君は魔法使い
3作目です。
魔法使いと人間の話です。
百年ぶりに街に出てみると、違うところに来てしまったのではと思うくらい昔と変わっていた。行き交う人々が違うのはもちろん、立ち並ぶ家々も、かすかに香るにおいも、何もかもが違っていた。なるほど、これが人の生か。人間の一生は短い。だから私たち魔法使いよりもめまぐるしく変化する。その変化が人間の住む町にも表れていた。
「お姉さん、見かけない顔だね」
振り返ると、そこには箱を抱えた少年が立っていた。やはり知らない顔だった。
「ええ。ここに来るのは久々だから。ざっと百年ぶり」
百年。ただの雑談として出した数字は、その少年の常識の域を超えたものだったらしく、ただ目を見開き、しばらく固まっていた。
「おお……もしかしてその恰好からも察するに、あなたは魔女か」
やっと口を開いて出た言葉は、今度は私を驚かせた。魔法使いの存在はもう忘れられたと思っていた。
「ええ、そうね」
「やっぱり。でも、初めて見たな、魔女。僕の名前、――っていうんだ。あなたの名前を訊いてもいいですか?」
「リゼ」
「へえ、素敵な名前だね」
少年は物怖じもせず、ニコニコと笑っていた。不思議だった。この少年は魔法使いを恐れていない。
「引き止めちゃってごめんね。僕、親の手伝いで薬を売ってるんだけど、君ならもっとすごいものを作ってるはずさ。だから売っても仕方ないね。じゃあ、またね!」
少年はそう言うなり、道に沿って足早に駆けていった。周りには人が多く、すぐに少年を見失った。
あれきりの出会いだと思っていたのだが、人生何が起こるかわからないものだ。あれから一週間後、私は森であの少年と出会った。
「ああ、奇遇だね」
少年は相も変わらず笑っていた。曰く、ここらで薬草を採ろうと思ったら思いのほか道が入り組んでいて、途方に暮れていたのだという。
「リゼはこの森によく来るの?」
「よく来るもなにも、私はここに住んでいる」
この森は出口のない森とも呼ばれ、ほかの森より一層道がややこしく、少年に限らず大体の人がみちに迷う。だから、普通の人は寄り付かない。ましてや、ここに住み着く人は私くらいだろう。とにかく、ここに来るのはここの噂を知らない人か、好奇心旺盛な人か、命知らずな人かのどれかだ。
「ここに住んでいるのか。良いことを聞いた」
少年は呟いた。その後私は少年を街まで案内し、「じゃ、またね」と告げて走っていくのを見送った。
それから一週間に一回くらい、森で少年を見かけた。また道に迷わないのかと訊いたら、「通った道に石を置いているから大丈夫」と答えた。会うたびに私たちは二言三言話す関係になった。それは久々の体験であった。人と定期的に話すことはもうないと思っていた。その滅多にしない体験を出会って幾ばくかの少年としていた。不思議な話だ。
ある日、こんな話をした。
「リゼのほかにも魔女はいるの?」
少年は近くの薬草を採りながら話しかけた。
「いたよ。いたけど、私の知っている魔法使いは全員死んだ」
少年の手にあった薬草がするりと落ちた。
多くの魔法使いが亡くなった。そのほとんどが魔女狩りによって命を落としたのだ。全員素晴らしい魔法が使えたが、数の暴力には敵わなかった。私が生きていることも奇跡と呼べた。
「自分で言うのもあれだけど、魔法はすごい才能なんだよ。普通の人にはできないことを魔法はやってのける。だから目を付けられる。魔法使いはどこに行っても孤独だよ」
結局、この世で生き抜くには目立たず、ただ周りの景色に馴染むことが一番なのだ。その景色は平地でなければならない。一つの山があることも許されない。
だが、時々思う。もし私がそう生きて、魔法も捨てて生きたら、それは生きていると言えるのだろうか。魔法使いは魔法が好きだ。好きだから魔法使いをしている。魔女狩りが行われる中、魔法使いをやめなかったのは死んでも魔法を守りたかったからだろう。魔法を捨てた時点で、魔法使いは死んだも同然なのだ。
