1.マッサージの効果
「あのぅ、大丈夫ですか?」
爽やかな秋晴れの王宮前庭。
掃除婦である私の担当エリアで、甲冑を身につけたままの騎士様が力なくベンチで項垂れている。
騎士様は明らかに大丈夫じゃ無さそうだったから声をかけてみた。
今からお昼休憩だから、ちょっと時間があるし。
「……ぅう」
もう返事も満足に出来ていなくて、とても可哀想。
でも、この騎士様が辛そうな原因は、私にだけは分かった。なぜなら……
ーー私、エリシアには、ちょっとした特殊能力があるから。
それは、魔力視。
普通なら分からないはずの、人の中の魔力の流れが視えるんだ。
魔法を使える人はほんのひと握りしかいないけれど、魔力自体は皆が持っていて、普通なら身体の中をグルグル回っている。
魔法を使えない人は魔力を感じることもないけれど、魔法を使う人は違う。
自分の身体の魔力の形を変えて放出するから、身体に負担がかかって魔力の流れが詰まってしまう。
それが酷くなりすぎると、この人みたいに身体中の魔力が節々で渦を巻いて、痛くて痛くて動けなくなってしまう。
私が大人になるまでお世話になった孤児院の院長先生は、少しだけ魔法を使えたから身体が痛いとよく言っていたけれど、ここまで流れが悪くはなかった。
甲冑越しでは手だけしか視えないけれど、騎士様はすごく逞しいのに動けなくなっているくらいだもの。
「あの、少し触りますね?」
院長先生は、私が魔力の渦の中心を狙ってマッサージしたら、その時は痛いけれど後ですごく楽になる、と喜んでくれていた。
この人はとっても状態が悪いみたいだけれど、私のマッサージは効くだろうか。
返事をする元気もない、という感じなので同意はないけど進めさせてもらう。
誰だって痛いのは嫌だし、楽になるならした方がいいよね、絶対。
ってことで、一番渦の大きい右手の親指の根元をグイッと。
「ゔぅっ」
痛い、と院長先生が言っていた通り、短い悲鳴が上がったけれど気にせず続ける。
このマッサージのポイントは、渦の大きな所だけをしていてもあんまり意味がない、ってこと。
大きな渦を重点的に、でも小さな渦も放置せずにちゃんと揉んであげたほうが早く良くなる。
「ぐぅっ、っああ゛」
悲鳴が増えてきたのは声を出す元気が出てきたからか、それともどんどん痛くなっているのか。
ピンポイントで渦の中心を押して、離して。
そのあとで魔力の流れに沿って摩ると、少しずつ渦が小さくなっていく。
「右手は、これくらいかな」
それなりに渦が小さくなり、多分痛みもマシになっただろうな、って所で左手に移る。
そんなに時間がある訳じゃないし。
「ぐぅっ、、、、」
息を詰めて耐える様子は可哀想だけど、これもあなたの為だから我慢しておくれ。
ある程度渦を押さえたら小さくなってくれたから、仕上げに親指のつけ根を両手一気に押す。
「ぅゔゔぅ……っ?」
私が手を離すと同時に悲鳴が疑問形に変わる。
「どういうことだ? ほとんど痛くない、だと?」
まるで信じられないものを見た、と言わんばかりに、自分の両手と私を見比べる。
「痛いのが治まったなら良かったです!
では、私はこれで!」
可哀想だからマッサージしてあげたけど、用事が終わればとっとと立ち去るに限る。
私の魔力視の能力とか詮索されたら面倒だし、何よりもお昼ご飯を食べる時間が無くなっちゃう!
それは三度のご飯が何よりも好きな私にとっては大問題だもんね。
マッサージ中は痛かっただろうけど、終わったら本人も驚くほど痛みが引いていたみたいだし、魔力の詰まりも少なくなっていた。
良いことをしたらいい気分になれたから、お昼ご飯しっかり食べて、午後のお仕事も頑張っちゃうぜ〜!
