13.初出勤
「すみません、おはようございます〜」
騎士様方の訓練場を横目に見ながら医務室へ行き、恐る恐る扉を開ける。
主任にはこちらへ出勤するように言われたけれど、ルーィ先生にどこまで話が通っているのか分からなくて不安だから。
そっと開けたのに、部屋の明かりは消えていて、もちろん誰も居ない。
「ん〜、どうしよ」
やっぱり、先生は私が来るって知らないのかな。
それなら私はどうしたらいいんだろう。
「あーっ! エリシア先生、どうしたんですか?」
「シュミット様、おはようございます。あの、私は先生ではないのですが……」
見慣れた顔が近づいて来てくれてほっとする反面、先生と呼ばれてしまってどうしたらいいか分からなくなる。
「エリシア先生は俺の反動痛をぜーんぶ無くしてくれたんだから、間違いなく先生っスよ!
んで、どうしたんですか? 掃除の仕事中?」
先生と呼ぶ割には軽い雰囲気なのでそこまで圧を感じないのが救いかな。
そのうち呼び方も変えてもらおう。
「掃除部からこちらへ異動になったと言われて来たのですが、ルーィ先生が居なくて困っているんです」
「そうなんすね。出先ボードには何て書いてるかな」
「出先ボードって何ですか?」
「これっすよ!」
ドアのすぐ横に貼ってある板に、何やら書いてある。
在室
団長室
団内
王宮内
北:レストア平原
北:アデューラ湿原
北:ラヴィエンテ砂丘 ……
「地名? ですか?」
一応文字は読めるし、北、西、南、東と書かれているので地名っぽいことは分かるけれど、どこにあるのかはさっぱりだ。
「そう。それぞれ転移陣が設置されている所で、近くに魔窟っていう魔物が湧く所があるんだ。
んで、この横の赤いマークが、ルーィ先生の居る場所」
北:アデューラ湿原の横に赤い磁石が付けられているから、そこに先生は居るんだろう。
「ルーィ先生も魔物の出る所へ行くんですか?」
「もちろん。ただ、直接戦う訳じゃないよ。
転移陣は比較的安全な後方に設置されているから、そこへ行って怪我をして前線から下がってきた隊員を治療してくれるんだ」
私は勝手に、ルーィ先生はお医者様だから危険な所へは行かずに王宮内にずっといるのだと思っていたけれど、辺境まで実際に行っているなんて……。
「ルーィ先生は貴重な治癒魔法使いなんでしょう? なぜ、危ない所へ行かせるんですか?」
「なぜ、って……。それが軍医先生の仕事だからなぁ。
強いて言うなら、怪我した隊員を一旦こっちへ送ってそれを治療してまた送り返して、ってするのは大変すぎるから、先生一人を送る方がずっと楽、ってことだと思う。
前線では、転移に使える魔力があるなら戦闘に使いたいからな」
「なるほど」
理にかないすぎていてめっちゃ納得した。
「北に行ったんならそんなにすぐには帰ってこないだろうから、エリシア先生は自分の仕事してたらいいんじゃない?」
「私、先生ではないですよ……? 自分の仕事が何かもよく分かっていませんので」
「来たばっかだから、今仕事ないのか。
それなら、俺の部隊に来てくれないか? 時間があるなら一人でも治療して欲しいんだ」
私は騎士様たちの反動痛を治療するために部署異動したのだから、無駄にフラフラしていないでマッサージしたらいいだろう。
「じゃあ連れて行ってください。お願いします」
さほど離れていない広場へ行くと休憩中のようでそれぞれに水を飲んだりしている。
魔法使いの中には魔力の色が髪や瞳に現れる人も多いから、訓練所は色とりどりだ。
「隊長! 前に話した反動痛を治してくれるマッサージ師連れてきました!」
「ほぉん……」
隊長と呼ばれた人は皆から少し離れて座っていて、紺色の瞳がこちらを向くだけで背筋が伸びるほど威圧を感じる人だ。
「あの、エリシアと申します。魔法を使った後の反動痛を抑えるマッサージをしています」
圧に負けずに頑張って自己紹介をしたけれど、値踏みするような視線は変わらない。
