93.入学手続き
王立学院。
それはアンデス王国の貴族の子供が15歳から3年間通う場所だ。
貴族の子供であれば例外は無く、特に申請などしなくても席は用意されている、はずだ。
なお貴族で無くても入学は可能だ。入学に必要な金を支払えば良い。
貴族がその入学金を払わなくて良いのは、国に納めている税にそれが含まれているからだ。
そして、この国では辺境伯は国境警備に経費が掛かる為、税は免除されている。
要するにネモイ辺境伯は税を払っていない=入学金も払っていない。
「いやその理屈はおかしいよね」
税が免除されてるなら入学金も免除されて然るべきだ。
ネモイ以外にも辺境伯は国内に4家ほど存在するが、いずれも入学金は免除されている。
だから学院にも寮の名簿にもナンテの名前がないとおかしい。
ならなぜナンテの部屋が寮に無いのか。
ひとえに、中央貴族の嫌がらせである。
『我らはまだゴブリン料理事件を忘れてはおらんぞ。
奴の娘が学院に入学する?
ならちょっと恥をかかせてやるか』
とそんな感じだ。
入学したければ平民と同じく金を用意しろというのだ。
しかし王都に邸宅すら持てないネモイ辺境伯家の事だ。
娘にもそんな大金を持たせて送り出したとは思えない。
だから取れる選択肢は2つ。
1つは一度実家に戻って親から抗議してもらうなりすること。
ただこれは確実に入学式に間に合わないし、他の生徒から馬鹿にされるだろう。
厳しい家ならそれくらい自力で対処しろと怒られるかもしれない。
もう1つは、王都在住の他の貴族に頭を下げてお金を借りること。
当然それはネモイ辺境伯家のプライドを傷つけるものであり、他貴族への大きな借りとなる。
どちらを選んでもネモイ辺境伯家に一泡吹かせてやれるという話だ。
そしてナンテは選択した。
「ちょっと学院に行って入学手続きを済ませて来るわ」
「え、ナンテさん。入学金持ってるんですか?」
「幾らかは知らないけど多分大丈夫~」
心配するムギナには先に寮に入ってもらって、ナンテは一人で学院の事務所に飛び込んだ。
そこで事情を説明すると応接室へと通され、事務担当の職員との面談となった。
彼は生徒名簿らしきものをパラパラとめくりナンテの事を調べた。
「ネモイ辺境伯家長女のナンテさんですね。
えっと、あぁありました。
『入学金未払いの為、入学を保留とする』
とあります」
「あの、そもそも貴族は入学金免除ではないのですか?」
「いえ、去年から辺境伯家は入学金を払うように変更になっています。
そちらに通達が行かなかったのは、去年の社交の時期に王都にいらっしゃってなかったからですね」
「なるほど」
言われてみればナンテの父はここ数年、冬の社交の時期に王都に行くことを取りやめている。
飢饉の前は行っていたので、何か思う所があったのだろう。
そして学院側も王都から遠く離れたネモイ辺境伯にわざわざ手紙を送って報せる事はしなかったようだ。
職務怠慢ではないかと問い質したいところだけど、そこは我慢して話を進めた。
「それで今から入学金を払えば問題なく入学できると言う事で良いのでしょうか」
「ええもちろんです。
ただ、入学金は金貨10枚になりますが、持っていますか?
一応入学式の前々日までに用意して頂ければ問題ありませんが」
「それなら今払えます」
ここ数年、ナンテの畑で採れた野菜の一部は隣国に輸出しており、その売り上げはほぼ全てナンテの懐に納まっている。
だからそれくらい余裕なのだ。
ナンテは用意していた革袋から金貨を10枚取り出してみせた。
それを見た職員はキラリと目を光らせながら金貨に手を伸ばす。
が、そこにナンテが待ったを掛けた。
「領収書は発行して頂けますよね?」
「は?」
「私最近物忘れが酷いもので、支払った事を忘れないように、領収書、ください」
「あ、あぁ。分かりました。少々お待ちください」
舌打ちしたそうな顔で出て行く職員を見送ってナンテはため息をついた。
あのまま金貨を渡していたら、もしかしたら後で「いや受け取ってない」とか言われる事になったのかもしれない。
父から金品の受け渡しはきちんと受領書を残すことと言われてて良かったなと思う。
そしてこの場にはナンテに対しての嘘や裏切りを許さない存在も居る。
『ナンテ、銅貨を10枚出して貰っていいかな』
「うん。これでいい?」
『それじゃあ次は良いって言うまで目を閉じて』
「はーい」
コロちゃんに言われるままに銅貨を10枚並べて目を閉じるナンテ。
その隙にコロちゃんは魔法を使って銅貨の見た目を金貨に変えてしまった。
元から出していた金貨はそっと袋の中に戻してしまう。
『もう良いよ』
「うん。ってあら、銅貨が消えちゃった」
『ちょっと悪戯に使わせてもらったのさ』
「そっか」
妖精は悪戯好きというけれど、精霊も似たところがある。
決してナンテにとって悪いようにはしないだろうという信頼があるので、ナンテは何をしたのかは聞かないでおいた。
そうこうしている間に職員が戻って来た。
「こちらが今回の領収書になります。
それと、こちらの書類は寮監に渡してください。
適当な空き部屋を案内してもらえるはずです」
「分かりました。ありがとうございます」
領収書の内容に不備が無い事を確認したナンテは、書類を受け取って応接室を後にした。
残った職員は金貨を回収しながらニヤリと笑った。
「入学金が金貨10枚ってのは嘘じゃない。
が、辺境伯が払わなければならないってのが実は違うのさ。
支払いは任意。払わなくても入学式前日には入学が認められる手筈になっていたんだ。
領収書を寄越せと言われた時はヒヤリとしたが、手続き自体は嘘じゃないので問題ない。
後日このうちの3枚が俺の手元に転がり込んでくる手筈だ」
実際には後で回収した金貨を確認したら銅貨になっていて上司から激しく問い質されることになるのだが。
ともかく無事に手続きを終えたナンテは寮に戻って来た。
そして寮監に書類を渡すとなぜか眉間にしわを寄せていて悩まれてしまった。
「うーん、本当にこれで良いのかしらねぇ」
「どうしたんですか?」
「いえ、あなたの部屋なのだけど『裏の使われていない旧管理人小屋をあてがう事』ってなってるのよ」
「はぁ」
書類を見せて貰えば確かにそう明記されている。
「一応案内してもらっても良いですか?」
「いいけど、老朽化が進んで何年も前に廃棄された小屋よ」
案内されたのは寮の裏手にあるくたびれた小屋。
周囲は雑草が生い茂っているし、小屋自体も全く人の手が入ってないのかボロボロだ。
屋根も壁も所々崩れているので大雨が降ったら家の中までびしゃびしゃだろう。
「ね。とても人が住める状態じゃないのよ」
「このままだとそうですね。
あの、修繕とか改築とかは自由にやっても良いですか?
周囲の雑草も耕してしまって良いですよね」
「それは構わないわ。どうせ後日取り壊すことになってただろうし」
「分かりました。ならここで大丈夫です」
「本当に?何なら上と交渉するわよ?」
寮監は結構いい人みたいだ。本気でナンテの事を心配してくれている。
でもだからこそあまり迷惑を掛けたくない。
それに、ナンテとしては庭付きの家が手に入ったと思えばむしろ得したのかもしれないと思うのだ。




