居酒屋と紅
カフェの仕事を店長に引き継ぎ、制服を脱いでロッカーに掛ける。
外の景色は太陽の光からネオンの輝きへと切り替わっていた。
──僕の一日は、まだ終わらない。
「いらっしゃいませー!」
夜の居酒屋『無重力亭』。月曜日だというのに、今夜も満席だ。
理由は単純。疲れを知らないロボットたちは、週の初めから全力で“飲む”。
人間でいうところの酒──電磁刺激ドリンクを、浴びるように楽しみに来るのだ。
店は裏通りの奥まった場所に構えており、外観はまるで修理工場か、すでに廃業した廃墟のよう。
だが、一歩足を踏み入れれば、熱気と笑い声、電子音が渦巻く――夜の戦場が広がっている。
僕の担当はホール。理由は明白だ。
キッチンには調理専用の高性能ロボが揃っていて、旧式の僕に出番はない。
僕は、人間の子どもの“おともだちロボット”として設計された個体で、いまはその設定のまま、接客要員として働いている。
見た目は人間の少年そのもの。外見の良さも手伝って、「愛想がいい」と思われているらしい。
ただし、酔ったロボットによる“だる絡み”は日常茶飯事だ。
「おーい、そこのチビ! 電磁刺激ドリンク、飲むか? ま、人間には無理だろうけどな! ガハハハ!」
案の定、今日も来た。酔った大型運搬ロボが、ふらつく動作でこちらに寄ってくる。
油じみたアームが、ぐいっと伸びて僕の首に絡みついた。
「人間がロボット様に逆らうなよ。脆弱な肉体め」
「ご心配なく。皆さんがいる限り、僕は安全ですから」
営業スマイルを崩さずに返し、すかさず端末を操作する。
「そうだ。当店自慢の“超高粘度電磁刺激ドリンク”をお持ちしましょうか?」
「おお、持って来い! 持って来いッ!」
──しめた。
これは店長が気まぐれで仕入れたが、まったく注文されなかった在庫の山。
倉庫のスペースも圧迫していたし、少しでも減れば助かる。僕としてもありがたい案件だ。
それからしばらくして──。
「……佐藤? お前、なんでここにいる?」
聞き慣れた声に振り返る。赤い髪、赤い瞳、軍服姿の戦闘型ヒューマノイド──紅。
両脇には、銀の装甲をまとった部下ロボットが2体、無言で佇んでいた。
「い、いらっしゃいませ。ご予約のお客様って……紅さんだったんですね」
「ほんとにお前か。昼のカフェだけじゃなくて、夜も働いてるとはな」
「ええ、まぁ……生活費が必要でして」
紅は目を細め、わずかに肩を揺らして笑った。
「今日の飲み会、ここを選んだのは偶然だったが……運がいいな」
“運がいい?” 僕は首をかしげたが、本来の業務に戻る。
「個室にご案内します。こちらです」
奥の静かな部屋へと紅たちを先導すると、彼女は椅子に腰かけ、店内をぐるりと見回した。
「……ここには、コーヒーはないのか?」
「キッチンに入っていないので……ですが、ドリンクならおまかせを。おすすめは“銀河冷却電磁刺激ドリンク”です」
「それを頼む。……部下も同じのでいいってさ」
「かしこまりました」
紅は、人間語しか使えない僕のために、わざわざ部下の言葉を通訳してくれたのだろう。
その心遣いに、僕の胸はほんの少し、あたたかくなった。
注文を済ませて、料理とドリンクを運ぶ。
扉の奥からは、僕には理解できないが、軽やかな電子音──きっと彼らにとっての笑い声が聞こえてきた。
紅さんは、仕事仲間にも本当に慕われている。
日中、彼女のためにコーヒーを淹れている僕としても、それがなんだか嬉しかった。
閉店間際。個室のドアが開き、紅が静かに現れる。
「佐藤、また会えて嬉しかった。……ここには、また来るかもしれん」
「僕は不定期のシフトなので、そう簡単には会えないと思いますよ」
「それでも構わん。ここの料理が気に入ったし、私の中で“お気に入りの店”になったからな」
そう言って紅は、いたずらっぽく笑った。
「それに──」
「それに?」
「いつ会えるかわからない中で、こうして偶然、佐藤に会えたら……ちょっと嬉しいからな」
彼女は言葉の余韻を残すように、もう一度だけ微笑み、扉の向こうへと消えていった。