「そうか。だが、もう休憩は終わりだ。俺らには、お前に構っているヒマはねぇんだよ。
掃除婦らしく掃除でもしてろ」
強い口調で言われて咄嗟にどう反応していいか分からない。
怖いけれど、怖がっているだけじゃあ駄目だと思う。
「……すみません、お邪魔しました」
とりあえず私は邪魔なようなので一旦退散することにしよう。
「でも、隊長っ」
シュミット様は尚も言いつのってくれるけれど、隊長の人睨みで黙らされてしまった。
彼の申し訳なさそうな視線を感じつつも黙って医務室へ戻る。
その道すがらに考えてみた。
隊長さんから見たら、私は誰かもよく分からないのにマッサージが出来ると言い張る小娘だ。
しかも、仕事中に誰の指示も許可もなく話しかけた。
「うーん、そりゃあ怒られても仕方ないかも」
もうちょっと言い方ってもんがあるんじゃないの、とは思うけれど、概ね私が悪いと思う。たぶん。
とにかく、真面目にお仕事をしている人の邪魔をしちゃいけない。それは確実だ。
「じゃ、気を取り直してお掃除しよっと!」
気持ちの切り替えが早いのは私の良いところだと思っているから、落ち込んでいないで自分の出来ることをしよう。
掃除しろ、って言われたし、設備は全体的に新しいけれど隅々まで掃除が行き渡ってはいない。
ある程度皆で掃除してるんたろうな、ってくらい。
医務室から道具を持ってきて、掃除を始める。
うん、なかなかにやり甲斐のある仕事だ。
コーン コーン
無心で手を動かしているとお昼の鐘が鳴った。
「もうお昼かぁ……。ご飯食べよー。
じゃないって!! 鐘が鳴ったなら皆休憩じゃん! 私の活躍のチャンスじゃない!?」
お昼ご飯を取りに行こうとしたけれど、皆がどこかへ向かうのを見つけて慌てて着いて行ってみる。
「おっ、エリシアちゃん! どうしたんだ?」
皆が集まっているのはやっぱり食堂だったようで、入ろうとしたら声を掛けられた。
「クラウゼ様! 今日からこちらへ異動と言われたのですが、ルーィ先生が居なくてどうしていいか分からないんです」
「異動になったのか、それはよかった」
「君が噂のマッサージ師の女の子? 今日は頼めるのか?」
クラウゼ様と世間話が始まりそうな所で隣の人が口を挟んで来た。
黒髪黒目で右目に眼帯をしているが、それよりも長めの前髪から覗いているこぼれ落ちそうなほど大きな左目が印象的なひと。
「はい、もちろん出来ますよ」
「では、3分だけ待ってもらえるだろうか」
それだけ言うと一番空いているカウンターで定食を受け取り、凄い勢いで食べ始めた。
「あいつは俺の同期でキースって言う奴だ。珍しい能力を持っているんだが、とにかく反動痛が激しいのが悩みの種だな」
黒髪黒目だから能力の詳細は分からないけれど、右目に眼帯をしていて、その右目付近にものすごく大きな魔力の渦が出来ている。
よほど魔法的に負担がかかっていて、魔力が詰まってしまっているのだろう。
多くの人は大小はあれど全身に渦が出来ているが、キース様はほぼ右目から右肩にかけてに集中している。
それに、あれだけの大きさであればとても痛いだろうと思う。
「確かに症状は酷そうですね」
「たったこれだけの話で分かる君は凄いな」
おっと、要らないことを言ってしまったかもしれない。
どこまで話していい物か分からないのは少しの会話ても気を使う。
その後、クラウゼ様の順番がきて定食を貰った頃には、キース様は既に食べ終えて食器を片付けに行っていた。
「すごい速さですね」
驚きを通り越してもはや感動するほどの速さ。
「どこへ行けば良いだろうか?」
しかも爆速食いの余韻も感じさせないピシッと感。
さすがは王国を守る軍人さんと言うべきかな。
「ん〜、一旦外へお願いできますか」
「よろしく頼む」
とりあえず、勤務初日のお客様第一号をゲット出来たので少しほっとした。
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