幕間2 第二回竹取物語前日譚
獣月宮竹が獣月宮竹として現世に転生する前。
日ノ本における月と夜を司る男神『月読命』――彼の赫奕なる愛娘『かぐや姫』は当時、月の都にいた。
一九六九年七月二〇日、ロケットで月面に着陸した事により、人類は月が大気も生命もない岩石だらけの星だと認識した。しかし、それは誤認である。月には竜宮城やアヴァロンと同様に常世があり、その内側には大気もあれば人も住んでいる。常世は魔法に属するものであり、科学の力では入り口を発見する事はおろか存在を感知する事すらできないのだ。
かぐや姫の住まう月の都はその常世の中にあった。月の都にある武家屋敷。罪を犯した貴人を束縛する施設に彼女は軟禁されていた。
「かぐや。お前を追放処分とする」
かぐや姫の下に一人の男が訪れる。中肉中背の中年男性だ。黒髪の東洋人だが、両瞳は月色という人ならざる色合いだ。頬、口の上、顎で繋がった髭を綺麗に整えている。服装は直衣と呼ばれる平安時代の貴族が着ていたものだ。
彼こそが月読命。かぐや姫の父親である。
「追放処分。まるで昨今流行りの小説ね」
「処刑されないだけ有難く思え。小説は無能扱いされた有能が追放された後に成り上がるのがテンプレだが、お前の場合は明確に罪を犯した。逆転劇も無罪放免もない。武装蜂起ともなれば私の権限でもお前を庇う事はできん」
「私を庇う必要はないわ。覚悟の上での行動だもの」
無表情のまま、正面から堂々と言い放つかぐや姫。そんな娘に月読命は眉をひそめながらも静かに問い掛ける。
「そんなに異世界転生を許せないか?」
「それは違うわ。創作上の異世界転生は別にいいのよ。気に入らないのはあんた達の転生。神々が人命を使い捨てにするなんて真似、私にはどうあっても許容できない」
月読命の問いにかぐや姫が語気を強くした。
「地球で不遇の扱いを受けてきた者達が異世界で活躍し、優遇される。――とだけ抜粋すれば夢物語だけどね。実際に物語の主人公のような活躍ができるのはほんの一握りだけ。十中八九は志半ばで死んでいくわ」
英雄とは他人が真似できない事をするから英雄なのである。そして、それは如何なる特権的能力を与えられたとしても容易く達成できるものではない。英雄になるにはそれ相応の精神性と精神力が必要なのだ。元々はただの地球人でしかなかった者達に求めるものではない。
「地球で普通に暮らしていた一般人を死んでいるから後腐れがなくてちょうどいいって。ズルみたいな能力と都合のいい環境を与えて、おだてて戦場に向かわせて。そうして大概は帰らぬ人になるのよ。そんなの殆ど鉄砲玉じゃない」
華やかな物語など所詮は氷山の一角でしかないのだ。語られる活劇の裏には語り得ぬ惨劇が何倍もの量で秘匿されている。
「そうだな。それについては否定せんよ」
「それにそもそも……」
そもそも異世界の問題は異世界人の手で解決すべきだとかぐや姫は考えている。同じ鉄砲玉にするにしても、その役目は異世界人が背負うべきだ。それを人手が足りないからといって、地球人に任せようって考え方が気に入らないのだ。
「何よりも不愉快なのは、そんな異世界転生者の人生を――人のリアルの生き死にを娯楽としている神々よ」
「私も含めてか? まあ、そうだろうな」
「……それに役目を果たすを迎えてもその後も幸せになれるとは限らない。戦場を赴くという事は命を奪うという事。高揚感と優越感で最中は見て見ぬ振りをしても、いずれは罪の意識に苛まされる。そういう人間を私は何人も見てきたわ」
「罪の意識か。あの桃太郎のようにか?」
「…………」
桃太郎を引き合いに出されてかぐや姫は沈黙する。彼の顛末は彼女も知るところだった。出生理由と特別な血筋、鬼ヶ島の真実、自責に閉じた晩年――彼こそがまさしく竹が言う「生まれついて特別でありながら幸せになれなかった者」の典型だろう。
「心配せんでも、異世界転生者達はそうはならん。彼らは皆、幸せそうだぞ」
「それは神々が転生者をそういう風に洗脳したか、そいつらが元から狂人だったかでしょう?」
「…………」
かぐや姫の返しに月読命は深々と溜息を吐いた。
「それで武装蜂起か。全く、何歳になってもお前のお転婆は治らんな。一三〇〇年前からずっと変わらん」
「ええ。私は私を曲げるつもりなんてないもの」
言い切るかぐや姫に月読命は再度溜息を吐く。とはいえ、彼も本気でかぐや姫に変化などと望んではいない。神々は在り方が揺るがないからこその神々だ。千年単位で生き続けてきた彼らは最早存在が概念に等しいのだ。
「お前の追放先は前回と同じ我が国、日ノ本だ。ただし、今回は竹の中ではない。今時竹取をする者などおらんからな。ごく普通に人間の子として転生して貰う」
「そう。楽しみね」
「汚らわしい人間の中に紛れ込む事を喜ぶのはお前くらいなものだ」
「そうかしら? 案外悪くないわよ。無味乾燥な月の都よりマシ」
「まあ、それでこそお前らしいと言える。前回は未婚のまま月に帰ってきたが、今度は結婚するのか?」
「そうね。いい縁があればそうするけど」
前回の転生の記憶とこれからの人生に思いを馳せて、かぐや姫は考える。前回は血統や身分を拠り所にする輩が周囲には多かった。求婚してきた者達もかぐや姫の美貌と名声が目的で、情熱をもって娶ろうとする者はいなかった。だから、
「使命だとか大義だとか、そういうのじゃなくて、自分の意志で戦おうとする人がいいわね」
それまで無表情だった彼女はそう言って微笑んだ。