次の日。
私の仕事は王宮掃除婦で、孤児院出身者の中ではかなりの勝ち組。
まだ採用されて3ヶ月ほどだから、この仕事を失わないために毎日しっかり掃除をしている。
担当ルートを綺麗にするのが仕事だから、昨日と流れはほぼ同じ。
昨日と同じ時間で同じ場所に、同じ人が居た。
でも昨日と違って力尽きてないし、傍らには紙袋も持っている。
「昨日はどうもありがとうございました!!」
なんとなく面倒事の予感がしたから知らないフリして通り過ぎようとしたのに、バカデカボイスでお礼を言われてしまった。
「いえいえ、こちらこそお節介で失礼しました」
「お節介だなんて、そんなことはありません!
一昨日まで魔物の討伐遠征に行っていたのですが、昨日も人手が足りずに出勤して、魔法を使いすぎた反動痛で動けなくなっていたんです」
一生懸命説明してくれる騎士様は、私よりも年上で、二十歳すぎだろうか。
太陽に照らされたきらきらの金髪と整った顔立ちで、青い瞳が印象的なイケメンだ。
昨日はイケメンだって気づかないくらいに弱っていたけどね。
「あなたのおかげで、手の痛みはほとんど無くなりました。本当にありがとうございます!
こちらはほんのお礼です!」
ずい、と差し出された紙袋を受け取る。
こちとら孤児院育ちなので、貰えるものは遠慮なく貰っておく主義だ。
「こんなものいただいて……ありがとうございますわ。開けてもいいですか?」
丁寧にお礼を言ってから開けてみる。
「喜んで貰えると良いのですが……」
「わぁ、素敵! ありがとうございます!」
紙袋の中身は大きめの缶にいっぱいのクッキー。30枚くらいはあるんじゃない?
甘い物が大好きな私にはとっても嬉しいものだ。
「何が好きなのか分からなかったのですが、お好きなようで良かったです。
あっ、すみません、自己紹介が遅れました。
俺はディータ・クラウゼ、王宮騎士団第二部隊所属です」
ニコニコ笑顔な騎士様は、苗字があるってことは貴族様だ。すごいなぁ。
「私はエリシアです。掃除の仕事を頂いています」
「では、今からお昼休憩ですか?」
「ええ、そうです」
「それなら、……えーっと……」
何か物言いたげな雰囲気を出すクラウゼ様。
遠慮しなくっても私には分かってるよ。
だって、昨日は手をマッサージしただけ。
肩を中心に、全身で魔力が詰まってるもん。
「少し時間がありますので、マッサージ致しましょうか?
首や肩がつらいのでしょう?」
「はいっ! お願いします!」
意気揚々と話に乗ってきた。
昼休みを犠牲にしてマッサージして、って言いにくいよね。
でも、こんなにクッキーくれるなら全然マッサージくらいしちゃうよ!
クラウゼ様にベンチに座って貰って、背もたれを挟んで後ろ側に立つ。
「うぎゃあ」
肩が一番大きな渦になっているからぐぅっと押さえてみたら、それだけで悲鳴が上がった。
「昨日は手をマッサージしましたけれど、良くなりましたか?」
「うぐっ、はいぃい゛、そうですねええ゛え゛」
だんまりなのも気疲れするかと思って話を振ってみたけれど、返事の合間に悲鳴が混ざる。
というか悲鳴の間で返事をしてるくらいの割合かな。
可哀想だから下手に話をするのはやめて、マッサージに集中しよう。
クラウゼ様は、手もかなり魔力が詰まっていたけれど、肩の方がヤバい。
昨日手をマッサージした分、肩もマシになっているはずだけどかなり酷い状態だ。
「うーん、結構手強いですねぇ。
本当なら、寝転がってもらって背中や腰も押した方がいいんですけどね〜」
全身で魔力が詰まっているから肩だけマッサージしても全部が良くなりはしない。
とはいえここは外のベンチだからどうしようも無いなーと思っていたのに。
「ここで寝転べばいいですか!?」
食い気味にそう言われてこちらの方が困惑してしまう。
「いえ、でもここは外ですし……」
外でお貴族様を寝かせるなんて、流石にマズイでしょ。
「全然大丈夫ですよ! 楽にして貰えるなら!」
言っている間にもベンチに寝ようとする。
「仰向けですか? うつ伏せ?」
「うつ伏せでお願いします」
まあ本人が良いと言うんだからいいでしょう!きっと!