「……そうか」
少年がポツリと呟いた言葉を最後に、この日の会話は終わった。
やがて少年は青年になった。少し前まで身長は私より下だったはずなのに、いつの間にか青年は私の背を追い越した。
「最近は来る頻度が減ったね」
私は木の下にいる青年に声を掛けた。青年は見た目や立ち振る舞いに変化はあるが、いつもしていることは変わりない。今日も薬草を採っていた。
「仕事も本格的にするようになったからね。それに、個人的にやっていることがある」
青年は親の仕事を正式に引き継ぎ、今まで以上に働くことになったそうだ。会ったとき、薬の作成について相談されることも多くなった。
「熱心だね。良いことだ」
青年のその熱心に反比例するように、私たちが会う頻度も減っていった。一週間が三週間に、一か月に、半年に、ついには一年間に一回になった。それでも私からしたら特に何ともない時間だったが、青年にとってはそうではないようだった。会うたびに「久しぶりだね」と言い、ついこの間よりも皺が多くなっていた。
「すまないね、なかなか会えなくて」
そう言いだしたのは、青年が六十代になったときだと思う。
「なぜ謝る」
青年の言ったことはあまりにも予想外だった。私が返した言葉は何の意図もなく、そのままの意味だった。私たちが会って話をしているのは単なる成り行きのはずだ。
「別に、何でもないよ」
青年は微笑んだ。青年はここのところ大人しくなった。前はもっと活発な印象もあったものだが、今は歩くスピードも遅い。手の甲には血管が浮き出ており、髪も白かったり薄かったりしている。
「君はこれから先も長く生きていくんだろうね」
青年はぽつり呟いた。青年の目はただ遠くを見つめ、何者にも語りかけず、ただ事実を呟いただけだった。
「僕が君を見ている限り、君はいつも一人だ。……だれか、気の合う人が見つかるといいね。これからずっと一人で生きるのは……ちょっと、辛いかもしれないから」
青年はさっきと変わらぬ調子でそう言うが、今度は私に向けて語りかけているようだ。そよ風が顔に吹きかけた。――それが私と青年の最後の会話であった。
彼が死んだと知ったのは、気まぐれでまた街に出てきたときである。彼は死後何年か経った後でも人々の話題となっていた。曰く、彼は病や怪我で苦しんでいる人に寄り添い、非常に効能のある薬をくれたのだという。また、青年は一生独身のままで、親戚もほとんどが既に死去しているので、遺品が今も彼の家の中に残っているのだとか。
青年の家は街の一角にあった。広いとも狭いともいえない、何の変哲もない家だった。正面玄関の扉に「薬屋 風邪薬、塗り薬などはここで」という古びた看板があることだけが特徴的であった。鍵はかかっていなかった。中の薬屋を見てみると、埃はたまっているものの整理整頓自体はされていた。薬が入っているはずの箱は空で、消耗品などは既に回収されているようだった。
一方、奥にある住居の中は物が散乱していた。薬草などの仕事に関わる物があるところは整えられていたが、それ以外は目の当てようもなかった。
その仕事関連の机の上に、薬とは関係なさそうな手紙があった。綺麗な便箋に「リゼへ」と青年の筆跡で書いてあった。どうやら私に宛てたものらしい。だが青年が手紙を渡すというのを想像ができなかった。それでも、青年が私に何かを伝えたかったのだ。便箋を開け、文章に目を通した。
「リゼへ
まずは、この十年近く会いに行けなかったことを謝ろうと思う。謝っても君は訳が分からないかもしれないけど、僕はそれでも申し訳なく思う。会えなかったことだけでなく、僕が君への本音を隠したままのこと、伝えたかったのにできなかったこと、とにかく色々言いたいことがあったのに、直接会いに行くには体力的に限界だった。だから、こうして手紙に書くしかなかったことを謝りたい。
