾で額を撃たれた。一刻も早く彼女の安否をこの目で確かめなくてはいけない。
「獣月宮……!」
竹もまた仰向けで倒れていた。額からの流血が遠くからでも分かる。胸の内がきゅっと締め付けられる。
竹は目を閉じてぐったりしていた。どうしよう、こういう時って下手に動かさない方がいいんだっけか。医療知識がないから何とも言えない。とはいえ、敵地に置いておく訳にもいかないし……ああ、パニックになりそうだ。
「獣月宮! 目を開けろ! 獣月宮!」
「…………。……うるさいわね。耳が痛いわ」
「獣月宮!」
竹が薄っすらと目を開けた。とりあえず意識は大丈夫な様子だ。
「ちょっと気絶していただけよ。平気よ、額は血が出やすいから」
「いやでも、本当に大丈夫なのか?」
「心配なら水を汲んできて。【仏の御石の鉢・清浄】があれば傷は全部癒えるから」
「分かった。そうだな、看守室なら飲み水を蓄えているかもしれ……」
「…………? どうしたのよ?」
思わず俺の言葉は途切れてしまった。訝しげに俺を見る竹に俺は言葉もなく、ある一点を指差す。竹も俺の指に従ってその方角に目を向ける。
そこにはイシュニが立っていた。顔の上半分がない状態のままで。
「……何よ、アレ」
「マジで化け物かよ、お前……!」
あまりの光景に背中に怖気を震う。イゴロウだって恐らくここまでの不死身性は持っていなかっただろう。
俺は勘違いをしていた。頭を潰せば――意識を失わせれば復元能力は使えず、こいつを倒せると思い込んでいた。だが、違った。頭を潰しても意識は失わない。復元能力を使わずともこいつは死なない。こいつの倒し方は別にある。
魑魅魍魎が表立って跋扈していた平安時代でさえもここまでの化生は見た事がない。正真正銘のモンスターだ。
鼻から下だけの顔でイシュニが嗤う。
「よくもわたくしの美貌を傷付けてくれましたわね。……なんて言うつもりはありませんが。戦場にいる以上は傷を負う覚悟はできておりますもの」
だが、
「それはそれとして、落とし前は付けさせて貰いますわよ」
イシュニが両袖に手を入れて引き抜く。両手には呪符が十枚以上も握られていた。こいつ、まだそんなに呪符を隠し持っていたのか。
「……動けるか、獣月宮? 動けるなら下がっていろ」
「百地……」
あの呪符にどれほどの威力があるのか。片腕の俺があとどれだけ戦えるのか。分からない。分からないが、それでも竹だけはここから生きて帰さなくてはならない。
やるしかない。俺がそう覚悟を決めたその時だった。
銃声が地下牢に響いた。
「え――――」
「な…………」
俺も竹もイシュニも絶句する。血飛沫が上がったのはイシュニだ。胸部から少なくない量の血が噴き出ている。
「これは……成程、今の戦いの余波で牢が壊れましたか。これはしくじりましたわね」
イシュニの鼻先が一つの牢屋に向く。その牢屋からは今まさに一人の男が這い出てきていた。
年齢は四十歳前後。服装はエナメル系のライダースジャケット。金髪だが頭頂部が黒くなっているので地毛ではなく、染めた色だという事が分かる。目にはサングラスを掛けている。右手に持っているのはマッチロック式のマスケット銃だ。日本人に馴染み深い名称でいうなら火縄銃だ。
「よう、女狐」
男性がサングラスをずらす。露になった両瞳は炎の如き橙色だった。
「お前の鼻っ柱はいずれ俺が叩き折ってやろうと思っていたんだが、その必要はなくなったみたいだな。何だ、その面。前衛芸術か何かか?」
「ほざくな、第六天魔王……!」
イシュニが歯を剥き出しにして唸る。現れた男は俺達が救出しに来た相手――第六天魔王波旬だった。織田信長の転生者でもある。
いや待て。あの顔、どこかで見た事があるような……?
「さすがに魔王が相手では今の消耗したわたくしでは分が悪いですわね。退散させて頂きますわ」
「ああ? 折角俺が出てきたっていうのに逃げんのかよ」
「お楽しみ頂きたいのでしたら上へどうぞ。わたくしより余程強い者がおりますので」
「!」
上にイシュニよりも強い奴がいる。つまりネロとカルルと戦っているだろう人物は更なる強敵なのか。あの二人がそう簡単に負けるとは思わないが、早く加勢に行かなくてはならない。
「では、お先に失礼」
などと考えていたらイシュニは踵を返して離脱した。ひとまず助かったようだ。安心で肩の力が抜ける。
「で、あんたが波旬でいいのよね」
「であるな。そっちは?」
「私は獣月宮竹、そっちは百地。あんたと同じ輪廻転生者よ」
「であるか。成程、俺を助けに来たという訳か。大義であるぞ」
鷹揚に頷く魔王相手に普通に会話する竹。俺も話に加わろうと改めて波旬の容姿を見た時、俺は戦慄いた。
「あんた、もしかしなくてもKIPか?」
「へえ、俺の事を知ってんのか? 小僧」
波旬は俺の問いに肯定の意を示す。やっぱりか。道理で見た事のある顔だと思った。
「KIP? 誰?」
「バッ……お前、知らねえのかよ! あの『WOWARI』のリーダーだよ!」
「……私、そっちの方は疎くて」
ロックバンド『WOWARI』は四人組の音楽グループだ。ヴォーカル兼リーダーのKIP、ギターのSARU、ドラムスのTANUKI、ベースのSUZUKAの構成である。世代はほんの少しだけ古いが、全盛期には武道館ライブで客席をいっぱいにしてみせた程の人気バンドだ。
それを知らないなんてモグリか、こいつ。
「まあ、お嬢さんの年代じゃ知らねえのも無理はねえ。気にすんな。むしろ小僧は俺らの事をよく知っていたな」
「あ、はい。勿論! ファンですので」
「そりゃあ嬉しいね。サインやろうか?」
「は! は、はい! 是非お願いします……!」
「あんた何、限界オタクになってんのよ」
馬鹿お前、目の前にいる人を誰だと思ってんだ。KIPさんだぞKIPさん。往年を知っている人間なら誰だって限界化するに決まっているだろう。
「どっちにしてもサインなんてやっている暇はないわよ。紙もペンもないし、カルル達だって待っているし」
「あ、そうだな。ネロとカルルに早く加勢しに行かなくちゃな」
いけないいけない。限界化して大事なものを見失うところだった。早く上に戻ろう。
KIPさん――もとい、波旬を連れて地上に戻る。イシュニとの戦闘で城内は地上も地価もボロボロだが、登れる程度には足場は保っていた。
そうやって辿り着いた城内の広場では、
「……ん? 何だ、イシュニの奴も負けたのか。情けない奴だな」
地面に倒れっ放しの異世界転生軍の兵士が十数人に、無造作に四肢を投げ出して転がるネロ、へばりつくように尻餅を突いて息を荒げるカルルがいた。まさしく死屍累々といった有様だ。
「まあいい。余が全員殺してしまえばそれで済む話だ」
その中でただ一人、黒衣の少年だけが平然と立っていた。




