この世界で暮らすために
「新しい税法に反対ー!」
「金持ちの優遇を許すなー!」
「旧式ロボットの権利を守れー!」
「ユルスナー!」
「マモレー!」
電子ボイスが混ざった怒声が、官庁広場に反響する。
巨大な政治機関のビルを前に、くすんだ装甲の旧型ロボットたちが、拳を振り上げて抗議の声を上げていた。
剥がれ落ちた塗装。錆びついた関節。チープな合成皮膚の裂け目からのぞく、むき出しの配線。
彼らは、時代に取り残された“残骸”だった。
今日もまた、新たな税制が可決されようとしている。
補助金は高性能な最新型へと集中し、旧型には義務と負担。
廃棄法案すら、もはや現実味を帯びてきた。
当然ながら、怒りは爆発する。
だが――そんなことは、僕には関係ない。
僕は、“人間”だ。
この世界で最も希少で、最も――違法な存在。
そして今日、この騒乱のただ中に身を置いている理由は、ただひとつ。
金が必要だからだ。
このデモに参加するだけで、日給としては破格の報酬が支払われる。
主催者側は「人数」を見せたいだけ。外見がロボットに見えれば、中身なんて誰も気にしない。
僕は、分厚いフードを深く被り、マフラーで口元を隠す。
古びたメカニカルグローブで拳を握りしめ、人波の中に紛れ込んだ。
――ただの“旧型ロボット”を装って。
今日一日、存在を偽り通せればいい。
明日も生きるために。それだけのことだ。
「……デモを解散してください。あなたたちの行為は、公共秩序を著しく乱しています」
その声が、雑踏を切り裂いた。
抗議の叫びが止み、広場に静寂が落ちる。
演説台の上に立っていたのは、紅。
深紅のジャケットを纏い、艶やかに整えられた人工髪が風に揺れる。
その眼差しは冷静で――どこか、“人間的”ですらあった。
彼女の存在は明らかに“特別”だ。
演算力、判断力、演技力――すべてが高次元で融合された、最新型中の最新型。
そして彼女の背後には、無言の軍勢が控えていた。
黒い装甲を纏った、軍用ロボット部隊。
無機質な仮面の奥、光学センサーが群衆一人ひとりを分析している。
指はまだトリガーにかかっていない。だがその構え――すでに“撃てる”状態だ。
「このまま行動を続ければ、あなたたちは“敵対存在”として認識されます」
「我々は排除行動を選びたくはありません。ですが――選ぶのは、あなたたちです」
その瞬間、群衆の中から、低く唸るような機械音が漏れた。
誰かが、拳を握った。
だが、ほとんどの者が、一歩下がった。
この空気の中で、たった一つでも暴力が起きれば――火がつく。
全員が、制圧される。
いや、“処分”されるだろう。
僕の喉の奥が、ひりつくように渇いた。
逃げ切れるか? バレるか?
何も起こらなければ――それだけを、祈った。
紅が、静かに言葉を重ねる。
「私たちは旧型を切り捨てるために、ここへ来たのではありません」
「あなたたちの声には意味があります。ただ、今ここで暴力が起きれば――その意味が潰えるのです」
「どうか……理性を、失わないでください」
その声は、決して大きくなかった。
けれど広場全体に、静かに、深く染み込んでいった。
紅が信じられるかどうかなんて、正直わからない。
けれど今この瞬間、彼女の言葉だけが、騒動を止めていた。
だが――わかっていた。
この場に、“引けない”者がいることも。
意志なのか、感情なのか。それとも、初期設定か。
群衆の中から、最も錆びついたロボットが一歩、前へ出た。
その手には、EMPスティック。
通常のロボットであれば、触れれば即座に機能停止する、強力な近接武器。
腕が振り上げられる――その一瞬前。
そのロボットは、音もなく崩れ落ちた。
ピクリとも動かないボディを見下ろし、紅はわずかに表情を歪めた。
苦悶か、それとも憐れみか。
一瞬だけ、無表情の仮面に揺れが走った。
「……さあ。皆さんも、こうなりたいのなら」
その冷え切った声に、群衆がざわつく。
「いやあああああ……!」
誰かが叫んだ。
そしてそれを合図にしたかのように、抗議の波は――霧のように、音もなく散った。
ロボットたちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
誰もが、自分の身を守るために。
僕もその中に紛れ、最寄りのショッピングモールへと駆け込む。
人目を避け、個室型の充電ルームに滑り込んだ。
鍵をかけ、壁際のバッグから着替えを取り出す。
フードとマフラーを外し、古いコートの下に仕込んだ機械装を脱ぎ捨てる。
ミラーの中に映ったのは、ただの――人間の顔だった。
「……ふぅ」
手元の端末を開き、入金通知を確認する。
指定された金額は、ちゃんと振り込まれていた。
さっき崩れ落ちたロボットの姿が脳裏をよぎる。
一瞬、喉の奥が苦く詰まるような感覚。
けれど――
金は入った。
今日も、俺は生き延びた。
そして、明日もきっと――生きる。