私としても、出来るだけこの人に楽になって欲しいと思ってるし、その為には背中や腰、太ももとかを触ってあげた方が魔力の流れは良くなるはず。
筋肉が強くて指では押さえにくい所は、汚れをこそげ取る用のヘラの柄で押す。
いや、柄の方だから。汚くないからね!
「ぐわあぁ、……ぎゃっ、ぐううゔっ!」
基本的には押して、離して、を繰り返しているんだけど、毎回違う悲鳴が上がってなんだか面白い。
本人は余裕ないだろうけどね。
それでも嫌がらずに積極的に揉まれに来てるんだから、昨日のマッサージによっぽど効果があったんだろうね。
院長先生も、私が揉んだらとっても楽になるって喜んでくれてたもんねぇ……。
ちょっと感傷的な気分になっている間に、もう昼休みが半ばを過ぎてしまった。
そろそろお弁当を取りに行かないと、食べる時間が無くなってしまう。
「すみません、そろそろ時間なのですが……」
「そうか、君は昼休みだといっていたね。
自分が非番だから忘れていて大変申し訳ない」
ぐうっと猫のように伸びをしたクラウゼ様はめちゃくちゃ機嫌が良さそうだ。
「こちらこそ、中途半端な所で終わって申し訳ありません」
「いやいや、本当に楽になった。
手はほとんど痛くないし、腰も肩も随分マシになった。
こんなに身体が軽いのはいつぶりだろうな」
「いつもそんなに痛いんですか。大変ですね」
魔法使いの中でも魔法騎士といえばかなり上の実力者なはず。
自分たちを魔物から守ってくれる英雄だから、王都民みんなが尊敬している。
でも、実際は自分の身体の痛みと戦う可哀想な人なのかも。
「人智を越えた力を扱う反動だから、仕方がないと分かっているつもりだよ。
でも、やっぱり俺も人間だから、痛く無くなるならその方がいいよね」
苦笑いで誤魔化そうとしているこの台詞が、この人の本心なのだと思った。
痛いのはイヤ、それは誰だってそうだろう。
「では、私は勤務の日は毎日お昼にここに居ますので、また声を掛けてください」
「いいのかい? でも、君の昼休みが無くなってしまうじゃないか」
一瞬期待に目を輝かせたけれど、すぐに申し訳なさそうな顔になってしまう。
「お気になさらなくても大丈夫ですけれど、もし良かったら何かご褒美があれば嬉しいですね」
今日のマッサージはクッキー分したつもりだから、次からも何か持ってきて欲しいな、ってアピールしておく。
もしも、もっと色々くれたら、自分で食べるだけじゃなくて孤児院にも持って行けるかも!
「ご褒美、とはまた謙虚な。
お金を取っても十分やっていけるくらいの腕だと思うぞ。
少なくとも、店を出してくれたら俺なら絶対に通う」
「そんなに褒めてくれたら嬉しいですわ」
身分の高い騎士様に率直に褒められたらやっぱり嬉しい。
私の力が認められた気がするから。
「ちなみに、今日の分のお礼は次にしようかと思っていたのだが、何が良いだろうか」
「あら、ありがとうございます」
今日はクッキー分の働き、と思っていたけどくれるというなら遠慮なく貰っちゃおう。
「君は平民出身なのだろう? 俺はあまり平民の文化に詳しくなくてな。
どのような物が妥当だろうか」
知らないことを知らないとぶっちゃけられるのは、貴族様の中では結構珍しいんじゃなかろうか。
では、このもの知らずな人に便乗して、お金貰っちゃおっかなー。
「別に、物でなくても金銭でもよろしいかと思いますが」
「そうなのか? 流石は平民の文化、あけすけで分かりやすいな。
では、このくらいでどうだろうか」
平民の文化とはちょっと違うかもしれないけど、今は私がお金貰えたらラッキーってことで許してもらおう。
「えぇ、ありがとうございます。では、また今度もよろしくお願いします」
手のひらの上に乗せられた金額を見て、かなり驚いた。だって、私の日当くらいあるんだもの!
たった30分くらいだよ!?
でも、高すぎると分かれば減らされちゃうかもしれないので、あくまでも平常心でその場をあとにした。
やった、やったー!
クッキー貰った上に、臨時報酬まで頂いて、ウッキウキでお昼ご飯を食べに行く。
お昼からも、お仕事頑張っちゃおーっと!!!