第15転 死は救済
不死者。
死してもなお現世にしがみつくもの。既に生命を失っておきながら諦めを拒絶した怪物。怨念や未練、憎悪や悲嘆といった負の感情を楔とし、新たなる肉体とする。そのような在り方である為、生前とは異質なものになるのは避けられない。芋虫が蛹になり、蛾に変態するのと同じくらい別の存在だ。
死体が残っている場合、それを依り代にして活動する。あの骸骨仮面ならぬ仮面骸骨は遺骨を依り代にした不死者――動く骸骨だ。
扉に密着し、二人の会話に耳を欹てる。俺が来た事には気付いていないようだ。二人の視線は互いに向いている。
「……つまり、どういう事なんです? 誰です、ヘレナ何とかって?」
仮面骸骨の声は男とも女とも判別しがたかった。顔は見えない、首から下は骨で外見から察する事もできない。
「ヘレナ・P・ブラヴァツキー。アメリカの……霊能力者辺りでいいですぞ?」
「ふぅん、霊能力者ですか。ともあれあなたは輪廻転生者なのですね」
「そうでつね、コツコッツ殿」
あの仮面骸骨はコツコッツという名前であるらしい。骨々しい音の響きだ。いや、骨々って何だよ骨々だよ。
「あなたの部下からあなたが脱隊したと聞いて追ってきましたが……よもやそんな事態になっているとは思わなかったです。しかし、なんでとっとと逃げないのです? 今だって逃げようと思えば逃げられるでしょう?」
「竹殿に『ホテルから勝手に出るな』と命令されましてな。自力で逃げるのは無理なのですぞ」
カルルは【燕の子安貝・胎眠】で竹には逆らえないよう暗示を掛けられている。幾ら逃散したい意志を持っていても、ホテルを脱出する事はできない。逆に命令外の事であれば自由なので、こうしてホテルの敷地内であり、人気のない屋上で仲間と合流したのだ。
まさかまだ異世界転生軍に戻れるつもりでいたとは、往生際の悪い奴だ。だが、
「ここでコツコッツ殿にさらって貰えれば、拙僧も逃げられるという訳ですな。ささ、お早く」
「うーん……それはどうなのです?」
「え。それはどういう……?」
「『出るな』と命令されているなら、コツコッツが出そうとすればあなたは抵抗するのではないですか? よしんば連れ出したとしてもその後、その竹という人の下に戻ってしまうのではないですか?」
「それは……やってみなくちゃ分からないですが……」
コツコッツの指摘は尤もだ。命令に背けない範囲が自分の意志だけでなく、他者からの強制も含んでいる可能性はある。ここでコツコッツがカルルを誘拐しようとすればカルルの身体が勝手に防衛する展開も否定できない
「それにあなたが自分の意志でコツコッツ達から離反しないと言い切れるですか? あなたはヘレナ何某の記憶を取り戻しているのでしょう?」
「……それは……」
カルルは既にヘレナ・P・ブラヴァツキーの前世に覚醒している。地球人類側の尖兵として戦う使命を与えられている。仮にここで異世界転生軍に帰還したとしても、その使命に則り、異世界転生軍に牙を剥く可能性は大いにある。コツコッツが警戒するのは当然の判断だ。
「分かりました。コツコッツがカルルを救うです」
「へ?」
言うが早いかコツコッツが肋骨の中から棒を取り出した。長さ九〇センチメートル程度の、どう見ても肋骨に納まるとは思えない長さの鉄棒だ。
あれは硬鞭だ。鞭と言われると多くの人間が革製で紐状の武具を思い浮かべるだろうが、あれは軟鞭と呼ばれる種類である。軟らかいと対となる硬い――硬鞭は鉄製であり、曲がらず、しなりもしない。形状は刀剣に似ており、扱い方もほぼ同様だ。
コツコッツは硬鞭を握るとカルルを薙ぎ払った。咄嗟に盾としたカルルの左腕に硬鞭が命中する。
「痛だぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁつ! 何するんですぞ!?」
カルルが絶叫を上げて痛みを訴える。ありえない事だ。カルルは【海の王者】という絶対防御スキルを持っている。どんな打撃も通用しない筈だ。にも拘らず、カルルは苦痛を主張していた。
よもや、あれがコツコッツのチートスキルか?
「救うですよ。異世界転生者と輪廻転生者の板挟みで苦しいでしょう? なら、死ねばいい。死はあらゆる苦しみを拭い去り、嘆きから解放するです。もう永遠に悩む事はないです」
「げげっ!」
コツコッツの凶暴な発言にカルルが引く。
こいつ、『死は救済』派か。浮世の諸問題を殺すことで解決しようとする思想の人間だ。死ねば何も感じず、何も思わず、何も考えない。無となってしまえば喜びはないが悲しみもない。それが幸福だと信じているタイプの人間だ。
しかし、不死者が『死の救済』を語るとは皮肉なもんだな。
「この武器、カルルなら何だか知っているですよね?」
「【打神鞭】――精神を打ち砕く硬鞭。尋常なる者であれば頭蓋骨を粉砕され、尋常ならざる者であっても精神を粉砕される」
「その通りです。この武器ならカルルを殺す事ができるです」
「くっ……!」
カルルに痛みを与えたのはチートスキルではなくて、あの武器だったのか。
まずい、このままではカルルがコツコッツに殺されかねない。元は敵だが、今は仲間だ。彼女を見殺しにはできない。
傍観はここまでだ。俺は扉を蹴破り、屋上へと躍り出た。