第20・7転 獣からの問い掛け
美少女のウィンクは完璧だった。根が純朴な男子高校生である俺はそれだけでドキリと心拍数が上がってしまう。
いや、そんな場合じゃない。今は緊急事態なのだ。悠長な事をしている場合じゃない。
彼女は誰だ。異世界転生軍の人間ではないのは間違いないだろう。服装は現代的で、中世ヨーロッパ風ではない。こんな状況下で俺達に話し掛けてきた蛮勇さから現地の一般人でもない。であれば、輪廻転生者か。
「そういえば、鳥取空港から足取りが掴めなくなった輪廻転生者がいると聞きましたな。あんたがそうなのでつか?」
「そーそー。ボクは輪廻転生者。キミ達と同じ神々の使いっ走りだよ」
斯くして彼女は転生者である事を肯定した。
思い出した。『暴君ネロ』――古代ローマの有名人だ。
ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス。
ローマ帝国第五代皇帝。強制独唱会の開催や美男美女の搾取など数々の問題行動も起こした暴君。一方で、火災に強い都市造りやかつての英国反乱の戦後処理、オリエント諸国との外交政策を成功と、善政を敷いた名君でもある。
「……あのネロが女の子とは思わなかったな」
「残念。女装男子なんだな、これが」
「えええええっ!?」
少女は少女ではなく少年だった。どこからどう見ても美少女にしか見えない容貌に混乱し、頭が痛くなる。
「……いや、性別の事はいい。それよりもネロだというのならおかしいだろ。お前のところの宗教は輪廻転生を否定していた筈だ」
彼の世界宗教において、人の生は一回きりである。死後は神による裁きを受け、天国に召されるか地獄に落とされるかの二つ。天の王国の到来と共に人々は己の亡骸から復活するのであり、別の生物に生まれ変わる事はない。それが彼らの教えだ。
故に彼らは輪廻を否定した。転生思想を唱える者を拒絶し、異端として排除した。無論、思想とはそう簡単に滅ぼせるものではない。辺境に行けば異端の教えも残っている。それでもおおよその教徒にとって輪廻転生とは悪の概念なのだ。
「だからこそだヨ。我が名は『黙示録の獣』、背信の輩。教徒の敵であるからこそ転生してもいいんじゃないかと思ってネ。聖書に反する行いをしてこそ悪魔的だろ?」
「成程、そういう理屈か」
皇帝ネロは世界宗教との対立から『獣』と非難された。教徒の敵は預言により人界の敵へと在り方を変えられた。終末を迎える時、海の中より現れ、強大なる権力と魔力をもって人々を惑わして支配するが、最後には天によって滅ぼされる。そんな『神の敵』としての役割をネロは負わされたのだ。
ネロはその役割を受け入れた。罪を犯し続ける事こそを生き甲斐にしたのだ。
「ところで、そっちの人は? 異世界転生軍だよネ? なんで一緒にいるの?」
「はあ……まあ降伏したといいますか服従させられたといいますか。色々ありまして、この人らに仕えているところでありまつ」
「ふうん、捕虜って事?」
何だろう。今一瞬、カルルを見る目に鋭いものが混ざったような気がした。殺意とか憎悪といった昏い眼光だ。本当に一瞬で消えたので気のせいかと思ってしまうくらいだった。
「まあ、いいや。それで聞きたい事なんだけど。キミはあの攫われた女の人を助けに行くの?」
「見ていたのか?」
「そりゃあれだけ騒げばイヤでも注目は集めるでしょ」
確かに。デクスターの魔法なんか派手も派手だったからな。逃亡中のこいつが様子を見に来てもおかしくはない。
「どうして命の危険を冒してまであの人を助けるんだい?」
「どうしてって……」
「キミが死んじゃうかもしれないんだヨ。それなのに、どうして? あの人はキミの恋人とか姉弟とか大切な人だったりするの?」
「…………」
言われ、改めて考えてみる。俺は竹を助けに行く事に躍起になっていたが、その理由までは顧みる事はしなかった。
クリトの時は「死にたくない」という思いで刀を抜いた。その俺が今、命の危険を冒してまで戦う理由か。
「俺と獣月宮とは会ったばかりだ。友達とは言えないかもしれない。ましてや恋人とは絶対に言えない」
それでもなお助けに行く理由があるとすれば、それは、
「意地だ」
竹は仲間だ。俺と同じ、輪廻転生者の仲間だ。それは間違いない。
それに根性もある。顔がいいだけの女ではない。性根もいい奴だ。だから、
「仲間が傷付くのは嫌だ。俺は仲間を見捨てる奴にはなりたくない。だから征く。征かなくちゃならない」
俺の言葉に、俺の目に何を見たのか、ネロは数秒俺を見つめていたが、急に破顔した。
「気に入った! いいだろう、ボクも戦おうじゃないか」
「一緒に戦ってくれるのか?」
「今まで逃げ回っていたのは勝つ算段がなかったから。このタイミングで姿を現したのはここでアイツを仕留める好機だから。とはいえ、まだ一緒には戦わないヨ。やりたい事があるからネ」
ネロがこちらに背を向け、顔だけで振り返る。口元には悪戯めいた笑みを浮かべていた。
「ボクは準備がある。先にアジトに行ってくれ。後で合流する」
「後で? 手伝おうか?」
「いや、これは一人の方が目立たなくていい。キミ達はボクを気にせず存分に暴れてくれ」
成程、俺達は陽動という訳か。構わないさ。合流するという言質が取れただけでも御の字だ。孤軍奮闘するよりはずっといい。
「分かった、待っている」
「ああ、必ず辿り着こう。待っていてくれ」
「――よし、征くぞ、カルル!」
「マジで行くんですか!? ああもうしょーがないですな!」
ネロが立ち去る。嫌がるカルルを引きずるように連れて、俺もその場を後にした。
向かうは鳥取砂丘――異世界転生軍幹部『終局七将』が一角、イゴロウの居場所だ。




