39.恐怖の出動命令
「伝令! 伝令! 治癒術士エリシア、出動命令! 治癒術士エリシア、出動命令!」
みんなが緊急出動して行き、誰も居ない隊舎の医務室でじっと座っていた時。
表から男の人の声で自分が呼ばれたような気がして、そうっと扉を開ける。
「治癒術士エリシアか!?」
「はい、そうですが……」
「行くぞ! 出動命令だ!」
怒鳴るように問われて、状況が分からず全てが怖い私は、この人のことも怖いと感じてしまう。
けれど向こうも必死なようで、私が返事をし終わる前に、踵を返し走り出した。
「行くぞ!!!!」
足が竦んで動けない私を怒鳴りつけ、また走り出す。
私はどうにかついて行かなければと、それだけを感じて足を動かした。
行先は勤務初日以来来ていなかった転移陣のある部屋で、訳も分からず着いてきただけの私にこの人が叫ぶ。
「伝令! 治癒術士エリシアを、北部アウストラへ!」
「了解っ!」
転移陣の部屋に居た男の人二人組も、緊迫した雰囲気を放ちまくっていて、怖い。
「早くしろっ!」
また怒鳴られて、ますます萎縮してしまった私の腕を無理やり引っ張って、円形の複雑な模様の中心に立たされる。
「「北部アウストラへ!」」
ぱあっと足元が光ったと思ったら、急に床が無くなったかと思うような浮遊感に襲われ。
「きゃあああーーー!!!」
制御出来ない悲鳴と共に、無理やり転移させられた。
「痛い゛っ」
謎の浮遊感でバランスを崩し、転移先の地上に出た瞬間に腰を強く打った。
「おい、大丈夫か!」
「う゛ぅ……はい」
「治癒術士エリシアだな? 団長からの出動命令だ。今すぐ前線へ!」
「ええっ!? そんなの無理です! っていうか、ここどこ!?」
「はあ? 何しに来たんだ!」
兵士らしく大きな身体の男の人に睨みつけられて怒鳴られ、パニックが加速するばかりだ。
「すみません、すみませんっ、帰りますっ!」
「帰るな、働け!」
焦げ臭いにおいも、響く悲鳴も怒号も、全てが私にとっては怖い。
でも、それよりももっと、圧倒的に怖い物が何かを、思い知らされた。
「ぎゃあああああ」
おとぎ話の中でしか知らない、「竜」が。
翼を掠めるように頭の上を飛んで行った。
視界いっぱいでも余りあるほどの巨体に、気を失えた方が幸せだったかと思うほど。
頭の中が考えることを放棄してしまって、思考停止中。
さっきまでも状況が分からないと思っては居たけれど、これは分からないんじゃない、分かりたくないんだ。
「着いてこいっ!」
怒鳴られて、無理やりに足を動かす。
ここに一人にされたくない、その一心で。
「何をしている、もたもたするな!」
でも、この人も怖い。
転移陣から一歩出たらもうそこは戦いの真っ只中で、周りは鈍い灰色の世界。
その中に怖い人ともっと怖い『竜』と一緒に居て、逃げ出したくて堪らないのに逃げる方法も分からない。
遠くでは何かが激突したような大きな音がして、生命の危機を感じた本能が勝手に身体を縮めて固くする。
その場に座り込んでしまいそうになると、怖い人が引きずるように私の手を引っ張って、どこかへ連れて行かれる。
怖い、怖い、怖い。
右も左も分からない戦場で、恐怖のただ中にある私。
そこへ。
「エリシア君!」
耳慣れた声が、私を呼ぶ。
咄嗟にそちらを向いた私の視界に広がる、綺麗な白色。
その白さは、鈍い灰色の中で一際目立つ。
「先生っ!!」
思わず抱きついてしまった。
「ここまで呼び出して悪いが、緊急だ。団長が反動痛で全く動けない。今すぐ施術が必要だ」
ルーィ先生を見ただけで安心して泣きそうだ。というか普通に泣いている。
「先生、怖い、怖いです」
鐘の音と共にラジェさんが居なくなってから、ずっと抱えていた恐怖が涙となって溢れ出し、止まらなくなってしまった。
きっと、そんな場合じゃないのに。
「エリシア君、分かった。何も考えず、何も感じなくていい。ただ、俺の言う事だけ聞いて欲しい。出来るか?」
「……はぃっ」
何も感じなくていいなら、それは今の私にはすごく嬉しい。怖いのも、先生が身代わりになってくれるなら、私は大丈夫。
背を向けた先生にしがみつくようにしていると、それだけで安心する。
毎日マッサージをしている、力強く大きな背中。
私が遅いからか、そのうちにおんぶされてしまい、完全にルーィ先生に頼りきってしまえる状況になってはじめて、ほんの少しだけ落ち着けた。
怖い怖いと泣きじゃくっている今の状況は、仮にも騎士団に所属する人として絶対良くないよね。
そんな当たり前の事実にようやく気づけたんだ。
ひとりぼっちだと怖くて怖くて何も出来なかったけれど、それでもここまで来ることは一応出来た。
そして、ここにはルーィ先生が居てくれている。
鈍い灰色に染まった戦場でも、ルーィ先生の翻る白衣を見つけられたら、私は頑張って働ける。
ルーィ先生の言う通りに、出来る!
「エリシア君、少しは落ち着けたみたいだね。団長の様子を、見てもらえるかい」
激しい衝撃音と叫び声の喧騒の中でも、ルーィ先生は冷静だった。いつもの落ち着いたトーンで話しかけられたら、私も自然と落ち着けた。
「はい。体中で魔力が暴れていて、すごく悪い状況だと思います」
「今すぐ復活してもらわないと困るんだけど、どうしたら良さそう?」
「魔力の針が、必要でしょうか……?」
察しの悪い私でも、何故呼ばれたかの検討くらいはつく。
頭上を二頭の竜が暴れ回っていて、どうにか副団長が魔力の紐のようなもので抑え込んでいるだけの現状、【英雄】と呼ばれる実力を持った団長の復活が望まれている。
「やはり、エリシア君もそう思うね。俺の指示で、魔力の針を施術して欲しい」
「はいっ」
その時ドォンと一際大きな衝撃音が響き、戦闘の喧騒が一段とヒートアップした。
「エリシア君、早く!」
いつも穏やかな先生に珍しく急かされ、慌てて手を取る。
骨ばった手は誰かを救うための手で、それを握るだけで勇気が湧いた。
「ここへ、お願いします」
私は何も考えなくていい。そう言われたことをようやく思い出した。
今の周りの状況とか、不確かな技の後遺症とか。
そういうことは全部先生に任せて、私は私の仕事をしよう。
その為だけに、ここへ呼ばれたのだから。
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