実は、僕はずっと魔法使いに憧れていた。魔法使いは僕にとって、輝くような希望の魔法を使える、いわば星のような存在だった。それに、ただの人には魔法は使えない。その手の届かなさにも僕は胸を焦がれたのだと思う。
だから、はじめて君と会ったとき、この機会を逃してはいけないと思った。それから君が行きそうなところ、居そうなところにすべて足を運んだ。正直、あのとき再会できたのは奇跡だと今は思う。
それから何度も君と話をするうち、魔法使いの実態、歴史、胸中を知った。魔法使いは僕が思っていたよりも過酷で孤独なものだった。僕のように魔法使いに憧憬を抱く人よりも、忌避する人の方が多いのだろう。多くの魔法使いが殺され、君は今も一人で生きている。このままだと君は孤独なままかもしれない。
そう思ったとき、ふと、あるアイディアが浮かんだ。みんな魔法使いになれば誰も魔法使いを蔑まないのではないか。前述のとおり、ただの人には魔法は使えない。でも、それで諦めたら永遠に今のままだ。とにかく僕は試行錯誤した。箒にまたがる、杖を振る、魔方陣を描く――。結局、どれもうまくいかなかったけれど。
でも、無駄にはならなかったと思う。僕はまたアイディアを思いついた。どうしても魔法が使えないなら、人間なりの技術で補えばいい。僕は家業である薬で魔法使いと同等のことをしようと思った。三日三晩、時には食事も忘れて、無我夢中で薬と向き合った。当時のことを思い出そうとしても、何も思い出せないくらいだといえば分かりやすいだろうか。
その甲斐あって、僕はある薬を開発できた。ある不治の病を治す薬だ。生涯をかけて成せた偉業がこれ一つとは、情けないだろうか。
でも、もし僕の薬が役に立ったなら、きっと世界はもっと良くなる。ひょっとしたら、蝶の羽ばたきが台風を引き起こすように、どんどん世界が発展していくかもしれない。それこそ、魔法使いの君が驚くような魔法をみんなが使えるかもしれない。はたまたそうならないかもしれない。それでも僕は、君が一人ぼっちにならない世の中になることを祈っている」
それから何十年、何百年と時が過ぎた――。青年は慧眼の持ち主だったのかもしれない。人間は魔法を使えないままだが、遠くの人と会話したり、高速で移動したりできるようになった。その魔法のような現象を、人々は科学と呼ぶらしい。人間は科学という名の魔法を使えるようなものだ。
しかし、私は今でも森に一人で暮らしている。住み慣れた森から離れるつもりはなく、誰もここに来ないから当然かもしれない。定期的に街に行くこと以外、人と関わることはない。
そんなある日のことであった。見たことのない少年が森で彷徨っていた。
「君、ここで何をしているの?」
私が少年に話しかけると、少年はうろたえながらも答えた。
「久々の外出で、いろんな場所に行きたかったから……入院生活が長くて……」
少年は病気で病院から出られず、今日やっと退院できたらしい。最初に自然の多い所から行こうと思っていたらしく、この森に来たら迷ったのだそうだ。私はその少年に道を案内すると言い、少年はそれについてきた。
「病気か、大変だったね」
道中、私は少年に言った。少年は答えた。
「まあ、はい。発見が遅れたから中々治らなくて……。でも、あの薬が効いて良かったです」
「……薬?」
「薬自体は結構昔に開発されたものらしいです。名前は確か――」
その名前は、青年が作った薬の名前だった。青年の薬が今でも使われて、目の前にいる少年を助けたのだ。青年が命を使って作ったものが、現代にまで生きている。まさに魔法のような薬だ。
「あの、どうしましたか?」
少年は問いかける。
「いや……昔会った魔法使いを思い出してただけだよ」